<大項目> 放射線と原子力に関する歴史とトピックス
<中項目> 原子力開発の歴史
<小項目> 米国の原子力開発
<タイトル>
加圧水型炉(PWR)開発の発端 (16-03-01-05)

<概要>
 アメリカ海軍は早くから艦船に搭載する推進用の動力炉の開発を目指していた。一方、原子力委員会は将来の発電炉を目指した動力炉の開発を模索し、各種の原子炉の開発を試みていた。しかし、炉型選定作業がそれほど進展を見せなかった中で、軽水冷却炉が海軍の支持を得て、研究開発が進展することになった。アルゴンヌ国立研究所がその主体となった。
<更新年月>
1998年05月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
1.海軍の要請
 アメリカ海軍は第2次大戦の終わる前から、原子力を動力とする船舶の可能性について関心を持っていた。海軍研究所は当初、ウラン濃縮法の研究から着手し、続いて海軍の艦船、特に潜水艦に原子力動力を採用することを目標に研究を進める準備をしていた。
 戦後、1946年の春からその研究計画を積極的に拡大して、海軍独自の開発プロジェクトを作ることとし、その責任者にハイマン・G・リコバー大佐を任命した。彼は同年6月、海軍の技術グループとともにオークリッジ国立研究所を訪問し、原子力技術の現状を調査した。1947年春までにリコバーと彼のグループはオークリッジで必要な技術はすべて学び、その後原子力委員会所属の各研究所や施設を約7週間かけて調査した。その結果、海軍は原子力潜水艦の可能性をはっきりと認識し、技術的にも短期間で開発が可能であるという結論に達した。そして人材を集め、計画が承認されたら直ちに全面的に展開する準備を整えた。
 その間、GE社は早くも艦船用原子力動力機関を開発するためのプロポーザルを提案していた。それは軽水冷却炉ではなく液体ナトリウムで冷却する動力炉と増殖炉の2つの目的を狙ったものであった。しかし原子力委員会側の体制が固まらず、海軍の努力に対して急いだ決定はできそうにもなかった。

2.加圧水型炉の可能性
 1948年の夏、リコバーたちが海軍の原子力プロジェクトにおけるGE社の役割について調整を図っている間に、元オークリッジ研究所の動力炉部長で、その後アルゴンヌ研究所のプロジェクトに参加したエザリントン博士は、水冷却炉の予備調査を完了させていた。彼は在来の産業技術を利用して建造することができる、潜水艦用の動力炉に的を絞っていた。発電用原子炉の開発には制度上の、そして経済上の諸問題が残っていて、すぐには実現しそうもなかったからである。
 原子炉の条件としては、小型で高出力が出せること、艦船特有の揺れに対する対策が可能なことなどであった。燃料の方は、高濃縮ウランが使えるから、減速材は普通の水でよいことになる。
 多くの種類の計算や試験結果を分析して、制御、材料腐食、燃料加工、遮へい放射線下における水の分析などの問題が技術的に解決されれば、水冷却熱中性子炉が、潜水艦推進用に開発することが可能であるという結論に達した。
 水冷却炉の開発では、原子炉制御系の開発を除いては、原子炉構造用の金属が最も重要な鍵となるであろうと思われた。それは中性子をほとんど吸収せず、放射線にも耐えられるものでなければならない。同じ様な条件が燃料の被覆材にも必要とされた。基礎的な研究がまずこのような項目から着手された。
 この時点で水冷却炉とは、そのまま即、加圧水型炉(PWR)のことを意味していた。この段階で炉内で沸騰を許すいわゆる沸騰水型炉は、原子炉物理的にとても実現しないと考えられていたからである。沸騰現象を特徴づけるボイドの存在が、中性子の振舞いを乱す要因となるからである。それに最初から潜水艦の推進用の動力炉を目的としていたから、炉内で生ずる激しいボイドの流れが艦船の揺れで複雑に乱れ、とても制御が不可能とされたからであった。
<関連タイトル>
加圧水型原子炉(PWR) (02-01-01-02)
米国原子力委員会の成立 (16-03-01-01)
WH社によるPWR原子力発電所の開発 (16-03-01-06)
沸騰水型炉(BWR)の着想と初期の開発 (16-03-01-07)

<参考文献>
(1)USAEC REPORTS, 1948−50
(2)A HISTORY OF THE USAEC, Vol.2 1969
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