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<概要>
 アルメニアには石油や天然ガスなどの天然資源がなく、旧ソ連時代には、その大半をロシアなど旧ソ連に頼ってきた。しかし、1988年初め以来、隣国アゼルバイジャンのナゴルノ・カラバフ自治州のアルメニア編入を要求したため、その報復措置として天然ガスと石油のパイプラインが封鎖されている。1988年12月の大地震による住民の原子力発電所に対する不安や反対で、アルメニア発電所(40.8万kWe、2基)は地震の被害がなかったにもかかわらず1989年に閉鎖を余儀なくされた。エネルギー不足のため、政府は1995年11月にアルメニア原子力発電所2号機の運転を再開したが、1990年代後半までエネルギー不足は続いていた。1997年に近隣諸国との電力融通が再開し、アルメニアは電力の純輸出国となった。輸出先はグルジア、イランおよびナゴルノ・カラバフであった。
<更新年月>
2010年03月   

<本文>
1.国情
(1)面積と人口
 カスピ海と黒海にはさまれたカフカス山脈の南に位置し、面積は2万9,800km2で、関東全県の面積を合わせたよりも少し小さい。国土の大半は山岳地帯だが、土壌は肥沃である。森林はほとんどない。気候は大陸性で夏は乾燥している。
 人口は約300万人(2009年推定)で、人口密度は約100人/km2。総人口の37%に当たる約110万人が首都エレバンに住んでいる。全人口のうちアルメニア人が97.9%を占める。
 大きな地震帯があることで知られる。1988年12月にいわゆる「アルメニア大地震」が起き、その近隣に立地していたアルメニア(メタモール)原子力発電所(グロス出力40.8万kW、VVWER-440/V-270:旧ソ連製PWR、2基)が閉鎖された。
(2)政治経済
 アルメニアの帰属をめぐり、16世紀以来、トルコ、イラン、ロシアの間で勢力争いが続いた。1828年にロシア領、1920年に「アルメニア・ソビエト社会主義共和国」が成立、ソ連邦の一員となった。1990年8月23日に主権宣言を採択し、国名を「アルメニア共和国」に改称した。99.3%の支持を得た独立をめぐる国民投票を背景に、最高会議は1991年9月23日、独立宣言を採択した。
 直接投票による大統領選挙が同年10月16日行われ、「アルメニア国民運動」の指導者で穏健独立派のテルペトロシャン(Levon A. Terpetrosyan)最高会議議長が投票総数の83%を獲得し、初代大統領に就任した。
 主な産業は工業、宝飾品加工業、金属加工や工作機械などで、農林水産業従事者は国民の8%に過ぎない。農業では綿、ブドウ、野菜の栽培が盛んで穀物としては小麦、大麦を産する。
2.エネルギー資源
 アルメニアには石油や天然ガスなどの天然資源がなく、旧ソ連時代には、その大半をロシアなど旧ソ連に頼ってきた。こうした中で、1988年初め以来、隣国アゼルバイジャン共和国のナゴルノカラバフ自治州のアルメニア編入を要求し、アゼルバイジャンと対立し紛争を招くことになった。そのため、同国を経由する天然ガスと石油のパイプラインが断ち切られ、エネルギー供給が激減した(表1参照)。この当時、天然ガスなどの燃料価格が40倍にも値上がりしたと伝えられている。エネルギー危機の煽りを受けて、1992年12月には、小・中・高等学校が1992年12月から3カ月間にわたって閉鎖された。
 アルメニアはカフカス山脈の南側に位置し、国土の9割を標高1,000m以上の高地が占める内陸国である。国内には石炭やオイルシェールなどの固体燃料の賦存は確認されているが、石油・天然ガスなどの主だった炭化水素燃料資源は発見されていない。石炭の埋蔵量は1億トン、オイルシェールの埋蔵量は1,700〜1,800トンと評価されているが、商業開発は困難とされている。
 水力では経済的包蔵水力が36億kWh/年と評価され、うち15億kWh/年が開発済みである(2005年時点)。既開発のセバン湖を水源とするラズダン川や南部を流れるヴォロタン川のほか、アラクス川、デベド川で開発が可能である。
 風力では、技術的に11億kWhが開発可能と評価されており、8〜10カ所に総計100万kWの風力発電所の建設が可能とされている。北部のプーシキン峠やセバン湖東部のソトク峠などが有望地点とされている。
3.エネルギー政策
 エネルギー政策は、2005年6月に政府が承認した「エネルギー部門の発展戦略」や同戦略をもとに2007年11月に作成したエネルギー・天然資源省のための実施計画などに反映されている。政策の基本は、a)省エネの推進に基づくエネルギー安定供給の確保、b)国産エネルギーおよび原子力の最大限の利用、c)廃止措置を含む原子力の安全性の確保、d)環境面に配慮した持続可能なエネルギー供給の確保、e)輸出・高付加価値化志向の電力産業の構築、などである。
4.原子力発電の現状
 アルメニア唯一の原子力発電所は、首都エレバンから18km西方に位置しており、旧ソ連型加圧水型原子炉(VVER-440(V270)、40.8万kWe)が2基建設され、1号基が1977年に、2号機が1980年に運転を開始した。1980年代には国内の全電力の3〜4割を供給していたが、1988年の大地震を契機に原子力発電所の閉鎖論が高まった結果、1号機は1989年2月、2号機も同年3月に閉鎖された。
 しかし、アルメニアではその後電力不足問題が深刻化し、運転再開の要望が強まった。アルメニアのエネルギー・燃料省は、1994年3月にロシア原子力省(MINATOM)およびロシア原子力安全監視委員会(Gosatomnadzor)との間で、アルメニア原子力発電所(2号機)の復旧と運転再開に関する包括的な原子力協力協定を締結した。この2国間協定でロシアはアルメニアに対して同発電所の安全性の改善、原子燃料の調達、運転員の訓練、および同国における原子力安全規制機関の設立についての援助を実施し、1995年11月に運転を再開した。
5.電力需給
 表2に電源別発電設備容量の推移を、表3に電源別発電電力量の推移を示す。
 アルメニアの総発電電力量は、1985年に149億kWhに達し、旧ソ連全体の0.97%を占めた。その後、1988年まで総発電電力量は増加した。
 原子力発電所は、1989年初めに閉鎖される前には、アルメニアの総発電電力量の40%を供給していた。ソ連崩壊後、アルメニアと隣国のアゼルバイジャンとの領土紛争を契機に、アルメニアへの全てのエネルギー(燃料および電力)供給が停止された。総発電電力量は、アルメニア原子力発電所が閉鎖された1989年には121億kWh、さらに主権宣言を採択した1990年には104億kWhに低下した(旧ソ連全体の0.6%)。このように地震の影響と政治問題によって、アルメニアでの総発電電力量の落ち込みは激しく、1990年代半ばには約56億kWhまでになった。一方、水力発電資源は比較的豊富で、1960年代の予測では、理論的包蔵水力218億kWh、技術的開発可能水力86億kWh、そして経済的開発可能水力60億kWhとみられていた。しかし、同国の水力発電技術は、全般的に非効率と考えられている。
 1995年11月にはアルメニア原子力発電所(2号機)が運転再開された。原子力発電は、発電設備容量では13%程度であるが(表2)、発電電力量でみると近年には40%超(表3)を占め、この国の電力の重要な役割を果たしてきた。1997年に近隣諸国との電力融通が再開し、アルメニアは電力の純輸出国となった(表4)。輸出先はグルジア、イランおよびナゴルノ・カラバフであった。2007年の総発電電力量は59億kWh(前年比0.7%減)で2006年に引き続き前年実績を下回った。電源別構成比は、水力31.4%、火力25.2%、原子力43.3%であった。
 一方、消費電力量は2003年から増加傾向にあり、2007年は50.9億kWhで、前年比で4.6%増加した。消費電力量の需要種別構成では、工業部門が30.2%、農業部門が3.5%、家庭31.1%、運輸・商業その他が35.1%であった。
(前回更新:1999年3月)
<図/表>
表1 アルメニアのエネルギー・バランス
表1  アルメニアのエネルギー・バランス
表2 アルメニアの電源別発電設備容量の推移
表2  アルメニアの電源別発電設備容量の推移
表3 アルメニアの電源別発電電力量の推移
表3  アルメニアの電源別発電電力量の推移
表4 アルメニアの電力需給バランスの推移
表4  アルメニアの電力需給バランスの推移

<関連タイトル>
アルメニアの原子力発電開発と原子力政策 (14-06-04-02)
アルメニア大地震とアルメニア原子力発電所の閉鎖 (14-06-04-03)

<参考文献>
(1)(社)海外電力調査会(編/刊):海外電気事業統計 1998年版(1998年8月)、2000年版(2000年8月)
(2)(社)ロシア東欧貿易会(ロシア東欧経済研究所):旧ソ連原子力情報収集事業報告書、(1997年3月)
(3)(社)日本原子力産業会議(編/刊):世界の原子力発電開発の動向−1997年次報告、p.55-56,p.76
(4)(社)日本原子力産業会議(編/刊):原子力年鑑1998/1999年版、1998年12月、p.435
(5)(社)海外電力調査会(編/刊):海外諸国の電気事業 第2編 2010年版、p.206-209
(6)(社)日本原子力産業協会(監修):原子力年鑑2010、p.263
(7)IEA, Energy Balances of Non-OECD Countries, 2003 Edition〜2006 Edition
(8)National Statistical Service of Republic of Armenia (2008), Statistical Yearbook of Armenia 2008.
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