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<概要>
 ベルギーでは、新規建設を禁止する「脱原子力法案」が2003年2月に成立したことで、段階的な脱原子力・脱再処理の道を歩み始めた。従来、ベルギーの核燃料サイクルは、使用済燃料をフランスに再処理委託し、抽出したプルトニウムを国内でMOX燃料に加工する路線であったため、フランスのコジェマ社(現AREVA NC社)との再処理委託契約は廃棄された。
 また、再処理路線に基づいて、ベルゴニュークリア社がモル・デッセルで混合酸化物(MOX)燃料加工工場を操業してきたが、2005年11月に閉鎖することを決定、2006年8月には最後のキャンペーンが実施された。操業開始から35年間で約630tHMのMOX燃料を製造した。MOX燃料は、ベルギー国内のBR3原子力発電所で実験規模の利用を行った後、1995年からチアンジュ2号機およびドール3号機で装荷されたほか、ドイツ、フランス、スイス、日本にも供給された。
 なお、廃棄物管理に関しては、1980年に発足した放射性廃棄物・核物質管理庁(ONDRAF)が、最終処分地施設の立地作業を進めている。低レベル廃棄物に関しては、2006年6月、デッセルに地表処分施設を建設することが決定され、2015年〜2020年の操業を予定している。また、フランスからの再処理返還廃棄物であるガラス固化体と中・高レベル廃棄物は2050年までに深地層処分場を操業する計画であるが、現在はONDRAFの子会社であるベルゴプロセス社により、デッセルの集中貯蔵施設で貯蔵管理されている。
<更新年月>
2011年01月   

<本文>
 エネルギー資源に乏しいベルギーは、1970年代のオイルショックを契機に原子力発電開発を軸としてエネルギー源の多様化と供給源の分散化を進めてきた。原子力発電所は1975年〜1985年の10年間で7基(設備容量は599.5MWe)が建設され、2009年末現在、原子力発電による発電量は総発電量の51.7%、449.6億kWhに達する。しかし、チェルノブイリ事故による反対運動で1988年に新規原子力発電所の増設計画が無期延期されて以来、ベルギーは段階的な脱原子力・脱再処理の道を歩み始めている。国内にある7基の原子力発電所に運転期間(40年)を定め、新規建設を禁止する「脱原子力法案」が2003年2月28日に成立したことから、2015年に閉鎖を迎えるドール1号機(PWR:412MWe、1975年営業運転開始)を皮切りに、2025年にはベルギーから全ての原子力発電所が消えることになった。
 一方、エネルギーのベストミックスを調査していた専門家委員会(GEMIX)が2009年10月、ドール1、2号機およびチアンジュ1号機が運転期限を迎える2015年以降、電力供給不足を指摘したことから、政府は脱原子力政策を見直し、3基の10年間の運転延長を認めた。ベルギーの原子力施設所在地を図1に示す。なお、発電所は全て、ベルギー電力市場90%をシェアするエレクトラベル(Electrabel)社により運転されている。
1.ウラン資源
 ベルギーは1980年代後半まで、Gecamineが旧ザイールで炭鉱活動を行っていたが、現在では実施しておらず、国内にはウラン資源がないため、全量を輸入に頼っている。また、Prayon-Rupelがモロッコから輸入したリン鉱石に含まれているウランを精鉱していたが、1998年に運転を終了した。
 ベルギーでは、ウラン需要の約80%を長期契約で確保することを目標としており、輸入先についても原則的にオーストラリア、カナダ、中央アフリカ、南アフリカの4大供給源に分散化をはかり、しかも1国からの供給量を20%に限定することにより、非常時においても10年間分の供給が確保できる。なお、2008年からシナトム社(Synatom)が米国ワイオミング、サウスダコタ、コロラド州のウラン開発プロジェクトPowertechに資本参加(19.6%)している。
2.ウラン濃縮
 燃料供給源多角化の配慮から、シナトム社(Synatom:Societe Belge des Combustibles Nucleaires)は1970年代の大規模原子力計画に基づいて、1973年にフランスのトリカスタンサイトにあるユーロディフ(EURODIF、10,800トンSWU/年、ガス拡散法)に11.11%出資するとともに、米国の濃縮サービス、ロシア(旧ソ連)とも中期の濃縮契約を結んで濃縮ウランを得ている。シナトム社は1983年8月に改組され、社名をベルギー核燃料シナトム社に変更し、核燃料サイクル全般の活動を行っている。出資は、100%エレクトラベル社(GDFスエズの子会社)である。
3.成型加工
 ベルギーではMOX燃料ペレット及び燃料棒を製造するベルゴニュークリア社(BN:Belgonucleaire)社と燃料アッセンブリ会社であるFBFCインターナショナル社がモル地方のデッセル(Dessel)にある。
 ベルゴニュークリア社は、ベルギーの再処理リサイクル路線に基づき、1960年代初期にMOX燃料の製造を開始し、1973年に製造能力を拡大。燃料は国内軽水炉及びフランスの高速炉フェニックスで用いられた。また、1984年にはフランス核燃料公社(COGEMA)とMOXを製造する合弁工場COMMOXを設立した。COMMOXはその後の組織変更を経て現在P0と改称された。1983年からは二つの製造ライン40tHM/年(MIMAS法:Micronized Master blend 法)で運転され、1985年からはベルギー(17×17型PWR燃料(ドール3、チアンジェ2))、フランス(EDF向け17×17型PWR燃料)、ドイツ(16×16型PWR燃料(ブロックドルフ、ウインターベーザ、グラーフェンラインフェルト、フィリップスブルク)、9×9型用BWR(グンドレミンゲン))、スイス(14×14型PWR燃料(ベツナウ)、15×15型PWR燃料(ゲスゲン))及び日本(東京電力向け8×8型BWR燃料)に対して燃料を供給している。2002年12月末時点のベルゴニュークリア社のMOX燃料海外シェアはフランスが34.7%、スイスが13.2%、ドイツが40.2%、日本が1.3%、ベルギーが10.5%であった。ベルゴニュークリア社は、1998年10月、P0隣接地にP1工場(50tHM/年)の建設を計画したが、ベルギー最高行政裁で「地元での公聴会の前に建設認可が発給されるなど許認可手続きが違法だった」とした建設認可の無効判決をうけ、建設は中止した。
 ベルギー政府は、新規建設を禁止する「脱原子力法案」が2003年2月に成立したことで、段階的な脱原子力・脱再処理の道を歩み始めたため、ベルゴニュークリア社は2005年11月にMOX燃料成型加工工場を閉鎖することを決定、2006年8月に最後のキャンペーンを実施した。工場閉鎖は自国やドイツなどの脱原子力政策に加え、英仏におけるMOX燃料の国内製造ラインの拡張、日本におけるMOX燃料利用の遅れなどが要因としてあげられている。35年間で約630tのMOX燃料を製造した。なお、ベルゴニュークリア社は、ベルギーの重機械メーカーであるトラクトベル社とベルギーの電力会社で国内7基の原子力発電所を操業するエレクトラベル社、及びベルギーの核研究センターであるCEN/SCKが株主で、エレクトラベル社は、2008年7月以降、フランスガス公社(GDF)とスエズ・リヨン水運持株会社の合併により成立したGDFスエズの子会社となっている。
 一方、フランスAREVA NP社の子会社であるFBFCインターナショナル(Franco-Belgian Fuel Fabrication)社のデッセル工場(500tHM/年)において様々な設計のPWR燃料集合体を中心に製造しているが、ガドリニウム ・ペレット及び燃料棒の製造やMOX燃料要素の組立ても行っている。PWR集合体の大部分は輸出されている。
 MOX燃料に関してベルギーでは、1963年にBR3原子力発電所(PWR、1.1万kW、Mol)に世界初の軽水炉用MOX燃料を装荷した実績があるほか、1995年からチアンジュ原子力発電所2号機(100万kW、PWR)とドール原子力発電所3号機(105.6万kW)へ装荷している(図2参照)。
4.再処理
 OECD/NEAの共同事業としてベルギーほか、欧州12カ国とともに設立したユーロケミック(EUROCHEMlC)のデッセル再処理工場(パイロットプラント、250〜400kg/日)が、1966年から1974年まで運転されてきた。この間、実験炉燃料86トン、発電炉燃料95トン、及び高濃縮の材料試験炉燃料30トンが再処理された。しかし、経済性などの理由から1974年に閉鎖され、政府はシナトム社と共同で子会社ベルゴプロセス(Belgoprocess)を設立し、再処理工場の再開を探ったが成功せず、1986年には再処理事業を断念することになった。
 それ以降、ベルギーの原子力発電所で発生した使用済燃料は、1978年にシナトム社とフランスのコジェマ(COGEMA、現AREVA NC)の間で(1)1976年:使用済燃料を140トン対象、(2)1978年:使用済燃料を530トン対象(再処理は1991年−2000年)、(3)1990年:使用済燃料225トンを対象(再処理は2001年−2010年、2015年までオプション付)で再処理委託契約が締結された。しかしながら、1998年12月、ベルギー政府による核燃料サイクル政策の見直しにより、チアンジュ発電所に関する再処理契約は破棄され、使用済燃料は直接処分されることになった。
 なお、モルにはガラス固化パイロットプラントPAMELA(Pilotanlage Mol zur Erzeugung Lagerfabiger Abfalle)がある。ベルギーと旧西ドイツのカールスルーエ再処理工場(WAK)とが協力して建設した施設で1981年に建設開始、1984年コールド試験、1985年10月ホット試験を開始した。1986年3月までに廃液約50m3を処理し、約440本のガラスブロックと100本のガラスビーズ鉛マトリックス固化体を製造した。約2,200本の固化体を製造し、1991年には運転終了した。PAMELAのガラス溶融方式はLFCM(Liquid Fed Ceramic Melter)が採用され、ガラス製造能力は31kg/hであった。
5.放射性廃棄物の管理
 ベルギーの放射性廃棄物の管理は、1980年の法律に基づいて発足した放射性廃棄物・核物質管理庁(ONDRAF/NIRAS)が責任を負っている。実際の運営はONDRAFの100%子会社であるベルゴプロセス社が行い、モル・デッセルにある中央貯蔵施設を操業しており、放射性廃棄物は最終処分されるまでここに貯蔵される。また、ユーロケミック再処理工場から発生した高レベル廃棄物もガラス固化され、貯蔵されているほか、2000年から開始した仏ラアーグ再処理工場からのガラス固化体返還廃棄物も貯蔵している。なお、放射性廃棄物の処分は発生者負担の原則が取られており、ONDRAFが電力会社などから費用を徴収している。
 ベルギーでは、中・高レベル放射性廃棄物は、地層処分されることになっており、ONDRAFが1984年にモル・デッセル・サイトの地下230mのブーム粘土層に地下実験施設(HADES)を建設して、研究開発を進めている。ONDRAFは1989年に、それまでの研究成果を取りまとめた「安全性評価調査中間報告書」(SAFIR)を発表した。(1)2000年までHADESでの研究開発を継続し、(2)2000〜2015年に実規模の地層処分実証施設を建設、(3)2015〜2025年にかけて実試験を行い、(4)2025〜2050年にかけて地層処分場を操業する、計画を立てている。
 一方、低レベル廃棄物については、1982年まで海洋投棄処分されていたが、現在は各原子力発電所やモル・デッセル施設で焼却・固化処理された後、貯蔵されている。2006年6月、政府はデッセルに地表処分施設の建設を決定した。2015年〜2020年ごろの操業開始を目指している。詳しくはATOMICAタイトル<14-05-10-03>「ベルギーの放射性廃棄物管理」を参照のこと。
(前回更新:2004年2月)
<図/表>
図1 ベルギーの原子力施設所在地
図1  ベルギーの原子力施設所在地
図2 世界における軽水炉でのMOX燃料利用実績
図2  世界における軽水炉でのMOX燃料利用実績

<関連タイトル>
ベルギー、ドイツ、その他の国の再処理施設 (04-07-03-19)
外国における高レベル放射性廃棄物の処分(2)−ベルギー、スイス、カナダ編− (05-01-03-08)
ベルギーの原子力政策・計画 (14-05-10-01)
ベルギーの原子力発電開発 (14-05-10-02)
ベルギーの放射性廃棄物管理 (14-05-10-03)

<参考文献>
(1)(社)海外電力調査会:海外諸国の電気事業 第2編 1995(1995年3月)、p.22-40及び2010年(2010年3月)、ベルギー、p.134-148
(2)(社)日本原子力産業協会:原子力年鑑 2011(2010年10月)、p.222-224
(3)原子力環境整備促進・資金管理センター:諸外国の高レベル放射性廃棄物処分等の状況
(4)原子力環境整備促進・資金管理センター:諸外国の高レベル放射性廃棄物処分について(2010年2月)
(5)(社)日本原子力産業会議:世界の原子力発電開発の動向 2002年次報告(2003年5月)及び2010年次報告(2010年4月)
(6)ベルゴニュークリア社:Belgonucleaire 2002 annual report
(7)世界原子力協会(WNA):ベルギー、http://www.world-nuclear.org/info/inf94.html
(8)ベルゴプロセス(Belgoprocess):http://www.belgoprocess.be/index.php?option=com_content&view=article&id=54&Itemid=60
(9)(社)日本原子力文化振興財団:原子力2009(2009年9月)、p.132
(10)電気事業連合会:プルサーマルQ&A
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