<解説記事ダウンロード>PDFダウンロード

<概要>
 エネルギー資源に乏しいベルギーは、1970年代の石油危機以降、原子力発電開発を積極的に進めてきた。しかし、1999年に段階的な脱原子力政策を掲げる自由党、社会党、緑の党の3党連立政権が発足、脱原子力法案が2002年6月に議会へ提出された。産業界は強く反対したが、与党3党は議会の150議席のうち94議席を獲得していたため、2003年1月、電力供給に支障が生じないことを条件に脱原子力法が成立した。
 2009年、政府は代替電源の確保が遅れているとして、2015年に運転期限を迎える北部アントワープ近郊のドール1、2号機、及び東部チアンジュ1号機の3基について、2025年まで10年間の運転延長を条件付きで認めることを決定した。しかし、この政府の決定は北部のオランダ語圏と南部のフランス語圏の対立から、2009年6月から2011年11月まで長期の政権空白が続いたため、議会承認が得られず法制化には至らなかった。
 2011年12月、ようやくディルボ党首を首相とする8党連立政権が成立したが、同年3月に発生した福島第一発電所事故を受け、2009年の原子炉運転延長計画を見直すことになった。2012年7月、政府はドール1、2号機を2015年までに閉鎖し、チアンジュ1号機のみ10年間の運転延長を決定した。2013年12月末現在、ベルギーでは7基の原子力発電所が運転中で、総発電電力量の50%以上を供給している。
<更新年月>
2014年02月   

<本文>
1.はじめに
 ベルギーは日本の約12分の1の国土を有する世界で最も人口密度の高い国の一つで、国内には小規模な水力発電を除いてエネルギー資源がほとんど存在しない。従って、ほぼ全ての一次エネルギーを輸入に頼り、貿易依存度が高く、世界経済の影響を受けやすい構造となっている(表1及び図1参照)。そのため、ベルギーでは、1970年代から積極的に原子力開発が進められた。2012年12月末時点のベルギーの原子力発電電力量は、2011年より7.4億kWh少ない403億kWhで、総発電電力量に占める原子力の割合(原子力シェア)は51.3%である。ベルギーの原子力シェアは2010年には51.1%、2011年には54.0%であり、2000年以降常に50%を越え、フランス(74.8%)、スロバキア(53.8%)に次いで世界第3位を記録している。表2及び図2に電源別発電電力量の推移を示す。
 原子炉の平均設備利用率は、2011年は88.7%であったが、2012年にドール3号機(Doel)及びチアンジュ2号機(Tihange)に原子炉圧力容器のひび割れ(国際原子力事象評価尺度レベル1)が懸念されたことから運転を停止して調査を行ったため、両基の設備利用率は42%及び62%と大幅に低下した。両基のひび割れ欠陥は製造上の欠陥(水素誘起鍛造欠陥)に由来し、安定化しており、圧力容器の健全性に問題はないとして、両基はベルギー連邦原子力管理庁(FANC)の承認を得て2013年5月から運転を再開している。
 なお、ベルギーは連邦制をとっており、連邦政府の他に、ワロン地域政府、フラマン地域政府、ブリュッセル首都圏地域政府の3つの地域政府が存在する。エネルギー政策の分野では、連邦政府は電力分野の設備、核燃料サイクル、発電、送電、価格など全国レベルでの調整が必要な分野を管轄する。これに対し地域政府は7万ボルト以下の電圧の地域内での電力供給、送電、再生可能エネルギー源(原子力を除く)、エネルギー回収、省エネルギーといった分野を管轄する。ただし、海上での風力発電は、連邦政府の管轄下にある。
2.原子力開発の経緯
 エネルギー資源に乏しいベルギーは、1970年代の2度にわたる石油危機を契機に、エネルギー源の多様化と供給元の分散による安定供給及び省エネルギーを柱とするエネルギー政策を打ち出した。原子力開発が積極的に推進され、1975年には国内初のドール1号機(DOEL:PWR、39.2万kWe)が運転を開始。以来、1985年チアンジュ3号機(TIHANGE:PWR、102万kWe)までの10年間に7基・475万8400kWが稼働した(表3参照)。しかし、1986年の旧ソ連チェルノブイリ発電所事故以降、原子力に対する反対運動が激しくなり、政府は1988年に国内8基目となるドール5号機建設計画を放棄することになった。その後、MOX燃料加工施設の拡張や国外再処理委託契約をめぐる核燃料サイクル政策に関する議論が高まり、抜本的なエネルギー政策の見直しを望む世論が高まった。このため、政府は1999年、国内の学識経験者16名からなる「アンペール委員会」を発足させ、原子力開発政策を見直すことになった。
3.脱原子力法をめぐる動き
 原子力政策を見直す動きは、1999年6月の総選挙で自由党、社会党、緑の党(環境保護党)の3党連立政権が発足したことから一気に加速した。特に、得票数を伸ばした緑の党が発言力を増し、原子力発電所の段階的廃止措置が連立協定に盛り込まれた。アンペール委員会は2000年12月、2020年を見据えた「エネルギー開発計画」に関する提言を取りまとめ、各電源との比較検討を行った上で、原子力オプションと技術力の維持が必要であると提言するとともに、政府が主張する使用済燃料の直接処分政策を再度検討するよう勧告した。ベルギー政府は電力供給に支障が生じる場合は原子力発電所を早期閉鎖しないという条件付で、(1)原子力発電所の運転期間を一律40年とし、40年に達した発電所から順次閉鎖する、(2)原子力発電所の新規建設禁止を脱原子力法に盛り込む、ことにした。
 この脱原子力法は2002年12月6日の下院に続き、2003年1月上院でも審議、可決されて成立した。現在ベルギーの原子力発電所は10年毎に安全検査を行い、運転認可を更新しているが、この脱原子力法の成立により、2015年にドール1号機を閉鎖、その後順次閉鎖を進め、2025年には最後のチアンジュ3号機を閉鎖することになった。
4.脱原子力法成立後の動き
 気候変動枠組み条約に調印しているベルギーは、1997年12月のCOP3京都会議において、2008年から2012年の間の温室効果ガスの年平均排出量を1990年に比べて7.5%削減することに同意している。また、コペンハーゲン合意に基づき、欧州連合の排出量取引制度の対象とならない産業部門においては、排出量を2020年までに2005年実績値をベースに15%削減する目標を掲げている。再生可能エネルギーに関しては、2020年までに最終エネルギー消費量に占める割合を13%とするというEU目標をもつ。実績では、温室効果ガス排出量は京都議定書基準年から2008〜2011年平均までの変化は−12.0%(2011年排出量:121.936百万トン/CO2)で、再生可能エネルギーの最終エネルギー消費量に占める割合は6.1%である。ベルギー連邦計画局は2003年4月に発表した『エネルギー長期見通し』で、「原子力発電から撤退すれば、京都議定書に規定された温室効果ガス削減目標の遵守が困難になる」との見解を示し、脱原子力法が制定された直後の2003年5月の総選挙で、緑の党が惨敗して新内閣の組閣人事から洩れたことで、脱原子力政策を軌道修正しようとする動きが活発になった。
 政府は2009年、2015年に運転期限を迎える北部アントワープ近郊のドール1、2号機及び東部チアンジュ1号機の3基について、代替電源の確保が遅れているとして、2025年まで10年間の運転延長を条件付きで認めることを決定した。運転延長を認める条件として、電力会社に対して、再生可能エネルギーや省エネルギーへの投資促進、省エネ、環境、放射性廃棄物管理についての研究開発の強化に加えて、運転期間延長による原子力発電の余剰利益への課税を課すこととした。しかし、この政府の決定は、2010年6月の選挙で、連立工作が難航し、北部のオランダ語圏と南部のフランス語圏が対立したことから、2009年〜2011年11月まで長期の政権空白が続き、議会承認が得られず法制化には至らなかった。
 2011年12月にようやく社会党(フランス語圏)のディルボ党首を首相とする8党による連立政権が発足したが、同年3月の東京電力福島第一原発の事故を受け、ドイツが脱原子力政策に転換、イタリアも国民投票で原子力発電所の再稼働を否決、スイスも将来の原子力廃止を決定するなか、ベルギー政府も2009年に決定した運転延長を見直すことになった。
 政府は2012年7月、ドール1、2号機(合計90万kWe)については、2015年までに閉鎖する方針を示し、チアンジュ1号機(100万kWe)は2015年に閉鎖した場合、冬場の電力供給が大幅に不足する恐れがあるして10年間の運転延長を認め、2025年まで稼動させることを決定した。この決定は、2013年のエネルギー計画として閣議で合意され、閉鎖された原子炉に代わるガス火力あるいは再生可能エネルギー電源の開発促進策や、運転延長による余剰利益の徴収なども合意された。電気事業規制当局の電力・ガス規制委員会(CREG)や送電会社ELIAは、電力需給の逼迫を恐れ、暫定的に1〜2年の運転延長を勧告していたが、政府は1基の運転延長で回避できるとしている。なお、政府とエレクトラベル社やEDFは2013年10月、運転延長10年間のチアンジュ1号機の電力を41.8ユーロ/MWhの固定価格で取得することを合意している。
5.バックエンド政策
 ベルギーでは使用済燃料をフランスへ再処理委託し、抽出したプルトニウムをMOX燃料に加工する路線をとってきたが、1993年に政府は新規の再処理委託を5年間凍結し、バックエンド政策の再検討を行うことを決定した。この再処理の凍結は延長され、現在も続いている。再処理路線変更に従い、エレクトラベル社などが出資した使用済燃料管理会社シナトム社とフランス・コジェマ社(COGEMA、現AREVA NC)との間で締結されたチアンジュ発電所に関する再処理委託契約は破棄された。また、ベルゴニュークリア社がモル・デッセルで運転するMOX成型加工工場(35トン/年)も、2006年の作業を最後に閉鎖された。同社は35年間でMOX燃料約630トンHM(重金属)を製造し、1995年からチアンジュ2号機とドール3号機に装荷するとともに、ドイツ、フランス、スイス、日本にも供給した。なお、MOX燃料加工工場は2008年から廃止措置を開始している。
 放射性廃棄物の処分に関しては、政府は1995年6月にベルギー国内で発生したすべての放射性廃棄物を陸地処分する方針を示している。短寿命・低レベル放射性廃棄物は、2006年6月に中間貯蔵施設の立地するデッセル自治体で処分することが決定され、長寿命の中間レベルと高レベル廃棄物は、深地層処分の研究がモルの粘土層を中心に進行中である。詳しくはATOMICAデータ「ベルギーの放射性廃棄物管理 (14-05-10-03)」、または「外国における高レベル放射性廃棄物の処分(2)−ベルギー、スイス、カナダ編− (05-01-03-08)」参照のこと。
(前回更新:2005年9月)
<図/表>
表1 ベルギーにおける一次エネルギーの推移
表1  ベルギーにおける一次エネルギーの推移
表2 ベルギーにおける電源別発電電力量の推移
表2  ベルギーにおける電源別発電電力量の推移
表3 ベルギーにおける原子力発電所
表3  ベルギーにおける原子力発電所
図1 ベルギーにおける一次エネルギー供給量の年度推移
図1  ベルギーにおける一次エネルギー供給量の年度推移
図2 ベルギーにおける電源別発電電力量の年度推移
図2  ベルギーにおける電源別発電電力量の年度推移

<関連タイトル>
外国における高レベル放射性廃棄物の処分(2)−ベルギー、スイス、カナダ編− (05-01-03-08)
ベルギーの原子力発電開発 (14-05-10-02)
ベルギーの放射性廃棄物管理 (14-05-10-03)
ベルギーの核燃料サイクル (14-05-10-04)

<参考文献>
(1)(社)海外電力調査会:海外諸国の電気事業、第2編、2005年(2005年3月)、p.167-180
(2)日本原子力産業協会:世界の原子力発電開発の動向、2013年次報告(2013年5月)、p.108-109
(3)日本原子力産業協会:原子力年鑑、2014年版(2013年10月)、ベルギー
(4)国際エネルギー機関(IEA):Belgium Electricity and Heat for 1990〜2011
(5)国際エネルギー機関(IEA):Belgium Balances for 1990〜2011、

(6)国際エネルギー機関(IEA):Total primary energy supply、Belgium、
http://www.iea.org/stats/WebGraphs/BELGIUM5.pdf 及びElectricity generation by fuel、
http://www.iea.org/stats/WebGraphs/BELGIUM2.pdf
(7)IAEA発電炉情報システム:Belgium,Kingdom of: Nuclear Power Reactors、

(8)(独)国立環境研究所:附属書I国の温室効果ガス排出量と京都議定書達成状況(2013年提出版、(2011年値))、2013年7月、
http://www-gio.nies.go.jp/aboutghg/data/2013/kp_commitment_130605.xls
(9)世界原子力協会(WNA):Nuclear Power in Belgium(2013年10月)、
http://www.world-nuclear.org/info/Country-Profiles/Countries-A-F/Belgium/
JAEA JAEAトップページへ ATOMICA ATOMICAトップページへ