<大項目> 海外情勢
<中項目> ヨーロッパ各国
<小項目> スウェーデン
<タイトル>
バーセベック原子力発電所廃止をめぐる動き (14-05-04-08)

<概要>
 スウェーデンの民間電力会社シドクラフト社は、スウェーデン政府、バッテンフォール社(国営電力)との間で補償協定が成立したのを受け、1999年11月30日、バーセベック1号機は運転を停止した。1980年の議会決議以来、ほぼ20年間にわたってスウェーデンの政治課題となってきた「脱原子力政策」は、原子力発電所の強制閉鎖という異例の結末を迎えた。
 バーセベック発電所の閉鎖問題は1997年2月の連立政権を形成する3党間での合意であり、1号機を1998年7月1日までに、2号機を2001年7月1日までに閉鎖するとされていた。しかし、2号機の閉鎖には「省エネ、非化石燃料発電等で年間40億kWhの電力損失がまかなわれた場合のみ」との条件がつけられた。
 産業界と労組は、原子力発電所閉鎖に伴う国外からの電力輸入の増加による電気料金の高騰や国際競争力の低下、雇用の確保を危惧して、原子力発電所の閉鎖に強く反対したが、2005年5月31日、バーセベック発電所2号機はついに強制閉鎖された。スウェーデンの原子力発電の割合は、1980年代は30%台であったが、以後上昇の一途を辿り、近年では45%前後に達している。原子力発電による電力は、スウェーデンのエンジニアリング、鉄鋼業、鉱業、林業などの主要産業を支える比較的安価な重要な電力となっている。
<更新年月>
2010年11月   

<本文>
 バーセベック原子力発電所はスウェーデン第3の都市マルメ市の近郊にあり、対岸にデンマークの首都コペンハーゲンが位置する。かねてから原子力発電所の安全性に疑問を持つデンマークはその廃止を要求し続けていた。スウェーデンが「脱原子力政策」を決定した1980年末には6基の原子力発電所が稼動しており、6基の原子力発電所が建設中であった(図1参照)。1996年当時、少数与党であった社民政権は、脱原子力を主要政策に掲げる中央党との間で、原子力発電所の閉鎖問題をめぐり政策を異にしていたが、デンマークからの圧力を理由に、民営であるバーセベック発電所2基を閉鎖の対象としたことで、左翼党を含む3党合意を成立させ、かつ他の国営原子力発電所の温存を図ることになった。
1.バーセベック1号機の強制閉鎖
 スウェーデンの民間電力会社シドクラフト社は1999年11月30日、政府、バッテンフォール社(国営電力)との間で補償協定が成立したのを受け、同日、バーセベック1号機の運転を停止した。「2010年までに全原子力発電所を段階的に閉鎖する」という1980年の議会決議以来、ほぼ20年間にわたってスウェーデンの政治課題となってきた「脱原子力政策」は、民間の電力会社が所有する原子力発電所の強制閉鎖という異例の結末を迎えた。
 1980年、スウェーデン議会は2010年までに原子力発電所を全廃するとの決議を採択したが、電力供給や雇用、経済への影響が大きすぎることを理由に、脱原子力政策は事実上凍結されてきた。1997年2月には、少数与党社会民主党と中央党、左翼党との間で合意に達し、バーセベック1号機を1998年7月1日までに、同2号機を2001年7月1日までに閉鎖することが決まった。しかし、この合意により2010年原子力全廃という閉鎖期限は撤廃された。なお同2号機の閉鎖に関しては、その後に成立したエネルギー再編法で、最終決定を先送りした形で保留されていた。
 1号機閉鎖当日13時にプレス発表された合意文書の骨子は以下の通りである。
(1)バーセベック原子力発電所を運転するバーセベック・クラフト社(シドクラフト社の子会社)とリングハルス原子力発電所を運転するリングハルス社(バッテンフォール社の子会社)は、単一の企業グループとして統合され、シドクラフト社が25.8%、バッテンフォール社が74.2%を所有する。また、今後、バーセベック2号機が政府の決定により閉鎖される場合には、シドクラフト社の所有権は約30%に増加される。
(2)バッテンフォール社は、リングハルス原子力発電所の所有権の一部譲渡に対し、政府から総額約56億5000万クローナの補償を受ける。そのうち約26億クローナは4年分割の現金で支払われる。
(3)政府はバーセベック2号機の単基運転に伴う追加コスト、および同1号機の閉鎖・保守(デコミッショニング)費用も補償する。この補償は年賦で支払われ、初年次には約4億クローナだが、毎年、減額され最終年次には約2億4000万クローナとなる。現在の通貨価値で計算すると、この支出だけで約33億クローナとなり、バーセベック1号機の閉鎖に対する最終的な政府の補償額は約59億クローナ(約740億円)に達する。
(4)バーセベック原子力発電所の発電コストがリングハルス原子力発電所より1kWhあたり約1.4エーレ(100エーレ=1クローナ)高いことから、シドクラフト社はバッテンフォール社に対して、年間約1億1300万クローナを支払う。
(5)バーセベック原子力発電所のデコミッショニングは、シドクラフト社が責任を負い、リングハルス原子力発電所のデコミッショニングは、バッテンフォール社が責任を負う。
 シドクラフト社はこの補償協定により、以前から一貫して主張していた「発電コストと環境コストの点からみてバーセベック1号機と同等な電力」による補償を受けることになった。また、これまで同社が懸念していたのは、バーセベック1号機の強制閉鎖により単基運転となった2号機の発電コストが増大し、経済性の低下から2号機を閉鎖せざるをえないことであったが、同補償協定は単基運転のコストも負担しようというもので、同社にとっては最高の条件であった。
 原子力発電の段階的な廃止という同国の脱原子力政策の一環としての今回の取引は、業界の代表者や国内電力会社の従業員から批判されてきた。スウェーデン電力協会のニースル・アンダーソン会長は、今回の措置が、スウェーデンの環境政策に矛盾する政治的なものであり、国民の支持を受けていないとし、「わが国の環境問題への手堅い取組は成果をあげており、世界の手本となってきた。スウェーデンの発電によるCO2の排出量は現在、1970年の排出量のわずか5分の1であるにもかかわらず、電力消費量は倍増している。残念ながら、政府はこれに逆行し、環境への排出量を激増させることになる決定をしている」と述べ、強い懸念を表明した。表1に脱原子力政策を巡る主な動きを示す。
2.バーセベック2号機の閉鎖
 G.ペーション首相は2000年9月19日、バーセベック2号機の早期閉鎖計画の延期を発表した。これは首相が議会の所信表明の中で、「バーセベック2号機は、1997年に議会で定めた条件をクリアした時点で閉鎖する」というもので、連立政権を形成する3党(社会民主党、左翼党、中央党)が、2001年7月1日までとされたバーセベック2号機閉鎖の期限を延期する合意に達したことを受けて、議会で延期を発表したものである。1997年に3党は「省エネ、非化石燃料発電等で年間40億kWhの電力損失がまかなわれた場合のみ、2号機を閉鎖する」との閉鎖条件を定めており、決定はそれを順守する形となった。
 政府は2003年3月、バーセベック2号機の閉鎖時期を、同機を含む既存炉全てを対象とした原子炉廃止交渉の中で定めることとして、原子力産業界との交渉を続けた。一方、2004年4月の世論調査では1980年の国民投票以来初めて、原子力発電所の閉鎖より維持を望む国民が多いことが示された。既存施設の維持または拡大を望む国民は46%、原子炉寿命が来た時点での閉鎖が34%という結果となった。また、原子力発電の段階的廃止に関する政治的紆余曲折に対し、国際エネルギー機関(IEA)は、2004年6月、費用、安全性、温室効果ガス排出量等について調査し、政策を明確にするよう求めた。このような事情の中、2004年11月スウェーデン政府は、延期されていたバーセベック2号機の閉鎖期限を2005年5月31日に正式に設定し、強制的に閉鎖することになった。閉鎖に伴う政府と電力会社間の補償交渉では2005年11月に以下のように合意されている。
(1)同機を保有するリングハルス社の株式の一部をバッテンフォール社がシドクラフト社に譲渡する。これにより、シドクラフト社によるリングハルス社株式保有率が、25.8%から29.6%に増加する。
(2)政府は株式譲渡で発生するバッテンフォール社の損失、2号機を40年間運転した場合にバッテンフォール社が得られたはずの収益などの計32億クローナを補償する。
 なお、2006年9月の総選挙で、中道右派4党(穏健派、自由党、中央党およびキリスト教民主党)が勝利し、穏健派党首を首班とする4党連立政権が発足。2006年5月次期政権任期中に原子力発電所の閉鎖を要求することはないと宣言し、路線転換した。
3.バーセベック原子力発電所の閉鎖による影響
 2005年5月31日にバーセベック2号機(BWR、61万5,000kW)が強制閉鎖された影響で、発電電力量は約50億kWh減少。閉鎖前の2004年には原子力発電が総発電電力量に占める割合(原子力シェア)は51.1%であったが、2006年の原子力発電による電力量は約650億kWh、総発電電力量に占める原子力発電の割合は48.5%であった。
(前回更新:2001年12月)
<図/表>
表1 スウェーデンの脱原子力政策をめぐる主な動き
図1 スウェーデンの原子力発電所配置図

・図表を一括してダウンロードする場合は ここをクリックして下さい。


<関連タイトル>
IEAによるスウェーデンのエネルギー政策のレビュー(2000年) (01-07-06-11)
スウェーデンの原子力政策および計画(1987年まで) (14-05-04-01)
スウェーデンの原子力政策および計画(1988年以降) (14-05-04-02)
スウェーデンの原子力発電開発 (14-05-04-03)
スウェーデンのPA動向 (14-05-04-07)

<参考文献>
(1)(社)日本原子力産業会議:世界の原子力発電開発の動向 2000年次報告(2001年6月)p.49-51
(2)(社)日本原子力産業会議:原子力年鑑2001-2002年版(2001年11月)p.337-340
(3)(社)日本原子力産業協会:世界の原子力発電開発の動向 2001年次報告(2002年5月)p.87
(4)(社)日本原子力産業協会:世界の原子力発電開発の動向 2010年次報告(2010年4月)p.57、p.102-103
(5)(社)海外電力調査会:海外諸国の電気事業 第1編 2008年版(2008年10月)p.299-322
(6)世界原子力協会(WNA):Nuclear share figures, 1999-2009, http://www.world-nuclear.org/info/nshare.html
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