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<概要>
 ドイツでは、1998年9月末の総選挙結果から脱原子力を主張する社民党(SPD)と緑の党が与党(連立政権)になった。同10月末には脱原子力発電政策等を内容とする今後4年間にわたる両党間での政策協調が示され、政治面から脱原子力発電に拍車がかかることになった。1999年1月にはトリッテイン環境相を中心に2000年1月1日からの再処理契約の禁止等を内容とした脱原子力発電法案(原子力法の改正)が環境省より発表され、これがドイツ国内外に大きな反響を与えた。同年1月26日に政府と業界の代表者で第1回のコンセンサス協議が開かれ、再処理新契約での固定量について事業者が契約を履行することで一致をみた。
<更新年月>
1999年03月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
 1998年9月27日の連邦議会(下院)総選挙で( 表1 および 図1 参照)、社会民主党(SPD)がキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)に大差で勝利をおさめ、社会民主党と緑の党(90年連合・緑の党)との連立政権が発足し、シュレーダー首相(SPD)、トリッティン環境相(緑の党)、ミュラー経済相(経済界出身)らが就任した。同10月に“出発と再生、ドイツの21世紀への道”と題する協調政策が発表され、原子力政策について以下の発表があった。
1.第一次措置
 エネルギー政策に関する項目での「原子力発電からの撤退」政策では、第一次措置の100日計画として、原子力法を改正する。
2.第二次措置
 第二次措置として、原子力発電の終了とバックエンドに関する新たな政策をコンセンサスのなかに取り入れるため、電力会社のコンセンサス協議への参加を求める(コンセンサス協議開催期間は執政後1年間)。
3.第三次措置(放射性廃棄物の処理・処分関係)
 第三次措置において、原子力発電からの撤退を損害賠償なしで規程する法律を制定するなどとし、今後のバックエンド措置として次のものを示した。
・放射性廃棄物のための従来のバックエンド政策を撤回し、新たなバックエンド政策を作成する。
・全ての放射性廃棄物の最終処分は、1箇所の深層における最終処分場とする。
高レベル放射性廃棄物の最終処分場の開設は2030年頃を目途とする。
・ゴアレーベン岩塩層での最終処分の適合性については疑問である。そのため、当地での調査は中止し、他のサイトにおいてその適合性を調査すべきである。
・2005年まで操業予定のモールスレーベンにおける放射性廃棄物の貯蔵は終わり(搬入の終了)とする。
原子力発電所の運転者側が原則として、原子力発電所敷地内あるいはその付近に使用済燃料中間貯蔵施設を設置しなければならない。原子力発電所において許可された中間貯蔵容量がもはや存在しなく、原子力発電所運転運転者が責任を負えない場合には、使用済燃料の輸送許可が交付される。この中間貯蔵は最終処分の目的に利用されるものでない。  表2 に原子力発電所内に設置した使用済燃料貯蔵容量を示す。
4.環境省からの脱原子力発電政策の発表
 1999年1月に入り、環境省(トリッティン環境相)は「脱原子力政策」を発表し、原子力発電所の閉鎖、原子力発電の閉鎖にともなう損害について政府は、電力会社への賠償を行わないこと、原子力促進目的の削除、新規施設の許認可の禁止、再処理の禁止、原子力発電所サイト内での使用済燃料の貯蔵、損害賠償準備金の引き上げ等を示した。なかでも、海外再処理委託の禁止が内外のマスコミで大反響を呼んだ。
 同1月26日に、政府側からシュレーダー首相、トリッティン環境相、ミュラー経済相、電力業界側から8社のトップが参加し、第1回目のコンセンサス協議がボンで開催された。先のトリッティン環境相より提起されていた英仏への再処理委託を2000年1月より禁止し違約金も支払わないという政策は、再処理委託先のCOGEMA社(フランス)とBNFL 社(イギリス)から契約不履行との抗議があり、またフランス政府とイギリス政府からも反発があったので、とりあえず断念することになった。原子力発電所サイトで中間貯蔵施設が建設されるか、この建設許可が発給された段階で再処理を中止することで政府と電力業界との間で一致をみた。
 脱原子力の政府案に対して、ドイツ原子力産業界は強い反対姿勢、とくに原子力発電所早期閉鎖にともなう政府の賠償責任回避に対し、強い反対を示した。政府の新原子力政策(原子力法改正案:原子力発電所の即時閉鎖、海外再処理の早急な中止など)の議会への提出に産業界だけでなく政府内部からも批判がでるようになった。この新政権発足後初の州選挙が1999年2月ヘッセンで行なわれたが、8年続いた新政権側の与党が敗北し、キリスト教民主同盟と自由民主党の連立と交替することになった。
 1999年6月ボンで開かれた、脱原子力をめぐる政府と産業界とのコンセンサス協議では新たな成果はなかったようである。段階的な脱原子力発電路線を主張するミュラー経済相と原子力発電所の即時廃止を主張するトリッティン環境相が真っ向から対立しており、一方産業界は、各原子力発電所の40年間全力出力相当の運転期間後の閉鎖以外には一歩も譲っていない姿勢である。
<図/表>
表1 1998年9月のドイツ連邦議会総選挙結果
表1  1998年9月のドイツ連邦議会総選挙結果
表2 原子力発電所内の使用済燃料貯蔵容量(年)
表2  原子力発電所内の使用済燃料貯蔵容量(年)
図1 1998年9月のドイツ総選挙結果:各政党の勢力分布図
図1  1998年9月のドイツ総選挙結果:各政党の勢力分布図

<関連タイトル>
旧西独の原子力発電の現状および統一ドイツの原子力政策 (14-05-03-01)
旧東独の原子力政策および原子力発電の現状 (14-05-03-02)
ドイツの核燃料サイクル (14-05-03-06)
ドイツのPA動向 (14-05-03-08)
ドイツの原子力発電開発 (14-05-03-03)

<参考文献>
(1) Frankfurter Allgemeine Zeitung(フランクフルト・アルゲマイネ新聞)等,1998.1.15,1998.12.15,1999.1.14,1999.1.15,1999.1.16,1999.1.17,1999.1.18,1999.1.19,1999.1.20,
(2) 日本原子力産業会議(編):世界の原子力発電開発の動向 1998年次報告(1999年5月)
(3) ドイツ社会民主党(SPD)/緑の党政権の脱原発政策に対する法律専門家の見解、原産マンスリー、No.38(1999.1),p10
(4) ドイツ連邦政府と電力業界とのコンセンサス会合がスタート、原産マンスリー、No.39(1999.2),p1-2
(5) COGEMAとBNFL、ドイツ政府の再処理契約破棄に猛反発、原産マンスリー、No.39(1999.2),p9-10
(6) コンセンサス協議、合意に至らず、原産マンスリー、No.43(1999.7),p9
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