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<概要>
 仏政府は、1992年6月に、かねてより注目されていた高速増殖炉スーパーフェニックスの運転再開を当面見合せ、延期する決定を下した。1994年8月3日に運転を再開し、翌日臨界に達した。その後運転と停止を繰り返しながら、1996年には過去最高の95%の稼働率を達成、1997年末に増殖型から燃焼型に改造するため計画停止に入った。1994年6月には革進内閣が発足し、その政府が1998年2月2日スーパーフェニックスの閉鎖を最終決定し、1998年12月30日、廃止措置政令が発行された。
<更新年月>
2000年03月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
 フランスのリヨン郊外クレイ・マルヴィル(CREYS-MALVILLE)にある高速増殖炉実証炉スーパーフェニックス(SUPER-PHENIX(SPX):電気出力124万kW、熱出力300万kW)は、政府の積極的なFBR 開発政策を追い風に照射用の実験炉ラプソディー(4万kW)、原型炉フェニックス(25万kW)に続き、フランスのほかヨーロッパ4カ国が参画する国際プロジェクトとして1985年9月に初臨界、1986年12月に100%出力を達成した。同炉の建設管理運転会社であるNERSA社は、フランス電力公社(EDF)が51%、イタリア電力公社(ENEL)が33%、残りの16%はドイツのRWE電力会社、ベルギーのエレクトラベル社、オランダのSEP社およびイギリスのニュークリア・エレクトリック社からなるコンソーシアムSBK社が出資して設立されている。しかし、夢の原子炉として期待がかけられた同炉は、技術的な問題だけでなく電力需要の低迷やウラン市場の軟化など国内外の情勢変化に左右され、紆余曲線の道のりを歩むことになる。1987年3月の炉外燃料貯蔵槽よりのナトリウム漏えい事故、1990年7月の1次冷却材中への空気混入事故後、スーパーフェニックスは1997年より研究炉として目的を変更し運転を開始しようとしていた( 図1図2図3 参照)。
1.仏政府によるスーパーフェニックス運転再開延期の決定
 フランスのピエール・ベレゴボア首相(社会党)は1992年6月29日、運転再開か否かで注目されていた高速増殖炉「スーパーフェニックス(SPX)」についてコミュニケを発表し、その中で「ナトリウム火災の対策に必要な補修工事の実施」を運転再開より優先させるとして、運転再開を当面延期する決定を下した。同炉は7月3日時点で連続運転停止期間がすでに丸2年を越えたため、フランスの規則に従い、運転再開には許認可手続きのやり直しが必要になっている。
 フランス政府は当初運転再開を支持していたと伝えられているが、結局のところ、運転を再開するか否かの決定は7月3日のデッドラインぎりぎりまで持ち越された。こうした背景には、1993年3月に予定される総選挙に向けての政治的思惑があったといえる。政府与党の社会党は、反スーパーフェニックスの立場を明確に示すことによって、難航していた環境保護政党との連立交渉を有利な方向に進めたいとの考えにあったようだ。しかし、こうした政治的な戦略とは別に、規制当局の原子力施設安全局(DSIN)が「安全性の観点からみて運転再開を全面的に勧告することはできない」という厳しい内容の報告書を
政府に提出していた。
2.スーパーフェニックスが運転再開延期に追い込まれた要因
(1) 運転再開に対する安全当局の厳しい勧告
 DSINのミシェル・ラヴェリ局長は1992年6月16日、スーパーフェニックスの運転再開に関する勧告を原子力許認可担当の環境および産業の2大臣に提出したが、その内容は極めて厳しいものであった。勧告内容をまとめると、次の2点に集約される。
 ・安全性の観点からみて、出力30%で運転期間は最高6カ月といった条件付きで、かつ十分な慎重さをもって行うのであれば、スーパーフェニックスの運転再開は検討に値する。
 ・しかしスーパーフェニックスには、一部に脆弱性と不確定要素があり、安全性の観点からみて、運転再開を全面的に勧告することはできない。
 ラヴェリ局長は、1992年4月にも同様の勧告を提出していたが、ここでの運転再開条件は、出力50%で運転期間は2年というものであった。修正版の形で示された6月16日の勧告は、この条件をさらに厳しくしたことになる。
 2つの勧告の中で指摘されたスーパーフェニックスの技術上、安全上の問題点をまとめると、次の3点に集約される。
a.解明されていない炉心反応度低下事象
 スーパーフェニックスの原型モデルとなった「フェニックス」では、炉心の反応度異常低下事象が1989年に3回、1990年に1回と合計4回発生しているが、この原因は未だに解明されていない。反応度異常の現象を理解し、この現象がスーパーフェニックスに与える影響を分析し、そして結果的に危険性のないことを検証する必要がある。
b.二次系建屋内でのナトリウム火災の潜在的な危険性
 1985年にフランス電力公社(EDF)が提出した安全報告書では、二次系ナトリウム配管がギロチン破断を起こした際の火災の発生について解析されているが、楽観的な解析結果であり、より現実的な想定シナリオに従えば、二次系ギャラリーも二次系建屋もナトリウム火災に耐えられるものではない。
C.困難な炉内検査
 原子炉圧力容器内部の検査は、軽水炉の場合、数日間で現位置検査を行うことが可能である。これに対しスーパーフェニックスの場合には、燃料の取り出しとナトリウム冷却材の排出が必要となり、数年間の停止を伴うことになる。また、容器内に空気が侵入することで金属が腐食し、取り返しのつかない損傷を招く恐れがある。炉内検査が不可能であれば、当然ながら、その安全性を検証することもできない。
(2) 環境保護派の勢力拡大
 フランスの現在の環境保護政党は、1981年の大統領選挙に出馬した元環境大臣のブリス・ラロンド氏の率いる「エコロジー世代」と、1988年の大統領選挙に出馬した活動家アントワーヌ・ヴェシュテール氏の率いる「緑の党」によって代表されるが、エコロジー世代が現実主義的であるのに対し、緑の党は原理主義的で、政党組織として必要不可欠な柔軟性に欠けている。原子力政策に関しては、エコロジー世代は原子力発電を容認しているものの、プルトニウム・リサイクルには反対で、許認可発給権限を有する環境大臣時代にラロンド氏は、混合酸化物燃料(MOX燃料)加工工場(メロックス工場)の設置許可の発給を拒否している。一方、緑の党はよりラディカルな政策を揚げ、原子力発電からの撤退を要求している。
 これら2つの政党の間には、一種の確執が存在しているといえるが、スーパーフェニックスの運転再開問題をきっかけに、両党はにわかに歩み寄りを見せていた。運転再開反対を訴える共同コミュニケを発表しただけでなく、それぞれの党首であるラロンドおよびヴェシュテールの両氏はスーパーフェニックス問題についてベレゴボワ首相との3者会談を実現させるなど、政府にさらなる圧力を加えていた。
 ベレゴボワ首相の再開延期決定に対し、ラロンドおよびヴェシュテールの両氏は、「賢明な決断」であるとして歓迎の意を表した。この決定により、緑の党は社会党内閣への参加条件として示した5つの要求項目のうち、「ムルロワ環礁における核実験の一時中止」に続く2つ目の要求を受け入れさせたことになり、同党にとってこの決定は、文字どおり「2度目の勝利」を意味する象徴的な出来事となった。
3.スーパーフェニックスの運転再開
 このように、再開延期の決定は環境保護政党を大いに満足させたが、一方、スーパーフェニックスの推進論者を大いに落胆させるに至った。しかし、この決定は、推進論者を全くの絶望の淵に追いやったというわけでもなかった。というのは、スーパーフェニックスは永久的に閉鎖されたのではなく、1992年7月3日をもって許可を失っただけだからである。また、首相のコミュニケの中には、原子力発電に対する支持や、廃棄物焼却のための研究炉への転換の可能性も言及されていた。そこで、問題は、運転再開の可能性はどの程度あるか、また、その際の運転方式の転換、事業運営体制の見直しといった点はどうであろうか、ということであった。運転再開に向けての解決策は、以下の3点である。
 ・仕切り直しで新たに設置許可を得る必要があり、特に「意見公聴」手続きをどのようにクリアするか。
 ・増殖炉からアクチニド燃焼の研究炉への転換という案がどこまで実現され得るか。
 ・同炉の所有会社で、多国籍のコンソーシャムであるネルサ(NERSA)社の資金負担増大をどのように解決するか。
 政府は1992年6月、a)長寿命放射性廃棄物の燃焼についてのスーパーフェニックスの貢献可能性、b)地元意見調査の実施、c)追加的な2次系ナトリウム火災対策の実施を運転再開の条件とすることを決めた。 このうち、長寿命放射性廃棄物燃焼への貢献可能性は、1992年12月、研究省が肯定的に評価した報告書を提出したのに続いて、1993年3〜6月には地元意見調査が実施され、安全面での当局の合意があれば、運転再開に賛成との報告書が10月に提出された。安全当局は1994年1月、一定の条件で運転再開を認める報告書を提出した。
 これを受けて政府は2月、運転再開の主目的を長寿命放射性廃棄物およびプルトニウムの燃焼の研究・実証とし、発電を副次的なものと位置付けるとともに、2次系ナトリウム火災対策の実施、および研究計画の作成と評価を運転再開の条件とする声明を発表した。 その後、同炉は1994年8月4日、再臨界に達した。1990年7月の運転停止からほぼ4年ぶりであった。
4.政府スーパーフェニックスの閉鎖最終決定(1998年2月)
 営業運転を開始した後、いくつかのトラブルに見舞われ、1990年7月から4年間、運転を停止したため、いったんは運転認可を喪失したが、1994年7月に再認可を取得、1991年の廃棄物法で義務づけられたプルトニウム燃料とマイナーアクチニドの消滅処理研究という新たな役目が与えられた。その後、運転と停止を繰り返しながら、1996年には過去最高の95%の稼働率を達成、年末に増殖から燃焼炉に改造するため計画停止に入った。
 こうしたなかフランス最高裁は1997年2月、環境団体が起こした訴訟で、運転目的が一貫していないことを理由に1994年の運転認可を無効とする判決を下した。ジュペ首相(当時)は政令を改定することで決着をつけたが、その手続きが完了しないまま、1996年6月、社会党・共産党・緑の党の連立政権が誕生し、ジョスパン新首相は、就任演説のなかで緑の党との公約であった同炉の放棄を発表した。突然の決定に対して、スランス原子力産業界や地元住民らは、同炉の研究意義や経済波及効果を理由に閉鎖に強く抗議していたが、1998年2月2日関係閣僚会議で正式に即時閉鎖が決定され、1998年12月30日ジョスパン首相は廃止措置を許可する政令に署名し、解体プロジェクトの第1段階の開始を許可した。 表1 にスーパーフェニックスの運転経過を示す。
5.スーパーフェニックス閉鎖概要
 スーパーフェニックスの解体プロジェクト第1段階は炉心から燃料を取り出し(約18ヶ月間)、1次系、2次系からのナトリウムの抜取り、安全性と関係のない発電機器、蒸気発生器建屋などの非原子力設備の解体などがある。第1段階は数年を要すると予想され、2005年以降に最終的な解体作業を行う予定である。ナトリウムの抜取りは炉心を取出したあとに行われるが、放射能に汚染された一次系ナトリウムが3,300トン、ほとんど汚染されていない二次系ナトリウムが1,550トン、炉外の燃料貯蔵槽に670トンであり、EDFはナトリウム放射能除去のための不純物浄化を検討している。抜取られたナトリウムは凍結され、サイト内で約20年貯蔵された後段階的に廃棄される(ナトリウム22:半減期2.6年)。また、炉心から熱を得られなくなったナトリウムは固化して抜取りが不可能になることから、安全容器に加熱ヒーターと断熱材を取り付けるスタッド溶接が必要となる。EDFはノバトム社のスタッド溶接影響解析による安全面確認後,1999年3月初めより作業を開始している。
5.1 スーパーフェニックスの停止にともなう費用
1)諸費用
 スーパーフェニックスの停止に伴う全出費の支払い期日が、今回の即時停止の決定によって前倒しされることになった。
 投入される費用は、全体で165億フラン(約3,300億円)にのぼる。
 ・未払いの借入金に41億フラン(約820億円)
 ・2炉心分の燃料集合体(1炉心は照射済、もう1炉心は未照射)の再処理に27億フラン(約540億円)
 ・解体終了後の作業に37億フラン(約740億円)
 ・解体に60億フラン(約1,200億円)
2)EDFの財政的影響
 EDFは総額165億フランのうち、約135億フランをEDF(NERSA株式の51%を所有する筆頭株主)が負担し、残り30億フランを他のNERSA出資会社(イタリア電力公社:33%、SKB:16%)が負担する。EDFはすでにスーパーフェニックス閉鎖費用として80億フランを積みたてており、1997年には45億フランの追加予算を計上している。準備金を積み立ててきた。1997年の同社の会計報告では、共同参加企業との交渉およびこれまでの積み立て額を考慮し、45億フラン(約900億円)の補足的な資金の積み立てを行った。
3)地元への補償措置
 閉鎖決定に伴い、クレイ・マルヴィルの再活性化を図るため、地元への財政的優遇措置に関するプログラムが提示されている。政府は経済発展と雇用創出を支援するための経済開発基金を設立し、年間1,000万フラン(2億2,000万円)を5年間にわたって供出し、EDFがこれに500万フラン(1億1,000万円) /年を上乗せする。また経済的・社会的環境の整備、企業の創設、企業の誘致、雇用問題も検討されている。
<図/表>
表1 高速増殖実証炉スーパーフェニックスの運転経過
表1  高速増殖実証炉スーパーフェニックスの運転経過
図1 高速増殖実証炉スーパーフェニックス周辺地図
図1  高速増殖実証炉スーパーフェニックス周辺地図
図2 高速増殖実証炉スーパーフェニックス外観図
図2  高速増殖実証炉スーパーフェニックス外観図
図3 高速増殖実証炉スーパーフェニックス断面図
図3  高速増殖実証炉スーパーフェニックス断面図

<関連タイトル>
世界の高速増殖炉実証炉 (03-01-05-03)
フランスの高速増殖炉研究開発 (03-01-05-05)
フランスの原子力政策および計画 (14-05-02-01)
高速増殖実証炉スーパーフェニックスをめぐる動き (14-05-02-08)

<参考文献>
(1) (株) アイ・イー・エー・ジャパン:「欧州原子力情報サービス」No.112 1992年7月
(2) (社)日本原子力産業会議:「原子力年鑑 1997年版」、p319、1997年10月
(3) (社)日本原子力産業会議:原産マンスリー、No.29,19-25(3/4.1998)
(4) 欧州事務所 原子力チーム:キャスタン委員会、スーパーフェニックスに関する報告書の提出(フランス)、海外電力、1996年11月号
(5) (社)日本原子力産業会議:原子力年鑑 平成8年版、1996年10月 p118-120
(6) (社)日本原子力産業会議:原子力産業新聞、第1895号(1997年6月26日)
(7) (社)日本原子力産業会議:原産マンスリー、No.21、p1-4(1997.7)
(8) 仏スーパーフェニックスの検討状況資料7-2号
(9) (社)日本原子力産業会議:「原子力年鑑 1999/2000年版」、p165-167、1999年10月
(10) (株) アイ・イー・エー・ジャパン:「欧州原子力情報サービス」No.179 1998年2月
(11) フランス大使館(米国)ホームページ
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