<大項目> 放射線影響と放射線防護
<中項目> 原子力施設に係わる放射線防護
<小項目> 放射線防護の基礎
<タイトル>
ICRPによる放射線防護の最適化の考え (09-04-01-07)

<概要>
 国際放射線防護委員会ICRP)の報告では一貫して、被ばく線量被ばく人数ともにできるだけ小さく抑制する努力が必要であることが勧告されてきた。これは、これまでの科学的知見から晩発性の発がん等の確率的影響に関しては線量に明確なしきい値がなく、被ばく線量を低減すればするほど確率的影響をより小さくできるという考えに基づくものである。他方、被ばく線量をより小さくしようとするとより大きな費用が必要となるので、過度に対策を行うと、得られる便益に見合わない費用が発生する可能性がある。そこで、1977年の勧告では費用と便益の観点から放射線防護の最適化を図るという考え方が明示され、理想的には、被ばくを伴う行為を受け入れることができるかどうかは、費用−便益分析の結果に基づいて合理的に決定すべきことが示された。1990年勧告でも大筋でこの考え方を踏襲している。こうした中で、具体的な費用−便益分析の方法論に関して検討が進められてきたが、定量的な分析には限界があり、現実的な意思決定には金銭価値としては定量化しにくい社会的要因を考慮する必要があるということが強調されるようになった。この考え方は2007年勧告において特に強まり、「合理的に達成できる限り低く」という最適化の基本理念は継承されているが、集団線量や費用−便益分析に基づく定量的な防護の最適化については重視しない姿勢が示されている。
<更新年月>
2012年02月   

<本文>
 国際放射線防護委員会(ICRP)は放射線防護の目的を以下のように定義している。
(1)放射線被ばくを伴う行為であっても明らかに便益をもたらす場合には、その行為を不当に制限することなく人の安全を確保すること。
(2)個人の確定的影響の発生を防止すること。
(3)確率的影響の発生を減少させるためにあらゆる合理的な手段を確実にとること。
 ICRPはこれらの目的を達成するために、放射線防護体系に、正当化、最適化、線量限度という三つの基本原則を導入することを勧告している。このうち、最適化に関する考え方について歴史的経緯と現在の適用状況について以下に解説する。
1.放射線防護の最適化の考え方の歴史的変遷
 国際放射線防護委員会(ICRP)の報告では一貫して、被ばく線量、被ばく人数ともにできるだけ小さく抑制する努力が必要であることが勧告されてきた。これは、これまでの科学的知見から晩発性の発がん等の確率的影響に関しては線量に明確なしきい値がなく、被ばく線量を低減すればするほど確率的影響をより小さくできるという考えに基づくものである。他方、被ばく線量をより小さくしようとするとより大きな費用がかかり、過度に対策を行うと、得られる便益に見合わない費用が発生する可能性がある。そこで、費用と便益の観点から放射線防護の最適化を図るという考え方が生まれ、具体的に勧告に盛り込まれるようになった。これまでのICRP勧告の内容は以下のように変遷してきている。
(1)1950年勧告では、ある種の放射線の影響は非可逆的かつ蓄積的なものであることからみて、すべてのタイプの放射線に対する被ばくを可能な最低レベル(the lowest possible level)にまで低減するためのあらゆる努力を払うべきであるとした。
(2)1954年勧告では、すべての放射線被ばくは、実行可能な最低レベル(the lowest practicable level)に保つべきであるとした。
(3)1958年勧告(ICRP Publication 1)では、あらゆる線量は実行可能な限り低く(as low as practicable)保ち、不必要な被ばくはすべて避けるべきであるとした。
(4)1965年勧告(ICRP Publication 9)では、どんな被ばくでもある程度の危険を伴うことがあるので、いかなる不必要な被ばくも避けるべきであること、また、経済的及び社会的な考慮を計算にいれたうえ、すべての線量を容易に達成できる限り低く(as low as readily achievable)保つべきであるとした。その後、このreadilyの意味するところは、より正確には、reasonably(合理的に)で表されることが明らかにされた(参考文献6)。
(5)1977年勧告(ICRP Publication 26)では、主な特徴が次の3つの原則で表される線量制限体系を勧告した。
 (a)いかなる行為も、その導入が正味でプラスの利益を生むのでなければ、採用してはならない。(行為の正当化
 (b)すべての被ばくは、経済的及び社会的な要因を考慮に入れながら、合理的に達成できる限り低く(as low as reasonably achievable)保たれねばならない。(放射線防護の最適化)
 (c)個人に対する線量は、委員会がそれぞれの状況に応じて勧告する限度を超えてはならない。(個人の線量限度)
 このうち、「最適化」は実際的な放射線防護の主要部分であると考えられ、理想的には、被ばくを伴う行為を受け入れることができるかどうかは、費用−便益分析の結果に基づいて合理的に決定すべきであるとされた。
(6)1990年勧告(ICRP Publication 60)では、放射線被ばくに関連する人間活動を行為と介入に区分し、それぞれについて最適化に関する勧告を行った。また、この勧告において従来使用されていた用語の「線量当量」は「線量」に代えられた。さらに、放射線防護の最適化に際して、例えばある行為(被ばくを伴う人間活動)に関して幾つかの選択肢がある時、1977年勧告では、個人線量限度(すべての線源からの被ばく線量の合計に対する制限)を超える被ばくが起こると予測される場合にその選択肢を棄却することとしていた。しかし、1990年勧告では、当該行為に関係する線源による線量拘束値(個々の線源から受ける線量の制限値)を超える被ばくが起こると予測される場合にはその選択肢を棄却するという、より厳しい制限を勧告している。線量限度と線量拘束値の関係の関係を図1に示す。
(7)2007年勧告(ICRP Publication 103)では、防護の最適化の考え方として、どんなに低い線量でも確率的影響(発がん)のリスクがあると仮定して防護活動を行う。平常時には線量限度(患者の医療被ばくを除く)以下に線量拘束値を設定し、これを目安に合理的に可能な限り被ばくを低減する(as low as reasonably achievable:ALARA)対策を講ずるのが最適化の基本概念である。最適化をより重視する防護体系への移行は、実利主義的倫理観から義務論的倫理観への重心移動であり、社会全体の防護から個人にとって何が最良かという個人の防護をより強調する変化である。2007年勧告では、集団線量や費用−便益分析が1990年勧告に比べて重視されていない。例えば、微量な個人線量から集団実効線量を求め、発がんの人数を推定することは避けるべきとしている。
2.放射線防護の最適化のための費用−便益分析
 1977年勧告では、提案された放射線被ばくをもたらす操業あるいは行為を受入れることができるかどうかは、理想的には費用−便益分析によって決定すべきとした。ただし、定量的な分析手法による結果以外にも決定に関与する要因があるため、一般工学における最適化と同じように放射線防護における最適化も最終的には総合的判断によって行われるべきものであり、社会的規範や専門家の経験に基づく直観的判断の重要性も認識されていた。
 放射線被ばくに関係する操業あるいは行為の正味の便益Bは、その粗便益Vと次の3成分、すなわち、基礎的生産費用P、ある防護レベルを達成するための費用X、被ばくによる損害の費用をYとすれば、次式で表される。
    B=V−(P+X+Y)
 これらの費用変数の独立変数を集団線量Sとする時、多くの行為では、V及びPは集団線量に関係しない。そこで、最大の便益を得るには(X+Y)を最小にするSを求めるか、あるいは、これを
    (dX/dS) =− (dY/dS)
の形の微分費用−便益分析によって、最適化された集団線量を含む解を求める(図2)。
 費用−便益分析を具体的な手法として用いるために、1977年勧告では、集団線量を金銭価値に換算する係数として単位集団線量あたりの基準価値であるα値($/manSv)を導入した。表1は文献に表わされたα値の種々の推定値である(参考文献6、8)。
 ICRP Publication 37「放射線防護の最適化における費用−便益分析」(1983)では、最適化への道筋を費用−便益解析を用いて明確にした。それとともに、防護の問題を分析して最適解を見出すための定量的手法として費用−便益分析に焦点をあて、その方法論と適用の具体例を示した。この報告書の主要な論点は、放射線損害の費用は集団線量に単純に比例するのではなく、集団線量を構成する個人線量の大きさによって変化するとし、追加的ないわゆるβ項を導入したこと(Y=αS+βΣ[個人線量によって決まる荷重をつけた集団線量成分])であった(参考文献9、10)。このβ項は、リスクや規制に対する態度によって決まる心理的要因項ともいえる。さらに、放射線損害の費用が幾つかの項の和として表されるとし、経済的及び統計的に客観的に推定できる項をYhとすると、客観的放射線健康損害は集団線量に比例して Yh=αS が成り立つとした。また、金銭価値の時間的目減りに対する補正の方法が提案された。
 その後、現実的な意思決定には、金銭価値としては定量化しにくい社会的要因を考慮する必要があるということが強調されるようになった。ここで、要因とは、防護オプションが持つ価値あるいは性能を意味し、それらは例えば、経済的費用、集団線量、最大個人線量、訓練の必要性、防護衣着用の不快感などである。
 ICRP Publication 55「放射線防護における最適化と意思決定」(1989)では、防護の最適化の一般概念から意思決定の様々なレベルや状況における最適化の手順について総合的に流れ図を示すことなどにより、定量的な意思決定支援手法の適用性についても明確化を図った。例えば、設計時の最適化の手順を示したものが図3である。
3.医療被ばくにおける患者防護の最適化
 医療分野において人体に放射線を照射するのは、診断に必要な画像を得る、がん細胞を死滅させるといった診断・治療上の目的があるからである。これらの目的を達成できないほどに線量を下げては照射による便益を失うこととなる。そのため、患者に対する防護の最適化は「患者の放射線量が医療目的に見合うよう管理すること」と表現できる。
4.環境放射線被ばくの制限に対する放射線防護の最適化の適用
 放射線防護体系は、かつては自然放射線への被ばくに関して適用の範囲外とされてきたが、近年屋内ラドン濃度調査によって、高ラドン濃度を有する家屋が見いだされたため、ICRP Publication 39「自然放射線源に対する公衆の被ばくを制限するための諸原則」(1983)において考え方が変更された。現在では防護措置(対策レベル200Bq/cm2ラドン平衡等価濃度で)が勧告されており、最適化の観点からもその被ばくは合理的に達成できる限り低く保つべきであると考えられている(参考文献14)。
(前回更新:2002年2月)
<図/表>
表1 α値(マンシーベルト当りのコスト)の文献値
図1 線量限度と線量拘束値との関係
図2 費用−便益分析
図3 設計時の最適化の手順

・図表を一括してダウンロードする場合は ここをクリックして下さい。


<関連タイトル>
放射線被曝によるリスクとその他のリスクとの比較 (09-04-01-03)
ICRPによって提案されている放射線防護の基本的考え方 (09-04-01-05)
ICRPによる放射線被ばくを伴う行為の正当化の考え (09-04-01-06)
ICRP勧告(1990年)による個人の線量限度の考え (09-04-01-08)

<参考文献>
(1)ICRP:Publication 60,訳本「国際放射線防護委員会の1990年勧告」、日本アイソトープ協会(1991)
(2)ICRP:1950年勧告、Radiology, 56, 431-439, 1951, and Br.J.Radiology, 24, 45-53, 1951
(3)ICRP:1954年勧告、Br.J.Radiology, Supplement 6 (1955).
(4)ICRP:Publication 1,訳本「国際放射線防護委員会勧告(1958年9月採択)」、日本放射性同位元素協会、仁科記念財団(1960)
(5)ICRP:Publication 9,訳本「国際放射線防護委員会勧告(1965年9月17日採択)」、日本アイソトープ協会、仁科記念財団(1967)
(6)ICRP:Publication 22,訳本「線量は容易に達成できるかぎり低く保つべきであるという委員会勧告の意味合いについて」、日本アイソトープ協会、仁科記念財団(1975)
(7)ICRP:Publication 26,訳本「国際放射線防護委員会勧告(1977年1月17日採択)」、日本アイソトープ協会、仁科記念財団(1977)
(8)稲葉 次郎:コスト・ベネフィット比較におけるマン・レムの価値、保健物理、12,109-116(1977)
(9)ICRP:Publication 37,訳本「放射線防護の最適化における費用−便益分析」、日本アイソトープ協会(1985)
(10)ICRP:Publication 42,訳本「ICRPが使用しているおもな概念と量の用語解説」、日本アイソトープ協会(1986)、p.24-25.
(11)ICRP:Publication 55,訳本「放射線防護における最適化と意思決定」、日本アイソトープ協会(1992)
(12)伴 信彦ほか:ICRP Publication 55の概要について、保健物理、25,41-48(1990)
(13)ICRP:Publication 39,訳本「自然放射線源に対する公衆の被曝を制限するための諸原則」、日本アイソトープ協会(1985)
(14)下 道国:”ICRP Publication 39,「自然放射線源に対する公衆の被曝を制限するための諸原則」について”、保健物理、19、369-374(1984)
(15)伴 信彦:医療被ばくの正当化と最適化、保物セミナー2009
(16)ICRP:Annals of the ICRP, ICRP Publication 105,(日本語訳)医療における放射線防護、平成22年5月、http://www.ICRP.org/docs/p105_Japanese.pdf
(17)佐々木康人:放射線防護の最適化、Isotope News 2011年(No.689)9月号 p.7-11
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