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<概要>
 ベラルーシ共和国のネスヴィシェという町の農産物や医療用製品をコバルト60線源による放射線で殺菌を行う施設で、輸送システムに異常が起き、これを直そうとした34歳の熟練技術者が全身に11Gy、局所で20Gyの被ばくをし、113日後に死亡した。この技術者は、工学の学位を持ちこの施設で最もこの装置に慣れていたにもかかわらず、被ばくしたときは、どういうわけか安全対策を無視し、しかもフィルムバッジやクオーツ(直接に読み取る)タイプの線量計など、被ばく線量を感知するものは、いっさいはずしていた。熟練者に起こってしまった事故である。
<更新年月>
1999年03月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
1.事故の発生状況
 旧ソ連内 、ベラルーシ(Belarus,ベラルーシュ、白ロシア)共和国の首都ミンスクから西南95km(注1)離れたところにネスヴィシェ(Nesvizh)という町がある( 図1 )。ここに在る農産物や医療用製品の殺菌工場(Biochemical Plant of the Pharmindustry Corp.)において、今回事故をおこした放射線殺菌装置( 図2 ;コバルト60,30PBq(800kCi))は1984年から稼動していた。この施設は6交代制で24時間動いていた。この施設を運転する者は工学の学位を持っているか特別の技術教育を受けていなければならず、操作する免許を維持するためには時々行われる試験に合格しなければならなかった。安全装置は毎月検査され、事故の前日の記録では、特に問題はないとされていた。
 1991年10月26日はこの技術者と助手が当たっており、朝3時40分ごろ助手はこの照射物輸送装置からの異常音に気づき、操作室で新聞を読んでいた技術者に知らせた。この操作盤( 図3 参照)では、放射線を出すためには、即ち線源が出てくるためには、まず鍵(Key)を入れ90度回さなくてはならず、鍵を抜くと線源は遮蔽されるようになっている。その後、上昇(Up)のボタンを押すと実際に線源が下から出てくるし、下降(Down)のボタンを押すと線源は落下して遮蔽される( 図4 参照)。もちろんその技術者は下降のボタンを押した可能性はあるが、鍵を抜かなかったことを認めており、事故の後になって鍵は照射の位置になっていたことがわかっている。
 技術者は照射室に入り照射物輸送装置を元どおりにしようとした1分後急に頭痛がおこり、同時に関節痛を感じ、次第に気分が悪くなり呼吸をするのも苦しくなってきた。左を振り向いたら線源が照射の位置にあるのに気づいた。緊急停止ボタンも押さずにあわてて飛び出し、被ばくしてしまったことを助手に知らせた。すぐに、地元の病院と警察に電話をし、20分もかからないうちに技術者は病院に収容された。技術者の報告及び、吐き気、頭痛、疲労感など急性放射線症を示す症状から重度の放射線被ばく症であることは明らかである。被ばく4時間後にはミンスクへ、16時間後にはチェルノブイル事故などの多くの放射線被ばくの治療経験があるモスクワの専門病院(Institute of Biophysics)に送られた。
2.事故者の被ばく線量
このような放射線による被ばく事故では、被ばくした線量を正しく評価することが治療方針の決定に重要であり、いくつかの方法で行われた。まず、事故時にとった行動の聞き取り調査、線源との位置や時間との関係など“現場検証”が行われた( 図5 参照)。その結果おそらく8〜16Gyだろうという結論になった。次に、採取された血液中のリンパ球と好中球数の減少するスピードから9〜11Gy、また染色体異常の発現頻度から11±1.3Gyと推定された( 表1 )。このほかにも、放射線等に照射されると歯、骨、衣類では分子運動の状態が変わる原理を利用したElectron Spin Resonance(ESR)法で、この技術者の着ていたベストのウエストの部分から 図6 のような被ばく線量が推定された。不幸にして死亡した後の剖検(解剖)時に得られた歯、爪もESR法によって測定した。特に歯のエナメルからは14.5±0.7Gyという結果が得られた。
3.事故者の経過と治療
 この技術者は地元の病院に運ばれたとき、少し興奮状態で疲労感、頭痛、腹痛を訴え、嘔吐を続けた。被ばく2時間後、血圧が下がり、体温は38.5℃に上昇し、精神状態も興奮状態から抑制状態に変わってきていた。重度の放射線被ばく症と診断され、チェルノブイリ事故など被ばく症例に多くの経験をもつモスクワ第6病院ミンスクまで転送される事になった。ミンスクまでの200kmは救急車、モスクワまでの800kmは飛行機で輸送された。
 モスクワの病院では顔、首、手に紅斑が現われ、唾液腺は腫れて血液中のアミラーゼは正常の5倍にもなっていた。重症被ばくと判断され、消化管の細菌を殺す療法や、血液が血管で固まらないようにヘパリン(抗凝固薬)が投与された。同時に骨髄移植のために姉が呼ばれ、患者と姉の血液は検査のためにオランダのライデンに運ばれた。骨髄細胞の染色体分析結果を表1に示す。しかしながら、血液のさまざまな型を調べた結果、すべてが姉のものと一致していないことが判明したこと、腸管や皮膚(臀部については 図7 、足については 図8 参照)の障害がひどく移植に耐えられるかどうかもはっきりせず、結局骨髄移植は行わず、造血を促進する顆粒球コロニー刺激因子(GM-CSF)やInterleukin-3(IL-3)が投与され、白血球の一つである顆粒球にはある程度の効果を示し増加が見られたが((4.E3から10.E3)個/m3、成人の通常値は(2.3E3〜8.5E3)個/mm3、(文献2参照))、血小板には効果がなかった。さらに腸管粘膜のただれによる栄養状態の低下(体重減少は20kg)、全身の脱毛と激しい放射線熱傷(やけどと同じ)、口腔粘膜のただれ・潰瘍、さらに肺のヘルペスウィルスによる感染・肝炎もあるなど、全身状態は一向によくならなかった。肺には漏出液が多量に溜まり、結局被ばく113日後には、呼吸不全のため亡くなってしまった。死後の剖検(解剖)からは、肺に真菌(カビ)による感染・出血・ひどい肺組織の破壊、胃の大量出血と機能不全等が主な所見として示された。
(注1):MinskからNesvizhまでの距離は地図(自動道アトラス、モスクワ,1988)から読取った。
<図/表>
表1 患者の骨髄細胞の染色体分析結果
表1  患者の骨髄細胞の染色体分析結果
図1 ベラルーシ共和国の町
図1  ベラルーシ共和国の町
図2 放射線殺菌施設平面図
図2  放射線殺菌施設平面図
図3 放射線線源操作盤
図3  放射線線源操作盤
図4 放射線線源、バランス重み、可動機構の配置
図4  放射線線源、バランス重み、可動機構の配置
図5 放射線被ばく時の事故者の位置
図5  放射線被ばく時の事故者の位置
図6 ESR法により推定された胴回りの吸収線量
図6  ESR法により推定された胴回りの吸収線量
図7 放射線被ばくによる臀部の皮膚損傷
図7  放射線被ばくによる臀部の皮膚損傷
図8 放射線被ばくによる足の皮膚損傷(左足の静脈炎)
図8  放射線被ばくによる足の皮膚損傷(左足の静脈炎)

<関連タイトル>
放射線の急性影響 (09-02-03-01)
放射線の皮膚への影響 (09-02-04-04)
チェルノブイリ原子力発電所事故の概要 (02-07-04-11)

<参考文献>
(1)The radiological accident at the irradiation facility in Nesvizh. IAEA,Vienna,1996
(2)R.F.シュミット(佐藤昭夫監訳):コンパクト生理学、医学書院(1997.4)
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