<大項目> 放射線影響と放射線防護
<中項目> 環境中の放射能
<小項目> 環境放射線による被ばくおよびその評価
<タイトル>
電子スピン共鳴法による人体の放射線被ばく線量評価 (09-01-05-12)

<概要>
 歯は人体唯一の硬組織である。放射線電離作用により生じた不対電子が、歯のエナメルに蓄積しているのを電子スピン共鳴(ESR:Electron Spin Resonance)で検出すると、人体の放射線被ばく線量を求めることができる。歯のエナメルは、リン酸カルシウムの一種であるヒドロキシアパタイトが98%(歯髄は60%)あり、残りは有機物である。不純物としてマイナス2価の炭酸イオンを含み、放射線被ばくによってマイナス1価のCO2が生じる。歯髄を除去して有機物の信号を減らし、既知の放射線量を付加照射して信号強度の増大から被ばく線量を求めることができる。広島、長崎の原爆放射線の被ばく線量評価やチェルノブイリなど原子炉事故、セミパラチンスク核実験場周辺住民の被ばく線量の調査、JCO臨界事故でも利用された。貝殻ボタンや家庭の砂糖も被ばく評価に利用された。電子スピン共鳴による線量計や年代測定にも関連する、ESRの原理と装置および抜歯せずに直接歯を測るESR人体線量計について述べる。
<更新年月>
2006年01月   

<本文>
1.電子スピン共鳴(ESR:Electron Spin Resonance)の原理と線量計則
 電子は負の電荷をもつ球体であるとする。電子の自転(スピン)によって、回転方向とは逆の方向に円環電流が流れる。電磁気学によると、円環電流によって図1(a)に示すように磁場が生じる。したがって、電子の周辺には図1(b)に示すような磁場が生じ、電子スピンは小さな磁石と等価な性質を持つ。ESRと類似の手法として知られるNMRでは、正の電荷を持つ原子核の自転が核スピンとしての磁気モーメントを持ち磁性を示す。電子スピンは核スピンの1000倍程度の磁気モーメントを持つ(参考文献1-3)。
 分子や固体では、電子はスピンの方向が互いに逆のものが対をなしており、磁性を示さない。しかし、光や放射線の電離、有機物の酸化や有機分子から水素原子を引き抜く化学反応によっても、不対電子を持つ分子種であるラジカルができる。
 初等量子力学によると、電子スピンはS=1/2のスピン角運動量を持つ。外部磁場方向(z)の量子数Mは、M=1/2 とM=−1/2 の磁場方向に“平行”と“反平行”に量子化されている。S=1/2 の1個の電子スピンの場合は、図1(c)に示すようにゼーマン効果でMの値により2種類のエネルギー状態、E(1/2)とE(−1/2)に分離する。
 ここで周波数νヘルツ(Hz)の電磁波が入射されると、入射した電磁波の量子エネルギーは、プランク定数hを用いてhνであり、ゼーマンエネルギーの分離幅が一致するとき、
     hν = E(1/2) − E(−1/2) = gβH        (1)
となり、図1(c)に示すようにマイクロ波を吸収してエネルギー準位間にスピンの遷移が起こる。ここでβはボーア磁子と呼ばれる磁石の最小単位であり、gは分光学的分離定数またはg因子と呼ばれ、2に近い数値である。これが電子スピン共鳴(ESR)である。
ESRスペクトロメータ:マイクロ波吸収を磁場の下で測定するESR装置は、マイクロ波発振器(ガンダイオード、普通はX−バンドの9GHz)と試料を挿入する空洞共振器(損失の少ない円筒型が望ましい)、磁場を掃引する電磁石、さらにマイクロ波電力を検出するダイオードなどからなり、光吸収分光装置と似ている。マイクロ波周波数は自動周波数制御(AFC)回路によって、共振器の周波数からの変動を抑えるように制御される(図2)。
 市販のESR装置では、外部磁場に100kHzの小さな交流磁場を重ね合わせてESR吸収信号を交流的に変調し、ロックインアンプ(位相増幅器)で増幅してマイクロ波吸収の交流成分を得る。交流信号の振幅は、そのときの外部静磁場でのマイクロ波吸収曲線の傾きに比例する。磁場を掃引して得られるESR信号は、マイクロ波吸収P(H)ではなく、マイクロ波吸収の微分形、dP/dHになる。
 電子スピンは核スピンとは異なり、周囲の電子スピンや核スピンとの相互作用が強くかつ多彩である。このためスペクトルが複雑になり、磁気共鳴画像計測(MRI)で知られる核磁気共鳴(NMR)のように普及していない(参考文献3)。
2.非破壊検査技師の放射線事故:歯と指の骨の被ばく線量
 自然放射線の被ばく線量を電子のスピン濃度から求め、年間線量率を評価して年代を決める「ESR年代測定」は、生体硬組織である貝や骨の化石を対象にしてきた。歯のエナメルをなすヒドロキシアパタイト(Ca10(PO46(OH)2)中には、炭酸イオンが不純物として含まれている。照射によるCO2ラジカルは、被ばく線量を評価するのに適している(参考文献4)。
 英国の非破壊検査技師は、フィルムバッジによる被ばく歴が生涯線量として〜100mSvであったが、退職後放射線障害を示して補償の裁判が行われた。「国立放射線防護委員会」が被ばく評価を行い、技師の死後、歯と指の骨でESRによる被ばく線量評価が行われた(参考文献5)。
 歯のエナメルは強い信号を示し、ESR年代測定の「付加線量法」にならって人為的に放射線を既知線量だけ照射すると、信号強度は増大し被ばく線量を評価できる(図3)。歯髄や骨には、g=2.0045に幅の広い有機物ラジカルの信号がある。低温測定でマイクロ波電力を増して信号を飽和させて寄与を少なくしないと、被ばく線量の過大評価になる。
 線量をQグレイ(Gy=1J/kg)を照射後の信号強度I(Q)は、未照射の信号強度をIoとし、
     I(Q) = Io(1 + Q/D)              (2)
で表し、直線的に増大する信号強度を外挿することにより、原爆放射線線量や事故放射線線量の被ばく線量(D)を得る。ESR年代測定では、人為的に照射した放射線(60Coのγ線)に等価な線量との意味で「等価線量(ED)」とも呼ばれる(参考文献1-3)。
3.原爆被爆者や放射線事故の人体被ばく線量評価
 広島や長崎の原爆放射線の線量は、1965年に発表された広島と長崎の爆心地からの距離の関数として計算され、暫定線量、T65D(Tentative 65 Dose)として決められて以来、日米の研究者による見直しが行われた。1986年には、爆弾容器による遮蔽計算や空気中の湿度評価の違いでT65Dは過大評価とされ、Dose System 86(DS86)として改訂された。
 原爆被爆者が受けた線量は、木造家屋、鉄筋建物内などによって異なる遮蔽係数を乗じた値を概略被ばく線量としており、放射線影響の疫学的調査との関連も、この不確実な線量に基づいている。屋根瓦の熱蛍光(TL)によるγ線線量の研究も、再評価の中心的研究である。
 原爆被爆生存者の被ばく線量は、個々人で調べられていないが、抜歯した歯牙や貝殻ボタンのESR線量計測は、直接人体被ばく線量を決定する道を開いた。放射線障害のリスク評価やICRPの最大許容線量の検討にも、人体被ばく線量との疫学的調査が必要である。
被爆医師の貝殻ボタンと歯:原爆放射線に被ばくした医師の白衣貝殻ボタンおよび歯のエナメル質のESR線量評価が行われた。原爆爆心地付近の地図と、長崎大学医学部病院の建物、遮蔽の状況の概略に示す(図4)。試料提供の医師は二重丸、黒丸は死者、白丸は被爆生存者である。医師は屋上および4階の床の二重の遮藪の後に原爆放射線を受け、2週間後には白血球の減少等の原爆障害の症状を呈している。直接の距離は855m、T65Dの線量は32.5Gyになる(参考文献2,6,7)。
 貝殻ボタン破片のESRスペクトルと既知線量の人為照射による信号の増大および線量依存性から、被ばく量はボタンで2.1±0.1Gyとなり、歯のエナメル質で1.9±0.5Gyと誤差の範囲で一致した(図5)。無遮蔽時の線量をT65Dとすると、実効的な遮蔽はコンクリート厚にして32cmとなる。被爆者の埋葬骨や歯の被ばく線量は、8〜10Gyであった。
チェルノブイリ原子炉事故:原子炉近傍の住民の被ばく線量は、被ばく線量のヒストグラムにあるように、普通は0.1Gy程度であるが、中には1Gyを越える人もいる(図6)。旧ソ連のチェルノブイリ原子炉事故の住民の歯や家庭の砂糖、核燃料処理工場の汚染事故の被ばく線量評価も行われ、血液の染色体異常から評価した線量と一致している(参考文献3,9)。
その他の測定例:舌癌の患者の歯や各国の放射線事故の被ばくが、歯のESR線量計則で調べられた。米国ネバダ、オーストラリア、マーシャル群島の被ばく兵士と核実験場近くの住民、セミパラチンスク核実験場近傍の住民でも被ばく調査でもESRが利用された。
4.ESR信号強度の放射線エネルギー依存性:歯の被ばく画像と被ばく線量チェッカー
 高いエネルギーのγ線から100KeV以下のX線エネルギーになるにつれて、同一線量(1Gy)当りのESR信号強度が著しく増大していることが分る(図7)。ESR年代測定の「付加線量法」で手軽に使えるX線を人為放射線源として用いると、重い構成原子の内殻電子(K−殻)の電離のために、強いエネルギー依存性が生じる(参考文献9)。
 ESR顕微鏡でラジカル分布を測定すれば、放射線場の空間線量分布やエネルギー吸収のミクロな空間分布を求める「マイクロドジメトリー」に利用できる。このために、強い磁場勾配を利用した「CT−ESR顕微鏡」や「マイクロ波走査型ESR顕微鏡」(図8)が開発された(参考文献2,3)。
 γ線およびX線照射した臼歯の断面の走査型ESR顕微鏡画像により、マイクロドジメトリーが可能になる(図9)。吸収係数が大きい低エネルギーのX線は、照射前面のみにラジカルを作る。これに反して事故などのγ線は、臼歯の裏側では自己吸収効果のため照射面より10%ほど低い。このことから、高いエネルギーのγ線による被ばくと、歯科X線被ばくの分離評価が可能になる(参考文献3,8)。
人体被ばくのチェッカー:歯牙による被ばく線量評価において、抜歯せずに被ばく線量を求めるin-vivo生体計測用のESR装置が必要である。マイクロ波走査型ESR顕微鏡と同様の「穴あき空洞共振器」を用いて、In-vivo測定器を試作した(図10)が、小検出線量が20Gyであった。大きな円筒型空洞共振器やESR装置の高感度化が必要である(参考文献3,8)。
5.人体被ばく線量評価の間題点
 歯の被ばく線量には、原爆放射線の直接被ばく線量の他にも二次的な誘導放射能による放射線被ばくや原爆後の医療X線線量(1〜10mGy/回として50mGy以内)や40年にわたる自然放射線の被ばく線量(1〜50mGy)も含まれている。被ばく者の歯のエナメル部分は100mgもないため、現段階では0.05Gy程度の誤差がある。健全なエナメル質の場合は、代謝の激しい骨とは異なって代謝の影響は小さいが、ESR信号が滅衰する可能性もある。
 歯の抜歯は緊急時でも難しく、人体被ばくのチェッカーも実用的でないため、髪の毛や爪といった切り取ることのできる試料でもESR線量計測の対象になるとの報告もあるが、信号の安定度など問題点が多く、まだ研究段階にある(参考文献10)。
 1985年に山口大学と秋吉台で開催された「第一回ESR年代測定国際シンポジウム」では、原爆放射線の人体被ばく線量計測が中心課題であった。その後「ESR線量計測と応用国際シンポジウム」として3年毎に開催されて、国内では「ESR応用計測研究会」が「ESR応用計測」(Advances in ESR Applications:ISSN0918-6824)を出版している。2001年の「ESR線量計測・年代測定の新展望」国際会議で、JCO臨界事故の作業員の歯の被ばく線量が11Gyほどであることが報告された(参考文献10)。
 放射線作業従事者の歯は、被ばく線量の時間的な記録を示す試料として保存が望まれ、原爆被爆者の歯やJCO事故作業員の歯は、ESR人体被ばく線量評価結果を新しい手法による測定で比較するために、将来の科学者の研究試料として保存することが望まれる。
<図/表>
図1 電子スピンの磁気と電子スピン共鳴(ESR)
図2 ESR測定装置とマイクロ波空洞共振器(キャビティ)
図3 人為放射線の付加による信号強度校正で被ばく線量を求める方法
図4 長崎市爆心地付近地図と長崎大学医学部内での被ばく状況
図5 貝ボタンのESRスペクトルとγ線照射による信号強度の増大と等価線量(ED)
図6 放射線事故住民の被ばく線量評価
図7 歯のエナメルとアラニンのラジカル生成効率の放射線エネルギー依存性(線質効果)
図8 マイクロ波走査型ESR顕微鏡装置の写真とキャビティ
図9 歯の照射線質効果を利用したX線とγ線の被ばく線量分離
図10 In-vivo ESR口腔内線量計

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<関連タイトル>
電子スピン共鳴法による照射食品の評価 (08-03-02-08)
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ベラルーシ共和国のネスヴィシェで起きた放射線被ばく事故 (09-03-02-12)
電子スピン共鳴法による放射線線量計測 (09-04-03-29)

<参考文献>
(1)池谷元伺:ESR年代測定、アイオニクス社(1987)
(2)池谷元伺、三木俊克:ESR顕微鏡、シュプリンガー、東京(1992)
(3)M.Ikeya:New Applications of Electron Spin Resonance - Dating,Dosimetry and Microscopy,World Scientific(1993;2002)
(4)池谷元伺、住友洋、山中千博、DC Lloyd、AA Edwards:英国被爆事故のESR放射線線量評価、放射線科学、38、No.9、330-333(1995)
(5)池谷元伺、宮島純子、岡島俊三:ESRによる原爆放射線の人体被曝線量評価、日本原子力学会誌、26878(1984)
(6)M.Ikeya,J.Miyajima and S.Okajima:ESR dosimetry for atomic bomb survivors,using shell buttons and tooth enamel,Jpn. J. Appl. Phys.,23,L699-L710(1984)
(7)M.Ikeya and H.Ishii:Atomic bomb and accident dosimetry with ESR : Natural rocks and human tooth in-vivo spectrometer.Appl. Rad. Isotop. 40(1989)、p.1021-1027
(8)池谷元伺:電子スピン共鳴(ESR)による生体被曝線量計測、日本放射線技術学会近畿支部雑誌4巻(1998)、p.6-10
(9)M.Ikeya,and T.Miki:ESR DATING AND DOSIMETRY,Ionics,Tokyo(1985)
(10)K.Shiraishi,M.Iwasaki,C.Miyazawa,H.Yonehara and M.Matsumoto:ESR dosimetry in the JCO criticality accident,Advances in ESR Applications,18,203-206(2002)
(11)International Symposium on New Prospects of ESR Dosimetry and Dating(参考文献10掲載の会議録がダウンロードできる):http://quartz.ess.sci.osaka-u.ac.jp/
(12)大阪大学大学院理学研究科宇宙地球科学専攻池谷研究室:ようこそ!ESR(EPR)の世界へ!、http://pumice.ess.sci.osaka-u.ac.jp/
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