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<概要>
 海洋は地球環境中における放射性核種の移行においてリザーバの役割を果たしており、放射性核種は、海洋に直接供給されるほか、大気、陸域の様々な経路を通って海洋に到達する。海洋中で放射性核種は、その物理的な存在形態により、一方で海水とともに、他方では海水中に存在する粒子とともに移動し、その一部は海底に到達して堆積する。
 海洋環境中の放射性核種の移行を追跡し、その輸送機構を解明することは、被ばく線量を評価する上で重要であるのみならず、海洋における海水および物質の循環過程を解明する上で非常に重要である。とくに、人工放射性核種は、その供給源や発生時期が明らかな場合が多いため、海洋環境の動態を解明するための「道具」として注目されている。
<更新年月>
2005年09月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
 放射性核種には天然に存在する天然放射性核種と人類の様々な活動の結果生成する人工放射性核種がある。人工放射性核種は、一方で環境負荷物質として監視の対象され、その反面で、その供給源や発生時期が明らかな場合が多いため、地球環境動態を解明するための追跡子として注目されている。
1.放射性核種の起源と供給経路
 人工放射性核種は、たとえば核実験や原子力施設からの通常放出のように、時に計画的に、あるいは原子力施設や艦船等の事故時のように、時に偶発的に環境中に放出される。それらが海洋環境に供給される経路はいくつかあるが、大気中を経由する経路、海洋に直接放出される経路、河川や地下水などの陸水を経由する経路などが主要なものと考えられている。一方、海洋の側から見ればほとんどの場合、海面(あるいは海面付近のごく浅く薄い層)が核種の入り口となっている。核種供給の形態は、原子力施設等からの放出の場合、一点からの供給(点源)となり、大気中核実験では海面の広い範囲にわたる供給(面源)となる。ちなみに、天然の放射性核種の場合の供給形態もこの2つに大別され、前者は、海底火山や地殻活動によって核種が供給される場合などに相当し、後者は、大気中に存在する核種がガス交換で海面から供給される場合などに相当する。
2.海水中での核種の移行と分布
 放射性核種が海水中でどのように移行するか、その挙動は様々な要因の影響を受けており全てを網羅して記述することは極めて困難であるが、主に、海流や拡散・混合といった海水の移動およびそれぞれの核種の海水中での物理的、化学的な存在形態に大きく依存する。ここでいう存在形態とは、その核種が海水に溶けた状態(溶存態)であるか、粒子(懸濁態)として存在するのかという物理的な形態のことである。
 溶存態の核種の場合、その移行のほとんどは海水の動き(流れ、拡散、混合)に支配され、核種の水平、鉛直の分布は海水の動きを反映している。代表的な溶存態の人工放射性核種としては、90Srや137Csなどが挙げられる。これら核種の外洋で見られる一般的な濃度の鉛直分布は、海表面付近で最大値、海面から遠く離れた深海で最小値となっており、中間層では最大値と最小値の間を指数関数的減衰曲線で近似するような分布となる。図1(左)はその例として日本海で得られた137Cs濃度の鉛直分布を示している。このような分布は、海面から供給された核種のほとんどが鉛直方向の拡散混合で深層へ移行する機構を想定すれば理解することができる。これに対して、時に、海面下数100mに濃度ピークや海底近傍で濃度上昇が見られることがある(図1右)。これは放射性核種が、表層海水の拡散混合によって鉛直輸送されたのではなく、海面冷却等の効果で表層の海水がひとかたまりとなって沈み込むことで、表層下へ輸送されたことを示すものと考えられている。図2は、日本海で得られた137Csの存在量(濃度を深さ方向に積分したもの)の水平分布である。このような分布は、「日本海の北西部で冬季に表層から沈降した海水が海底地形に沿って南東方向に移動する」とされる、これまでに提案されている模式的な日本海の中・深層の海水流動と良く一致している。上に述べたような鉛直、水平の海水の動きは、広範囲でしかもゆっくりしたものあり、海水の流れを測ることでそれを知ることは極めて困難である。しかし、人工放射性核種を追跡子として使うことで、時間的な尺度を含んで、海水の移動の様子を解明できることが期待される。
 懸濁態核種は、海水中に浮遊する粒子の表面に吸着された形で存在する。すなわち、懸濁態の核種の移行を知るためには、海水中に存在する粒子状物質の移行を知る必要があり、これについては次節に述べる。懸濁態核種の代表的なものには、239Pu、240Puなどがある。懸濁態核種の外洋での海水中濃度の鉛直分布は、溶存態核種のそれと大きく異なり、一般に、表層で最小、1000m前後の深度層で最大、それ以深では、徐々に減少するパターンとなる(図3)。表層で濃度最小となるのは、核種が海洋表層付近で豊富な懸濁粒子に吸着し除去(スキャベンジング)されるためである。粒子の沈降の過程で主に生物起源の粒子が溶解し、その粒子に吸着されていた核種が海水中に回帰することで中層での海水中濃度の極大が形成される。このように、溶存態核種と懸濁態核種とでは海水中での移行機構が異なるために分布形態に差ができるのである。
3.海洋における粒子状物質の移行
 一般に、海洋における「粒子状物質」は、均一な直径(0.2〜1μm程度)の孔を持つフィルターに海水を通過させ、そのフィルター上に残るもののうち、自力で海中を移動しないものをいう(フィルターの孔径以下の微小粒子は便宜上「溶存態物質」の一部として扱われる)。海水中の粒子は、凝集・分散を繰り返しながら深海へと沈降輸送され、海底に堆積する。海水中の粒子の沈降速度は、その粒子の大きさ(粒径)と密度の関数で関係付けられており、大きさおよび密度が大きいほど素早く沈降する。
 沈降粒子のうち、おもに海洋表層で生産される生物起源粒子は、粒径10μm〜10mm程度と陸起源の鉱物粒子(0.1〜10μm程度)に比べて大きいため、粒径で見れば深海への輸送能力が大きいといえる。しかし、深海に運ばれた生物起源粒子は海水に溶けやすく、その大部分は海底に到達する前に溶解するため、多くの場合、生物起源粒子の沈降量は海洋表層付近に比べて海底付近で小さくなる。一方、陸起源の鉱物粒子は生物起源粒子の倍以上の密度を持ち、密度のみで見ると陸起源粒子の方が沈降しやすい。鉱物粒子は生物起源粒子に比べて海水に溶けにくく、そのほとんどが海底に堆積する。しかし、大陸から遠く離れた外洋では、鉱物粒子の粒子全体に占める割合が生物起源粒子に比べて小さいため、海底堆積物中での濃度は、生物起源粒子のそれと同程度かそれ以下となる場合もある。
 粒子が海底に堆積した後も、堆積物中で有機物の分解などによって、生物起源粒子などの易溶性成分が溶解するため、より微細な粒子ができる。堆積物表層の「小さな」粒子は、海底付近の海水流動に伴って再浮遊し、水平輸送される。海底に残された粒子は、堆積環境に大きな変化がない限り、ほぼ一定の割合で堆積物内部へと取り込まれ、堆積層を形成する。この「時間あたりの堆積物ができる厚さ」を堆積速度という。
4.海洋における粒子循環の指標としての放射性核種
上述のように、海洋の内部では、特徴の異なる多くの粒子が存在し、相互作用しながら移行している。また、生物起源粒子は海洋表層の生物生産量の時空間変化に、陸起源粒子は海洋への粒子の供給や海底地形などによって影響を受ける。海洋における粒子を媒体とした物質の循環を解明する場合は、対象とする海域の生物地球化学的環境と対象とする現象に適した指標物質を精選して議論する必要がある。海洋調査によって堆積物や沈降粒子試料を採取し、その中に含まれる放射性核種の濃度や同位体組成を計測することにより、対象となる核種の行方を推定できるばかりでなく、粒子状物質全体の移行過程を明らかにすることが可能である。ここで、その具体例についていくつか紹介する。
(1)天然放射性核種の非平衡を利用した粒子フラックスの定量化
 海水中に均一に存在する天然放射性核種(親核種)とこれから生成される2次放射性核種(娘核種)の海水中の濃度比から、海洋表層から沈降除去される粒子の量を推定する方法である。この手法を用いるためには、(a)対象となる海域での物質循環が定常状態であると仮定できること、(b)親核種の存在量の時間変化が小さいこと、(c)親核種に対して娘核種の半減期が短いこと、(d)親核種に対して娘核種の方が粒子への親和性が大きいこと、のほかいくつかの条件が必要である。本手法でよく用いられる天然放射性核種の組み合わせを表1に示す。海水中の親核種および娘核種の比放射能を計測すると、理論的には両核種の間に放射平衡が成り立つ場合でも、娘核種濃度が理論的生成量に比べて不足する場合がある。この娘核種の不足分が粒子による除去量であり、粒子中の娘核種の濃度が得られれば、海洋表層からの粒子全体の除去速度の定量化が可能となる。
(2)堆積物中の放射性核種の鉛直変化から堆積速度や生物かく乱深度の推定
 堆積層中に取り込まれた天然放射性核種の濃度は、時間の経過と共に放射性壊変によって減少する。このため、無かく乱で、定常状態の場合、対象海域における堆積速度は、この放射性核種の壊変定数と経過時間から見積ることができる(図4図5下部)。日本周辺の沿岸域における堆積物の場合、その中の137CsやPu等の人工放射性核種濃度の鉛直分布からも、堆積速度を見積ることができる。これらの鉛直分布には、大気中核実験やチェルノブイリ原発事故の履歴が記録されており、堆積層中にそれらに対応する濃度極大が見られる。この濃度極大の深さを解析することで堆積速度を見積ることが可能である。
 多くの海底堆積物には、その表層に放射能濃度が一定となる層が見られる(図5上部)。これは、海底付近の海水流動や底生生物によって堆積物の表層が鉛直的に攪拌されたことを示しており、この深度は底生生物の活動の指標としても用いられている。
(3)人工放射性核種の濃度分布や同位体比を利用した供給源の推定
 堆積物中の人工放射性核種の分布から、対象海域における粒子状物質の輸送・蓄積過程を描くことも可能である。図6に、人工放射性核種の中でも粒子への親和性の大きなPuについて、その堆積物中の存在量を日本海の全域で測定した結果を示す。日本海の深海域(水深2000m以上)における堆積物中のPu存在量は、検出下限値以下〜86Bq/m2の広い範囲におよび、南東部では、比較的水深の浅い水域で大きなPu存在量が観測された。日本海南東部では特に秋から冬にかけてアジア大陸起源の粒子が運ばれているという見積りや、日本海南部の海盆に一旦堆積した堆積物が水平方向に再輸送される機構が存在するといった報告、あるいは、日本海の堆積物中のPu同位体比の分布を解析し、太平洋亜熱帯域を起源とする核実験起源のPuが海流によって北方に運ばれてきたことを示唆する最近の研究結果を考慮すると、これらの大きなPu存在量は、この海域の主要な海流である対馬暖流の水平輸送の効果によって形成されたものと推定できる。日本海では、1950年代〜1990年代に人工放射性核種が投棄された事実が知られているが、日本海における粒子状人工放射性核種の分布は、このような核種の局所的供給ではなく、日本海が持つ物質循環過程を反映していると考えられる。
 上例の他にも、放射性核種を利用した物質循環過程の解明は幅広い分野で用いられており、いまだ解明されていない部分の多い、海水の循環やそれに伴う環境負荷物質の動態を解明するための「道具」としての利用が期待されている。
<図/表>
表1 粒子状物質の移行解明のための親核種−娘核種の組み合わせ
表1  粒子状物質の移行解明のための親核種−娘核種の組み合わせ
図1 日本海で得られた
図1  日本海で得られた
図2 日本海で得られた
図2  日本海で得られた
図3 日本海で得られた
図3  日本海で得られた
図4 放射性核種を用いた堆積速度の見積り
図4  放射性核種を用いた堆積速度の見積り
図5 堆積物中の放射性核種の鉛直変化イメージ
図5  堆積物中の放射性核種の鉛直変化イメージ
図6 日本海における堆積物中の
図6  日本海における堆積物中の

<関連タイトル>
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<参考文献>
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(4)S.Otosaka,T.Aramaki,T.Suzuki,T.Kobayashi,T.Ito,O.Togawa,E.L.Chaykovskaya,A.L.Dunaev,E.V.Karasev,V.P.Novichkov,A.V.Tkalin,Y.N.Volkov:Anthropogenic radionuclides in sediment in the Japan Sea. Proceedings of the International Symposium on Radioecology and Environmental Dosimetry,Institute for Environmental Sciences,Rokkasyo,Japan,391-395(2003)
(5)J.Zheng,M.Yamada:Vertical distributions of Pu(239+240) activities and 240Pu/239Pu atom ratios in sediment cores,implications for the sources of Pu in the Japan Sea. Science of the Total Environment 340,199-211(2004)
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