<大項目> 放射線影響と放射線防護
<中項目> 環境中の放射能
<小項目> 環境中での移行と挙動
<タイトル>
水産生物への微量元素の特異的濃縮 (09-01-03-06)

<概要>
 生物が種々の元素あるいは物質を体内に蓄積、濃縮することはかなり古くから知られている。その中でも、ある特定の生物種の組織(器官)において、ある元素が非常に高濃度に濃縮(特異的濃縮)されるという現象は、動物生理学だけではなく、生化学、分析化学、錯体化学といった多くの分野の研究者から注目されている。
 軟体動物の蓋の中にはヨウ素が高濃度に含まれていることが分かった。特にソデガイ科の貝の蓋で高濃度であり、たとえばマガキガイの蓋にはヨウ素(I)が数十万倍も濃縮されている。また、イカの肝臓には海水中の銀(Ag)が数百万倍も濃縮されている。ヨウ素や銀などの濃縮機構を検討することによって、海洋生態系におけるこれらの物質の循環機構や生体内における生体内変換機構を解明することができる。
<更新年月>
1998年03月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
1.はじめに
 海洋生物のある種が微量元素を高濃度に濃縮(濃集)する事は一般に知られていることである。たとえば、ホヤやエラコにバナジウム、ワスレガイやホタテガイにマンガン、シャコガイにコバルトとニッケル、ヒザラガイやカサガイに鉄、マダコにウランやコバルト、イカに銀、コンブやマガキガイにヨウ素などの例があげられる。これらの特異的濃縮生物は、重金属や放射性核種による海洋汚染をモニタリングするための有効な指標生物になりうる可能性があり、海洋環境放射能モニターするための高感度生物学的検出器として使用できる。
2.マガキガイの蓋によるヨウ素の高濃度蓄積
 ヨウ素(よう素、沃度)は原子番号53、原子量126.91。原子価は正負とも1,3,4,5,7で周期表第VII族のハロゲン元素に属す。海藻、海産動物中に主に有機化合物の形で存在する。B.Courtoisによって1811年海藻灰の中から発見された。存在量として、クラーク数は3×10-5で第64位であり、海水中には60ng/ml(ng=1×10-99g)の濃度で含まれる。
 人間を含めた脊椎動物においてヨウ素を高濃度に濃縮する器官、いわゆる決定器官甲状腺である。そのため、旧ソ連で起きたチェルノブイル発電所事故では放射性ヨウ素131Iが幼児、青年の甲状腺に沈着し、甲状腺ガンを誘発させたのは周知の事実である。また、バセドー病(甲状腺機能亢進症)の治療の一つとして、放射性ヨード療法がある。一方、ヨウ素は甲状腺から分泌される成長ホルモンのチロキシン(T4)やその誘導体(T3など)の中に含まれ、またチロキシンやその誘導体がアミノ酸の一つであると言う理由で、脊椎動物中でヨウ素の生理学的作用、特性についての研究が医学、動物生理学の分野で進んでいる。しかし、無脊椎動物に関してはヨウ素の存在量、体内分布、化学形、生理学的役割についての研究例は殆ど無い。
 ここに、スクリーニング作業の結果、多くの無脊椎動物の中からヨウ素高濃度蓄積生物として検索されたマガキガイ( 図1 )中のヨウ素の濃度、体内分布、化学形について述べる。
 ソデガイ科の蓋中のヨウ素の定量は、日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)のJRR-3の気送管照射孔を用いて、熱中性子束2×1013n/cm2・sで10秒照射する放射化分析で行った。ソデガイ科4種の蓋中のヨウ素濃度を 表1 に示した。ソデガイ科の蓋の中のヨウ素濃度は非常に高く、特にマガキガイの蓋には乾物中22,800μg/gもの高濃度でヨウ素が含有されていた。ちなみに濃縮係数を計算すると、海水中のヨウ素濃度は60ng/mlであるから、4×105と計算される。この値は、他の巻貝の蓋のヨウ素濃度の約100倍、マガキガイを含めた海洋生物の可食部のヨウ素濃度の10,000倍に相当する。
 フリーエ変換赤外分光法を用いて成分分析を行った結果、マガキガイの蓋の大部分はタンパク質で構成されていることがわかり、高速液体クロマトグラフと誘導結合プラズマ質量分析法とを用いてヨウ素含有画分の抽出作業を行った後、ヨウ素含有フラクションについてアミノ酸分析を行った結果、ヨウ素含有フラクションから11種類のたアミノ酸が検出された。11種類のアミノ酸のうち遊離のアミノ酸はバリンだけであったが、さらにバリンとヨウ素とは結合していないことが判明した。また、ヨウ素含有フラクション中にはチロキシン、糖蛋白、脂質が含まれていないことが分かった。ヨウ素原子の局所構造をシンクロトロン放射光による広域 X線 吸収微細構造(EXAFS)解析法で調べたところ、最近接原子は炭素であり、その炭素はアミノ酸の側鎖上に存在していることが分かった。
3.イカの肝臓への銀の濃縮
 イカの肝臓(正確には中腸腺)にはいろいろの元素や物質が濃縮されている。例えば、海水中の銀が数百万倍も濃縮されているのである。スルメイカ4尾の肝臓には50mプール一杯の海水に存在するのとほぼ等しい銀(Ag)が含まれている。現実には、プール何杯もの海水を集めて、抽出・濃縮することはできないため、実質上測定不可能である海水中の放射性Agも、イカの肝臓を多量に集めれば定量できることになる。
 イカ肝臓灰から、現在検出される人工放射性核種は、60Co、108mAg、110mAg、137Csの4種である。110mAgは1986年のチェルノブイル(発電所)事故で海に入ったものが残ってはいるが、半減期が250日なので、多量の灰を用いないと検出できない。他は核実験に由来する核種で、137Csはほとんどの海産生物試料から検出されるが、肝臓にはむしろ少なく、肉部の方に多い。108mAgは半減期が127年と長く、1986年度に実施された水産庁の日本海海域での調査でも、甲殻類のベニズワイガニから検出されている。さらに、太平洋から東シナ海にかけてタコやイカなどの軟体類では、0.023-0.41Bq/kgの範囲で幾つか検出されている。なお過去にはフォールアウト起源の55Fe、65Zn、144Ceがイカから検出例もある。
  図2 は、イカの肝臓中における110mAgおよび108mAg濃度の年変化を示したものである。図の左側1965年のデータはフォルサムらのデータ、*印がドイツ水産研究所によるスペイン沖での頭足類(種不明)のデータ(108mAg)である。それ以外は、日本近海のイカで、水産研究所分析センターによるものが主である。フォルサムらのデータ以後、1978年頃までイカの放射能の分析データは見あたらない。図から分かるように、チェルノブイル(発電所)事故により環境中に放出された110mAgも検出されている。梅津は、我が国において、水盤法により検出された110mAgの濃度を基に、イカ肝臓中のAgの濃縮係数を試算し、(1-3)×106という値を得ている。この値は、安定元素のAgから求めた値とほぼ同じである。
 イカは1年で体を作り上げ、肝臓中の放射性核種はその水域の海水中に存在したものが餌を通じて蓄積されたものと考えられる。同じ水域のイカでも年によって主食がエビ類であったり、魚に片寄ったり、海水も流れて交換し、またイカ自身が広く回遊もするので海水からの蓄積は非常にマクロな話になる。日本周辺とニュージーランド水域といった比較になる。もっともこれだけ離れた所では同種のイカが生息している場合が稀で、同じスルメイカの仲間での比較になる。また、Agは必須元素でないためか、同一種内でも分布の不均一が目立つことが報告されている。この点でも大まかな比較とならざるをえない。
 さて必須でもないAgがどうしてイカ肝臓に多いのだろうか。AgがCuと同じ周期率表の1B属であるからと考えられる。Cuはイカを含む軟体動物の血色素ヘモシアニンに0.2%含まれている重要な元素である。同じ1B属の金(Au)も肝臓にはかなり濃縮されている。
4.おわりに
 マガキガイによるヨウ素およびイカによる銀の高濃度蓄積現象について紹介した。分析技術の進歩は著しく、スクリーニング作業の対象生物の範囲を広げることにより、さらに多くの特異的濃縮生物が発見され、環境放射能の分野において放射性核種による海洋汚染をモニタリングするための指標生物として活用されるものと期待される。また、特異的濃縮生物の体内に存在する生理活性物質から、放射性核種による海洋汚染を未然に防止する回収剤や、人体の被ばくの線量の低減に有効な除去剤が開発される可能性がある。
5.用語
[スクリーニング(screening)]
 化学物質や抗生物質などに対する感受性のあるものだけ、ある酵素の活性を持つものだけ、というように特定の性質を持ったものだけを捜し出すこと。
[濃縮係数(enrichment factor)]
 水産生物内に蓄積する放射性核種の量と、その生息環境中の当該核種の濃度とを関連づける指標、一定濃度で特定の放射性核種を含む水中に生息する水産生物によるその核種の取込みが平衡に達したとき、濃縮係数CFは次の式で表される。

    水産生物中の放射性核種濃度
 CF=−−−−−−−−−−−−−−−
      水中の放射性核種濃度
<図/表>
表1 軟体動物・腹足綱、ソデガイ科の蓋の中のヨウ素濃度
図1 軟体動物・腹足綱・ソデガイ科・マガキガイ
図2 イカ肝臓における110mAgおよび108mAg濃度の年変化

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<関連タイトル>
放射能の河川、湖沼、海洋での拡散と移行 (09-01-03-05)
放射性核種の生物濃縮 (09-01-04-02)

<参考文献>
(1)道端 斉:放射線科学、35, 261-265(1992)
(2)石井 紀明:化学と生物、33, 389-393(1995)
(3)T.Ishii et al.:Nippon Suisan Gakkaishi, 52, 147-154(1986)
(4)石井 紀明:月刊海洋、25, 637-641(1993)
(5)石井 紀明ほか:日本水産学会誌、57, 779-787(1991)
(6)M.Nakahara et al.:Nippon Suisan Gakkaishi,48,1739-1774(1982)
(7)T.Ueda et al.:Nippon Suisan Gakkaishi, 48,1292-1297(1982)
(8)T.Ishii et al.:Nippon Suisan Gakkaishi, 58,1285-1290(1992)
(9)梅津 武:放射線科学、35,369-374(1992)
(10)T.Ishii:Specific Accumulation of Iodine by Strawberry Conch Strombus Iuhuanus,Fisheries Science, 63, 646-647(1997)
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