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<概要>
 大気中で移行・拡散する放射能には、宇宙線生成核種、ラドンとその娘核種のような自然放射性核種と、核爆発実験と原子力施設から放出される人工放射性核種がある。そのような放射能には、ガス状のもののほかに粒子状のもの、また、地表から大気中に再浮遊した放射性核種などがある。
 人工放射能の影響評価では、注目する地域の人間が受ける被ばくとして、外部被ばく内部被ばくがある。人工放射能では、その発生源からの距離が離れる程、時間の経過が長い程、途中での希釈・降下などにより注目地域での放射能濃度が低くなり、注目地域の人間が受ける被ばくへの影響は少なくなる。従って、大気中の放射能の拡散移行の評価は、人工放射能に基づく被ばく線量の評価上重要である。
<更新年月>
2009年03月   

<本文>
 原子力施設では、施設からの放射性物質の放出を出来るかぎり低くするよう厳しく管理している。原子炉のような独立した発生源の風下における環境中の放射性核種濃度は、数キロメートル以上の距離で通常検出できないレベルにある。大気中に放出される放射能については、その環境中の数学的モデルに基づく移行解析と、被ばく評価が行われ、また、常時モニタリングにより、その確認が行われている。
 全世界で計画中も含めると発電用の原子炉が500基以上にも及ぶ今日、国外原子力施設での事故により放射性物質が国境を越えて自国に飛来する潜在的危険性は増大している。特に、チェルノブイリ事故以降、欧州や北欧諸国を中心に大気拡散予測システムが開発されてきた。米国は、スリーマイル島(TMI)原子炉事故以前から予測システムが開発され、世界の任意の地点での事故放出に対応できる体制を整えている。我が国では、米国TMI原子炉事故以降、国内の原子炉緊急時に対応するための大気拡散予測システムSPEEDIが日本原子力開発研究機構によって開発され、その後、度重なる改良が加えられている。
(1)大気中に放出された放射能の環境中の移行
 放射性核種は一般に環境中にごく微量放出される。その後、それらが存在する空気や水などの媒体とともに物理的に運ばれる。過去に放出された放射性核種の移行に関する測定結果は、地球上での大規模な大気や水の動きを研究あるいは類推するために使われている。フォールアウト放射性核種である90Srおよび137Csは、環境中での物質の除去あるいは物質の入れ替わり時間(滞在時間)を推論するために使用されている。トリチウムは世界の水文学(すいもんがく)サイクルのトレーサであり、トリチウムガス(HT)及びトリチウム水蒸気(HTO)の2つの形態で大気中へ放出される。14Cはグローバルな炭素サイクルのトレーサである。
 大気中に放出された放射能は、風によって移流し、さらに拡散によって広がって行く(いわゆる大気拡散)。このうち、粒子状の物質は降雨による洗浄などで地表に沈着する。地表に沈着した放射能は、地表水とともに河川に流入し、あるいは、土壌中に浸み込む。原子力発電所の設置許可申請には、必ず少なくとも1ヶ年の現地における気象観測と、排気筒(沸騰水型原子炉では150m程度、加圧水型原子炉では建屋の高さを含め地上から70m程度)から排出された放射性雲(プリューム)による周辺地域における被ばく線量の計算が必要とされている。
(2)流動・拡散の計算
 大気中に放出された物質は、風向軸に沿って流れるとともに風向軸に直角方向にも拡散する。内陸平地の上では、風向軸は平行であるが、周辺に山のある地形や沿岸立地であるときには、地形や温度分布の影響を受けることになる。連続則と質量保存則に基づく微分方程式を立て、放射性物質の流動、拡散の理論計算をすることができる。
 発電用原子力施設のための「気象指針」では、放射能の拡散をパフ(円板)状になると仮定して、放射能の大気拡散を取り扱っている。長時間にわたる拡散現象については、その時間経過に伴う放射性雲(プリューム)の乱れを取り入れる方法に、距離の関数として扱うパスキルの式がある。具体的には、地形と建屋の影響を風洞実験等によって確認することが望まれている。
 さらに、長時間・広域における拡散予測には、風向・風速の変化など、大気の乱れの状態を具体的に取り入れ、放射能の大気拡散を推定・再現することが望まれる。このために、粒子拡散モデルが我が国でも開発され、緊急時の予測モデル、SPEEDIに使用されている。
(3)大気力学モデルの導入
 これまでの拡散モデルでは、放射性物質の大気渦による拡散過程や降雨による沈着過程の再現計算の精度は十分ではなかった。そこで、ペンシルバニア州立大学と米国大気研究センターで開発された大気力学モデルMM5(Mesoscale Model5)を導入し、運動量及び熱エネルギーに加えて、水蒸気量、雲水量(液体、固体)についての保存式を解くことにより、これら物理量に対応する風速、温位等の気象要素を計算する。また、降水、熱放射、地表面作用、大気境界層(乱流)などの個別過程それぞれについて、物理過程を考慮することにより、大気拡散計算の精度に大きな影響を及ぼす気象場の再現性を向上させることができる。さらに、このデータを大気拡散モデルGEARNの入力データとして用い、大気中に放出された放射性物質を通常1日放出当たり105個の仮想粒子で模擬し、前述のMM5で計算した3次元の気象場に基づき、粒子群の移動を追うことにより、放射性物質の大気中での濃度、地表面沈着量及び被ばく線量を求める。
 1980年代から旧日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)が開発を始め、その後、度重なる改良を加えたSPEEDIシステムが1997年に世界版SPEEDI(WSPEEDI)となり、さらに、飛躍的に機能を向上させた世界版WSPEEDI-IIが2009年完成している。チェルノブイリ事故時の大気拡散をWSPEEDI-IIで予測した結果を図1に示す。
(前回更新:2003年3月)
<図/表>
図1 チェルノブイリ事故時の
図1  チェルノブイリ事故時の

<関連タイトル>
放射性物質の人体までの移行経路 (09-01-03-01)
放射能の植物への移行 (09-01-03-03)
放射能の牛乳への移行 (09-01-03-04)
放射能の河川、湖沼、海洋での拡散と移行 (09-01-03-05)
食品中の放射能 (09-01-04-03)
緊急時環境線量情報予測システム(SPEEDI) (09-03-03-01)

<参考文献>
(1)佐伯誠道編:「環境放射能」、ソフトサイエンス社、1984年5月
(2)日本原子力文化財団編:原子力の基礎講座、(6)人体と放射線・原子力と環境、1996年3月
(3)放射線医学総合研究所監訳:原子放射線の影響に関する国連科学委員会報告書1993、実業公報社
(4)放射線医学総合研究所監訳:原子放射線の影響に関する国連科学委員会報告書2000、実業公報社(2002.3)
(5) 寺田宏明 他:緊急時環境線量情報予測システム(世界版)WSPEEDI第2版の開発、日本原子力学会和文論文誌、Vol.7,No.3,256?267(2008)
(6)H.TERADA et al.: Development of an Atmospheric Dispersion Model for Accidental Discharge of Radionuclides with the Function of Simultaneous Prediction for Multiple Domains and its Evaluation by Application to the Chernobyl Nuclear Accident, J. of NUCLEAR SCIENCE and TECHNOLOGY,Vol.45,No.9,p920-931(2008)
(7)日本原子力研究開発機構:世界の原子力事故に対応可能な迅速大気拡散予測システムWSPEEDI-IIを開発、プレス発表、2009年2月5日、http://www.jaea.go.jp/02/press2008/p09020501/index.html
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