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<概要>
 エルクリバー(ERR)は出力23.8MWeの試験用沸騰水型原子炉で1962年に臨界になり、1968年まで運転された。デコミッショニングは、解体撤去方式により1971年に開始し、1974年に終了した。デコミッショニング費用は 615万ドルで、解体作業従事者の総被ばく線量当量は 750man-mSvであった。
<更新年月>
2001年03月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
 ERRは、米国ミネソタ州エルクリバーに建設された出力23.8MWeの試験用沸騰水型原子炉で1962年に臨界になり、1968年まで運転された。米国原子力委員会(AEC)の所期の目的を達成したため、解体撤去方式により1971年にデコミッショニングを開始し、1974年に終了した。
 解体計画は、(1)種々の解体方法についてその実用可能性と経済性を検討し詳細スケジュールを作成する計画段階、(2)ERR施設を解体・撤去し同敷地を原子炉設置以前の状態に戻す解体実施段階、及び(3)最終の放射線サーベイ報告書、最終の解体計画報告書等の作成を行う施設閉鎖段階の3段階に従って実施された。
 原子炉建家の解体は、原子炉周辺機器、炉内構造物原子炉圧力容器、生体遮へい体、原子炉建家の順に進められた。原子炉周辺機器の解体では、放射線量の高い機器、配管等から先に解体を進め、湿式の切断技術を適用するなどして作業従事者の被ばくや汚染の拡大を最小限におさえるための配慮がなされた。 表1 にERRの放射能量を示す。
 炉内構造物の解体では、解体に先立ち、プラズマ切断トーチ、トーチを操作するマニプレータ、遠隔操作のためのコントロールシステム等の開発が行われた。撤去作業は水中でプラズマトーチ等を使用して行い、コンテナに収納できない大きな炉内構造物については、燃料輸送キャナルを水中移送し、燃料プール内で2次切断を行った。高放射化された炉内構造物は遮へい付きコンテナに収納された。
 原子炉圧力容器は約高さ7.5m、内径2mで、ステンレス鋼で内張された厚さ76mmの炭素鋼が用いられている。この原子炉圧力容器の切断は、水面を切断箇所のすぐ下部に維持して空気中でプラズマトーチ切断装置を使用し行った。この切断装置のトーチ及びアームに水を注入する装置を設け空気汚染を著しく低下することができた。原子炉圧力容器のフランジ部はひとかたまりで撤去し、残り部分は円周方向及び鉛直方向に切断して19個に分割した後キャスク内容器に収納した。
 生体遮へい体の解体では、解体に先き立ち機械的工法、爆破工法、熱的工法等について検討されたが、装置の制作、解体時間等を考慮し爆破工法により行われることになった。爆破工法での問題点は、空気汚染と爆破によって生じる振動で、これらは爆薬装填量の調整、局部噴霧装置や爆破マットを使用することにより解決された。爆風圧による影響としては、生体遮へい体を貫通している配管の開口部に設けた石栓が2,3押し出されたことと仮設換気系のフィルターが一部破損した程度であった。 図1 に生体遮へい体の撤去順序を示す。
 ERRの総解体費用は 615万ドルで、作業別の主な解体撤去費用の割合は炉内構造物13%、原子炉圧力容器17%、生体遮へい体20%であった。
 放射性解体廃棄物は、放射線レベル、材質等により分類し、遮へい付コンテナ、鋼製コンテナ、ドラム缶等に収納した後、ワシントン州、ケンタッキー州及びイリノイ州の認可された埋設処分場に埋設された。
 解体期間中における作業従事者の総被ばく線量当量は750man-mSvで、個人の最大総被ばく線量当量は 45mSvであった。解体作業別における主な被ばくとしては、炉内構造物での120man-mSv、原子炉圧力容器及び外部熱遮へい材の撤去での450man-mSv、生体遮へい体の撤去での120man-mSvであった。
 デコミッショニング期間は1971年7月から1974年7月までの37ケ月であった。
<図/表>
表1 エルクリバ−炉の放射能量
表1  エルクリバ−炉の放射能量
図1 エルクリバ−炉の生体遮へい体の撤去順序
図1  エルクリバ−炉の生体遮へい体の撤去順序

<関連タイトル>
海外主要国における発電炉の廃止措置の実績 (05-02-03-01)
米国における発電炉廃炉計画 (05-02-03-06)
シッピングポート(米国)の解体撤去 (05-02-03-08)

<参考文献>
(1) Dismantling Plan by Rural Cooperative Association
(2) エルクリバー炉解体作業報告(原子力安全研究協会)
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