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<概要>
 日本初の再処理施設であり、当時の最も信頼性のある工程設計により建設され、1977年からホット運転を開始して以降、2007年5月まで運転を行った。商業用発電炉である軽水炉及び新型転換炉「ふげん」の使用済燃料等の累積処理量は、約1,140トン(tU)にのぼる。この間、国内の使用済燃料再処理の一部を賄うとともに、軽水炉燃料再処理の定法になっている機械的前処理、ピューレックス法の実用性の実証をはじめ、施設の運転・保守や高レベル放射性廃液のガラス固化、ウラン・プルトニウム混合転換等の独自技術の開発を進め、日本原燃(株)の六ヶ所再処理工場への技術移転を行うなど、国内における再処理技術の確立に貢献してきた。
 2017年6月に原子力規制委員会へ廃止措置計画の許可申請を行い、2018年6月に認可された。廃止措置計画では、高放射性廃液の処理等のリスク低減の取組み、主要施設の廃止、廃棄物処理・廃棄物貯蔵施設の廃止を進めるとしており、最終的に管理区域を有する約30 施設の廃止措置(管理区域解除)が全て完了するためには,約70 年の期間が必要となる見通しである。

<更新年月>
2020年10月   

<本文>
1.東海再処理施設の立地の経緯
 原子力発電の定着につれて、使用済燃料の国内再処理の必要性が議論され、1962年、原子力委員会の再処理専門部会は「1968年頃の操業開始を目標に、0.7〜1トン/日規模の工場を建設するのが適当である」旨の結論をまとめた。これを受けて、原子燃料公社(以下「公社」、1967年に動力炉・核燃料開発事業団(以下「動燃」)に改組。現日本原子力研究開発機構)は、1963年に予備設計をNCP社(Nuclear Chemical Plant、英国)に発注し、1967年〜1969年にわたる詳細設計をSGN(サンゴバン)社(フランス)に依頼し行った。
 この間1968年8月に国に「再処理施設の安全性に関する書類」を提出し、1970年1月、再処理施設の設置が認められた。
 一方、立地交渉の経緯については、公社はすでに茨城県東海村に金属ウランの精錬工場、原子燃料試験所等を保有していたので、公社構内に再処理施設を建設することを1964年に茨城県及び関係自治体に申し入れ、1969年茨城県議会の条件付受諾が得られた。
 安全審査の終了に引き続き、公社は設計・工事法の許認可、建設確認申請等の諸手続き、建設予算の確定、建設業者(SGN社及び日本揮発油(株)(現日揮ホールディングス(株))の共同事業体)の選定等を進め、1971年6月着工の運びとなった。

  2.建設の経緯
 建設は、ほぼ計画通り順調に進められた。1977年3月まで、通水作動試験、化学試験、ウラン試験(未照射ウラン燃料を用いるので、「コールド試験」という)が行われた。
 「ホット試験」(使用済み燃料を用いる)の開始に当たって、米国から供給された濃縮ウランの使用には規制がかけられており、その再処理については協議事項になっているため、日米政府間で交渉が持たれた。この頃の米国は、1974年5月にインドが実施した核爆発実験に端を発し、核不拡散政策を強力に推進した時期であり、米国側の態度は極めて厳しかった。3次の交渉を経て日米両国は1977年9月、転換施設の建設を2年間延期し、保障措置の有効性を高める研究開発を実施することなどを条件に、東海再処理施設を向こう2年間99トンまで単体抽出法で運転することに関し合意が成立した。この内容を盛り込んだ日米共同決定が1977年9月に署名され、共同声明が発表された。その後も交渉が続けられ、再処理施設の運転における再処理量の制約は無くなった。なお、この間に、我が国独自の技術として、核拡散抵抗性の高いプルトニウム・ウラン混合転換法の開発に成功し、1980年、共同声明により建設が中断していた転換施設の建設開始に至った(プルトニウム転換技術開発施設)。
 以上の日米共同決定を受けて、1977年9月、原研(現日本原子力研究開発機構)の動力試験炉(JPDR)の使用済燃料を用いてホット試験が開始された。順次、燃焼度の高いBWR燃料とPWR燃料による試験に移行したが、途中、酸回収蒸発缶の伝熱管腐食損傷による缶の交換等、予期しない故障があったため、1980年2月までかかってホット試験が終了した。
 1979年の「原子炉等規制法」の改正により、使用前検査として施設の工事に係る検査のほか、施設の性能についての検査が加えられた。1980年12月に使用前検査合格証が交付された。
 
3.東海再処理施設の仕様と技術
  東海再処理施設の基本仕様は、処理能力は1日当たり最大0.7トン(金属ウラン換算)、対象燃料は軽水炉使用済燃料で初期ウラン濃縮度最高4%、使用済燃料集合体当たり燃焼度最高は35,000MWd/トン以下、1日当たり処理する使用済燃料の平均燃焼度は28,000MWd/トン以下、および処理する使用済燃料の冷却期間は約180日(比出力35MW/トン)である。1985年7月の再処理施設設置変更承認申請の承認により新型転換炉「ふげん」の使用済燃料も処理できることとなった。
  東海再処理施設では、当時NFS社(Nuclear Fuel Services、米国)のウェストバレー工場でプラント実証(1966年〜1972年)を試みていたチョップ・アンド・リーチ(集合体剪断−溶解)方式の前処理工程およびTBP溶媒抽出法(ピューレックス法)による分離・精製工程を採用した。また、抽出装置は最も経験の深いミキサセトラ型が採用され、抽出サイクル間の処理液濃縮も省略できた。
  フランスは既に発電において軽水炉路線への転向を決めており、自らも天然ウラン燃料再処理技術の経験の延長として軽水炉燃料再処理へ挑戦中であり、技術導入先としては適切であった。フランスはCOGEMA社(現ORANO Cycle)のUP2に付設する形で、軽水炉燃料前処理施設(HAO)を計画し、HAO施設は東海再処理施設に先立つこと1年前、1976年にホット運転を開始した。東海再処理施設とHAO施設は同時期の設計であるが、その設計概念は若干異なり、二つの型式が試行されたことになる。
 
4.東海再処理施設の工程設計
  図1 に東海再処理施設の主工程、図2 に前処理工程の説明図を示す。使用済燃料受入貯蔵施設は、輸送用遮蔽容器(キャスク)および使用済燃料集合体をプール水中で取り扱う。キャスクから取り出した使用済燃料集合体は、プール水の汚染を減らすため密封容器付のバスケットに収納して保管する。使用済燃料貯蔵プールの貯蔵能力は140トン・ウランである。
  剪断機は、使用済燃料集合体を水平にして供給し、横方向から水平に動く階段状の剪断刃によって剪断するもので、SGN社が開発したプロトタイプ(初号機)である。制御装置は後に動燃の手で一新された。溶解槽は回分式(バッチ操作)のものが2基で1回の溶解量は最大約400kgウランである。この溶解槽は腐食による漏洩故障を生じたため、遠隔補修を実施し更に新設計のもの1基を増設した。清澄工程にはパルスフィルターを用い、溶媒抽出装置はミキサセトラ型を用いている。
  図3 に低放射性廃液処理工程説明図を示す。海洋放出廃液の放射能の低減化については格段の配慮を行い、高い除染係数が得られるよう蒸発缶を重ねて設置している。
 
5.東海再処理施設の安全設計
 本施設は、わが国で初めて建設・運転する再処理施設であるので、諸外国の同種工場の経験等を取り入れ、入念な安全設計が取り入れられている。また運転開始後も補強されている。放出放射能低減化についても世界でも先端をいく厳格な基準で設計され、前処理施設のオフガス一時貯溜設備、海洋放出廃液の残留油分除去設備等は他に類を見ない設計となっている。
 
6.東海再処理施設の運転実績
 1980年末の使用前検査合格証交付後、1981年1月より操業運転を開始したが、開始直後は必ずしも順調ではなかった。いわゆる初期運転段階での故障・不具合が発生し、なかでも酸回収蒸発缶(2回目)や2基の溶解槽等で発生した腐食による機器の損傷が目立った。高い放射線環境下にある溶解槽を補修するため、遠隔操作による補修技術が開発され、溶解槽の補修が行われた。また、溶解槽の不具合については、既設溶解槽の補修のほか、新溶解槽の増設等が行われ、溶解槽3基の運用体制とする対策を図ることで、以後の安定運転に寄与した。
 本格運転の初期に遭遇した故障・不具合の改善や知見が生かされ、1985年以降は安定した運転が維持できるようになった。1988年には、約1年間の計画停止期間をとり、設備・機器の改良補強工事を行った。この補強工事の主な内容は、酸回収蒸発缶およびプルトニウム蒸発缶塔部の高耐食性のチタン・タンタル合金への材質変更・取替、酸回収精留塔の加熱部構造の変更、剪断機の部品の改良・更新、パルスフィルター(溶解液の清澄)の2系列化などである。1995年に実施した第2回計画停止では、第1回計画停止時に実施しなかった大型機器の改良・更新を実施した。
 これ以降は、予防保全の観点からの消耗部品交換等の保守を継続的に実施することで、小さな故障はあったものの、ほぼ順調に操業運転を行うことができるようになった。
 1997年3月、東海再処理施設から発生する低放射性廃液の処理を行うアスファルト固化処理施設において火災・爆発事故が発生し、運転は中断に至った。事後の工場運営の方向性については、もんじゅ事故(1995年)以来の動燃への不信感を受けて進められた動燃改革における議論の進捗を踏まえて決定されることとなった。
 この動燃改革は、動燃を廃止し、核燃料サイクル開発機構(現日本原子力研究開発機構)を新設してプルトニウム利用関連開発業務を引き継ぐことで決着した。これを受けて、東海再処理施設では安全性確認作業を行い、安全性改良工事を実施するなど整備作業を進め(第3回計画停止)、1999年秋より運転を再開する予定としていた。しかし同年、同じ東海村に立地する核燃料加工会社JCOで臨界事故が発生したことから、運転は再度延期となった。
 その後、定期検査のための運転を経て、2000年に運転の再開を果たした。このキャンペーンでは、JCO臨界事故のウラン溶液(約20kg)を合わせて処理した。以降、「ふげん」の燃料を含めてBWR、PWRの処理を継続的に実施し、2006年3月までに約1,116トンの使用済燃料再処理を達成し、電気事業者との再処理役務契約に基づく使用済燃料のせん断・溶解を終了した。
 再処理役務契約に基づく再処理運転終了後は、研究開発運転へと移行し、プルサーマル燃料の先駆的実証として、従来よりもプルトニウム含有率が高いふげんMOX(ウラン・プルトニウム混合酸化物)タイプB燃料を用いた再処理試験が開始された。しかし、2006年9月に「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」が改訂されたことに鑑み、耐震バックチェック評価及び耐震性向上工事を優先させるため、07-1キャンペーンを最後に再処理の運転を停止した。2007年5月までの累積処理量は約1,140トン(tU)にのぼる。図4 に東海再処理施設の運転実績(年間処理量および累積処理量)を示す。
 07-1キャンペーン以降、耐震バックチェック評価が継続されるとともに、2008年4月から耐震性向上のための施設改造工事が実施されていたところ、2011年3月に東北地方太平洋沖地震が発生した。施設を設置している茨城県東海村では震度6弱を観測したが、設備の状態(負圧、液位、温度)に異常は認められず、施設外への放射性物質の漏えいもなく、放射性物質の閉じ込め機能や冷却機能などの安全機能が維持されていることが確認された。しかし、施設内で溶液状態で保管しているプルトニウム溶液及び高放射性廃液を潜在的ハザードと捉え、これら固化・安定化することで施設の安全性を向上させるため、原子力規制委員会の了承を得た上で、保有していたプルトニウム溶液及び高放射性廃液の固化・安定化に着手した。プルトニウム溶液については、2014年4月からプルトニウム転換技術開発施設の運転が再開され、2016年7月にプルトニウム溶液のMOXへの転換を完了した。また、高放射性廃液については、2016年1月にガラス固化技術開発施設(TVF)の運転が再開され、2028年度のガラス固化完了を目指して処理が進められている(2020年3月現在)。
 一方、2013年から2014年にかけて実施した国立研究開発法人日本原子力研究開発機構改革における事業の重点化・合理化に係る検討の結果、東海再処理施設については、新規制基準の施行を踏まえた費用対効果を勘案し、使用済燃料のせん断、溶解等を行う一部施設の使用を取りやめることが決定された。2017年6月に廃止措置計画が原子力規制委員会に申請され、2018年6月に認可された。
 
7.東海再処理施設が果たしてきた役割
 1977年のホット試験開始以来、東海再処理施設では、国内の再処理需要の一部を賄うとともに、高耐食性材料・施工技術、遠隔保守技術、環境放出放射能低減化技術、核不拡散技術等の技術開発が実施され、国内における再処理技術の確立、基盤整備に大きな役割を果たした。東海再処理施設において開発したプルトニウム・ウラン混合転換技術、ウラン脱硝技術、ガラス固化技術が日本原燃(株)六ヶ所再処理工場へ技術移転されるとともに、約30年にわたる運転・保守経験に基づく技術情報や技術開発成果についても、技術協力・技術支援を通して継承されている。
 
8.廃止措置
 2018年に廃止措置計画が認可され、東海再処理施設は廃止措置段階に入った。廃止措置計画では、高放射性廃液の処理等のリスク低減の取組み、主要施設の廃止、廃棄物処理・廃棄物貯蔵施設の廃止を進めるとしており、最終的に管理区域を有する約30 施設の廃止措置(管理区域解除)が全て完了するためには,約70 年の期間が必要となる見通しである。
 
<図/表>
  
図1 東海再処理施設の主工程説明図
図1  東海再処理施設の主工程説明図
図2 東海再処理工場の前処理工程概要図
図2  東海再処理工場の前処理工程概要図
図3 低放射性廃液処理工程概要図
図3  低放射性廃液処理工程概要図
図4 東海再処理施設の運転実績
図4  東海再処理施設の運転実績

<関連タイトル>
使用済燃料の受入、貯蔵 (04-07-02-01)
再処理の前処理工程 (04-07-02-02)
溶媒抽出工程 (04-07-02-03)
高レベル放射性廃液の処理 (04-07-02-07)
固体廃棄物の処理 (04-07-02-09)
再処理施設の工程設計 (04-07-03-02)
六ヶ所再処理工場 (04-07-03-07)
フランスの再処理施設 (04-07-03-08)
東海再処理工場の立地の経緯 (04-07-03-13)
東海再処理工場における火災爆発事故 (04-10-02-01)

<参考文献>
(1) 動力炉・核燃料開発事業団:動燃技報再処理特集、No.55(1985)
(2) 小泉 忠義:動燃事業団東海再処理工場の建設と運転、火力原子力発電、Vol.32, No.9(1981)
(3) 原子力委員会:原子力白書 昭和52年版、(昭和52年12月)
(4) 動力炉・核燃料開発事業団:年報 平成8年度、(1997年9月)
(5) 動力炉・核燃料開発事業団:よみがえるエネルギー「使用済み核燃料の再処理」(1994年11月(改))
(6) 日本原子力産業会議(編):原子力年鑑 平成9年版(1997年10月)p.1−4,150−153
(7) 日本原子力産業会議(編):原子力年鑑 2001/2002年版(2001年11月)p.188−189
(8) 原子力委員会(編):原子力白書 平成10年版、大蔵省印刷局(1998年8月)p.181−183
(9) 杉山 俊英ほか:軽水炉燃料の再処理、動燃技報 No.100, p.183−197 (1996年12月)
(10) 核燃料サイクル開発機構:パンフレット エネルギー安全確保のために 東海事業所 改訂、(2000年3月)
(11) 核燃料サイクル開発機構HP:東海再処理施設の状況(日報)(2002年1月17日)
(12) 独立行政法人日本原子力研究開発機構:東海再処理施設の役務処理完遂と「研究開発運転」への移行について、日本原子力研究開発機構HP:プレス発表 その他のお知らせ(2006年3月)
(13) 独立行政法人日本原子力研究開発機構:東海研究開発センター 核燃料サイクル工学研究所再処理施設の 耐震安全性評価実施計画書、日本原子力研究開発機構HP:プレス発表 その他のお知らせ(2006年10月)
(14) 独立行政法人日本原子力研究開発機構:東海再処理施設における「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」等の改訂に係る耐震安全性評価報告書(基準地震動策定、主な施設)の概要、日本原子力研究開発機構HP:プレス発表 その他のお知らせ(2010年6月)
(15) 国立研究開発法人日本原子力研究開発機構:プルトニウム転換技術開発施設における保管プルトニウム溶液固化・安定化処理の終了について(お知らせ)、日本原子力研究開発機構HP:プレス発表 その他のお知らせ(2016年7月)
(16) 国立研究開発法人日本原子力研究開発機構:ガラス固化技術開発施設の運転について(お知らせ)、日本原子力研究開発機構HP:プレス発表 その他のお知らせ(2016年1月)
(17) 独立行政法人日本原子力研究開発機構:日本原子力研究開発機構改革報告書、日本原子力研究開発機構HP:プレス発表 その他のお知らせ(2014年10月)
(18) 国立研究開発法人日本原子力研究開発機構:国立研究開発法人日本原子力研究開発機構東海再処理施設の廃止に向けた計画等の検討について(報告)、日本原子力研究開発機構HP:プレス発表 その他のお知らせ(2016年11月)
(19) 国立研究開発法人日本原子力研究開発機構 核燃料サイクル工学研究所再処理施設に係る廃止措置計画認可申請書(原申請は2017年6月申請、2018年6月認可)

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