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<概要>
 チェルノブイル原子力発電所事故(1986. 4.26)に伴う事故対策作業従事者は数十万人に上るという。事故の勃発時と消火活動で高い被曝をして急性放射線症の疑いで入院した者は499名、このうち放射線症と診断された者は237名、そして事故後10〜96日間に死亡した者は28名であった(このほか事故現場で行方不明、熱火傷死、プリピャチ入院施設で被曝半日後死亡が各1名)。放射線症患者の被曝は末梢リンパ球数、染色体異常等から推定し1〜2Gyは139人、2〜4Gyは53人、4〜6Gyは23人、6〜16Gyは22人であった。汚染除去等の作業者の被曝に対する管理基準は250mSv(1986)、100mSv(1987-8)、50mSv(1989)と変化したが、作業者の平均被曝線量は約120mSv、また250mSv以上の者は10%弱、50mSv以下の者は20%前後と推定された。
<更新年月>
1998年05月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
(本データに掲載された数値はその後見直しが行われています。<関連タイトル>のより新しいデータを合わせてご参照ください。)
(1)急性放射線症と診断された作業従事者の被曝
  1986年4月26日チェルノブイル原子力発電所で爆発火災を伴った大事故が起き、10日間にわたって大量の放射性物質が地球環境に放出された。このとき、事故区域のすぐそばにいた発電所の係員及び補助員は種々の放射線源により被曝した。すなわち、1)爆発時の事故現場における放射性雲からの短時間ガンマ線及びベータ線の外部被曝、2)敷地内に散乱した炉心損傷破片によるガンマ線及びベータ線の外部被曝(被曝は前者より小さい)、3)種々の放射性核種を含むガスやエアロゾルの吸入内部被曝、4)汚染物を洗い流すとき蒸気や塵埃が激しく飛散し衣服が濡れて皮膚や粘膜へ発生粒子が沈着したことによるベータ線の外部被曝、等である。このうち、ガンマ線の外部全身被曝とベータ線の体表面被曝がほとんどで、これに比べて内部被曝の寄与は相対的に少なかった。中性子被曝があると体内に22Na及び24Naが生成されるが、事故後36〜39時間以内に分析した結果、検出されなかった。従って、有意な中性子被曝は認められなかった。
  甲状腺におけるヨウ素同位元素の量は事故後2日目より4〜6回繰り返し測定された。この結果、放射能は131Iが80±20%、133Iが15±10%、その他(123I、124I、126I、130I)が2%以下と判明した。被曝した作業者の甲状腺個人線量の分布は表1に示すように、ほとんどの者が甲状腺障害をきたすレベル(3.7Sv)以下であった。平均線量は表1のデータに混成対数正規分布を当てはめて推定すると約1Svである。
  作業者の被曝の中に内部被曝の高い症例が少数あり、これを表2に示す。表2で内部被曝のとくに高い2名の犠牲者には火傷面からの核種取り込みが認められ、134Cs、137Csは40MBq及び80MBq、131Iは450MBq及び1100MBqであった。表2に示すこれ以外の例では134Cs、137Csの取り込み量は高々7.4MBqであった。他の症例では内部被曝は外部被曝の値の1−2%以内であった。
  尿中の超ウラン元素を266名について分析した結果、顕著なプルトニウム汚染は認められなかった。死亡した者について肺中の超ウラン元素を分析したところ、74−300Bqが認められたが、その90%はキュリウムで、プルトニウムとアメリシウムは10%であった。全身測定を行ったところ、大部分の者には20核種以上のエネルギーピークが検出されたが、よう素とセシウム以外の核種(95Nb、144Ce、140La等)による内部被曝線量の寄与は無視できる程度であった。
  外部被曝による線量は現場で得られた種々の測定値から再現して算定した。死亡した3例については衣服の繊維やエナメル質の電子スピン共鳴法による測定値を用いて修正した。これらの値は臨床的、生物学的な方法により得た線量推定値と±20%の範囲で一致した。最初の3日間に急性放射線症の疑いで299名がモスクワの専門治療センターとキエフの複数の病院に収容され、その後数日にわたり、200名程が検査のため入院した。このうち237名が表3に示すように軽症(1−2Gy)、中症(2−4Gy)、重症(4−6Gy)、極めて重症(6Gy以上)と分類される急性放射線症と診断された。ただし、1986年8月の事故総括会議では被曝1Gy以上の急性放射線症患者は203名とされたが、1986年11月の報告では軽症とされる者が増え、237名に訂正された。また、このうちモスクワの専門治療センターで治療を受けた者について骨髄線量の分布を表4に示す。表4には重傷度ごとの死亡数及び死亡時期の日数も示されている。
(2)疫学調査のために登録された作業従事者の被曝
  がん等の晩発影響を調査するため、前記の急性放射線症と診断された生存者を含めて、ロシア連邦オブニンスクにある医学登録システムに被ばく線量及び医学データが登録されている。この医学登録システムはWHOと旧ソ連邦との間に国際放射線研究センターを作る構想があり、それに沿って作られたものであった。現在はロシア連邦に属し、30km圏外の汚染地域住民、30km圏内から疎開した住民及び事故対策作業従事者を併せて、1991年11月時点で約60万人が登録されている。このうち事故対策作業従事者はほぼ 227,000人であるが、登録者名を公表し、未登録者の申し出を現在も募っている。しかし、事故対策作業従事者の被曝の概要はこれらの登録データから知られると考えられる。
  このような登録データから推定すると、250mSvを超える被曝の割合は10%以下、100−250mSvの割合は約45%、50−100mSvの割合は30%弱、残りは50mSv以下となる。混成対数正規分布を用いて平均線量を推定すると120mSv程度になる。事故後の経過時間に伴う作業従事者の日毎の被曝の平均値は日数が増すにつれて減少すると考えられる。この日毎の被曝の平均値は事故後40−250日間では余り下がらず170mSv前後に留まっているが、それ以降は減少し390日後には100mSv以下、 600日後(1987年末くらい)には10mSv以下になったという。これらの作業従事者はほとんどがロシア連邦とウクライナの出身で、作業従事者が事故施設から30km圏内に到達した時期はほぼ50%が1986年、およそ40%が1987年で、残りは1988〜89年であった。作業日数は1カ月以内が14%、1〜2カ月が30%、2〜3カ月が30%、残りは3ヵ月以上、また、年齢は20歳以下が2%弱、20歳台が36%、30歳台が54%、40歳台が8%、残りが50歳以上であった。
(注)事故対策作業に従事した軍人及び民間防衛隊を復旧作業員(Liquidators、リクイデイタ)と呼ぶことがある。
<図/表>
表1 事故対策作業従事者の甲状腺線量の分布
表1  事故対策作業従事者の甲状腺線量の分布
表2 内部被曝の高い犠牲者(死亡作業者)の線量
表2  内部被曝の高い犠牲者(死亡作業者)の線量
表3 最も被曝した事故対策作業従事者への全身ガンマ線線量の分布
表3  最も被曝した事故対策作業従事者への全身ガンマ線線量の分布
表4 専門治療センターで治療を受けた急性放射線症患者の分布
表4  専門治療センターで治療を受けた急性放射線症患者の分布

<関連タイトル>
チェルノブイリをめぐる放射線影響問題 (09-01-04-10)
フォールアウトからの人体内セシウム(40年の歴史) (09-01-04-11)
放射線の急性影響 (09-02-03-01)
放射線の晩発性影響 (09-02-03-02)
チェルノブイル事故による健康影響 (09-03-01-06)
旧ソ連チェルノブイルから10年−放射線影響と健康障害−(OECD/NEA報告書) (09-03-01-07)
チェルノブイリ事故による放射線影響と健康障害 (09-03-01-12)
チェルノブイリ事故による死亡者数の推定 (09-03-01-13)
外部被ばくの評価 (09-04-04-03)
内部被ばくの評価 (09-04-04-04)

<参考文献>
(1)原子放射線の影響に関する国連科学委員会報告書(1988)附属書G付録
(2)国際チェルノブイル計画 技術報告書(1991) p.77
(3)CHERNOBYL:A TECHNICAL APPRAISAL, Proc.(1987) of the seminar organized by the British Nuclear Energy Society held in London on 3 October 1986. British Nuclear Energy Society, London,pp.64-65
(4)科学技術庁原子力局:チェルノブイル原子力発電所事故後の状況(1992)
(5)A.F.Tsyb, V.K.Ivanov, et.al:Problems of risk assessment for short-term and long-term effects of low dose of radiation, presented at the Fukui workshop on health risk,Fukui,July 17-19,1992
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