<大項目> 原子力発電
<中項目> 原子力発電所の事故・故障
<小項目> 海外の原子力発電所の事故・故障・トラブル
<タイトル>
TMI事故時の避難措置 (02-07-04-03)

<概要>
 1979年3月28日午前4時、TMI-2号炉は給水ポンプのトラブルを発端として加圧器逃し弁開固着から、炉心の約2/3程度露出したと思われる事故が発生し、大量の放射性物質が環境に放出された。事故発生から約3時間後、燃料破損が明らかになったため、所内緊急事態(Site Emergency)を発令、その後も、格納容器内を始め各所の放射線量率は上昇し続けたので一般緊急事態(General Emergency) が発令された。連邦政府、州などの各機関の緊急時対応チームがモニタリング活動を開始した。NRCの緊急対策準備室は、対策責任者チームの状況誤認に基づく勧告を受けて、ペンシルバニア州の緊急時管理庁に対し、「原子炉から10マイル以内の住民の避難」を勧告した。その結果州知事は「発電所から5マイル(8km)以内の妊婦と学齢前の乳幼児の避難」を勧告し、地域の学校の閉鎖を命じた。これを聞いてかなりの一般人も避難した。
<更新年月>
1998年05月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
TMI事故時の避難措置
1.避難措置
 給水ポンプのトラブルを発端とした加圧器逃し弁開固着(小破断 LOCA 相当)からの炉心損傷による事故発生から約3時間後の午前7時ごろ、1次冷却材の放射能濃度が急上昇し、燃料破損が明らかになったため、運転直長は所内緊急事態(Site Emergency)を発令した。さらにその後も、格納容器内を始め各所の放射線線量率は上昇し続けたので、7時30分ごろ、一般緊急事態(General Emergency) が発令された。この連絡を受けた連邦政府、州などの各機関の緊急時対応チームが発電所周辺のモニタリングなどの活動を開始した。原子炉は、事故発生約16時間後に、ほぼ制御可能な状態になったが、環境への放射性物質の放出はまだ続いていた。さらに、原子炉の状況の把握や、その評価について現地と米国原子力規制委員会(NRC)本部との情報伝達がうまく行かず、正確な事態の認識がなかなか得られない状況であった。
 事故後2日たった3月30日の午前8時ごろ、TMI-2号炉の抽出・充填系から放射性気体が一時的に放出された。補助建屋排気筒の上空40mでモニタリングを行っていたヘリコプターは、毎時1,200ミリレントゲンという値を観測し、NRCの対策責任者チーム(事故が発生した時にNRC内部に作られる組織)に通報した。たまたまこの時、対策責任者チームは、TMI-2号炉で廃ガス貯蔵タンクが満杯になった時にこの全量が放出されるという最悪の場合の影響を計算していた。この計算によれば、敷地境界で毎時1,200ミリレントゲンと推定されていた。ちょうどその時、ヘリコプターからの毎時1,200ミリレントゲン値が報告され、偶然にも推定値と値が一致していたため、測定と計算の場所の違いを混同してしまい、対策責任者チームは混乱に陥ってしまった。ヘリコプターが補助建屋上空で毎時1,200ミリレントゲンを測定した時、敷地境界の線量率は毎時14ミリレントゲンであった。
 NRCの緊急対策準備室は、対策責任者チームの状況誤認に基づく勧告を受けて、ペンシルバニア州の緊急時管理庁に対し、「原子炉から10マイル以内の住民の避難」を勧告した。この勧告を受けた州の放射線防護局は、各種の情報を検討した結果、避難に必要はないと確信し、その旨を州知事に通報しようとしたが、電話回線が混雑して連絡がとれなかった。
 NRCの委員にも、情報がスムーズに伝わらず、状況把握が困難な状態だった。午前10時ごろ、NRC委員長と州知事の間に電話連絡がとれ、その際NRC委員長は、念のため、発電所から東北方面8km以内の住民は、これからの30分間は屋内に留まるように州知事に要請した。州知事は午前10時25分ラジオ放送で発電所から16km以内の住民は、屋内に留まるよう勧告した。このころ、NRC対策責任者チームにも正確な情報が伝わり、先に行った避難勧告を取り消した。NRCの委員達は、この間も避難について検討を続けていたが、結論に達しなかった。11時40分ごろ、NRC委員長と州知事とは電話で連絡し、その結果州知事は「発電所から8km以内の妊婦と学齢前の乳幼児の避難」を勧告し、同時にこの地域のすべての学校の閉鎖を命じた。これを聞いて、妊婦、乳幼児にとどまらず、かなりの数の住民が避難を行った。
 さらに、NRCでは、1次系内にたまっている水素ガスに、水の放射線分解で生じた酸素が加わって爆発する可能性について深刻に憂慮し始めた。これは、この時の1次系の条件では放射線分解によって生じた酸素は直ちに水素と再結合することを見落としたものであった。NRCは、水素ガスの抜き取りの方法を検討する一方、より大規模な避難計画の策定を急いだりした。4月2日までには、1次系内のガスはほぼ除去され、また爆発の危険もなかったことが明らかになった。しかし、この間、様々な情報が乱れ飛んで住民の不安と混乱を増大した。
 このように、結果からみると、TMI事故での避難措置や、爆発にそなえての対応は、事故の状況の誤認、見落としによるもので、不必要なものであったことになる。事故時の情報の混乱などが、このように不必要な措置を採らせたものであるが、このことが住民に対して与えた精神的な影響は相当に大きかったと言わなければならない。
2.TMI事故による周辺公衆及び作業従事者の被ばく
 (1) 放射性物質の放出経路と放出量
 環境に放出された放射性物質の大部分は気体状の放射性物質で、主として放射性希ガスと放射性よう素である。これらの放射性物質が環境に放出された経路はいくつか考えられているが、最も大きいものは、放射性物質を含んだ1次冷却材が抽出され、補助建屋内の抽出・充填系で脱気される際に出てきた放射性ガスが配管や機器の漏洩箇所から外へ出たもので、補助建屋の換気系によって、排気筒から環境に放出されたものである。また、後には、抽出・充填系のタンクの逃し弁などから放出されたこともあった。放出量についてはいくつかの推定があるが、原子力安全委員会(米国原子力発電所事故特別委員会第3次報告書)資料によれば、放射性希ガス約250万キュリー、よう素のうち、よう素131が約15キュリーと推定されている。
 微量ではあるが液体の形で、サスケハナ川に放出された放射性物質もある。事故時に1次冷却材のサンプリングを行った際の廃液が汚染水ドレンタンクからオーバーフローして、産業廃棄物処理系に流入したものがそのまま放出された。その後も、微量の放射性物質が産業廃棄物処理系を通して放出されたと推定されるが、問題となるほどの量ではなかったと思われる。
 (2) 周辺公衆と作業従事者の被ばくとその健康への影響
 環境に放出された放射性物質による周辺公衆の外部全身被ばく線量は、事故発生から4月15日までの期間について、主として周辺に配置されていた多量の熱蛍光線量計TLD)の観測値に基づいて評価が行われた。その結果、被ばく線量が最大となると考えられる、サスケハナ川東岸にあるTMI原子力発電所北門付近において事故発生から数日間連続して屋外に居たと仮定した場合でも、その値は100ミリレム以下である。また、TMI原子力発電所から半径80km以内の住民約216万人についての集団線量については、家屋の遮へい効果を考慮した場合2,000人・レム(個人平均約1ミリレム)と評価されている。内部被ばくに関しては、環境試料測定値からよう素131の吸入又は摂取による甲状腺被ばく線量の最大値は、作業従事者の約54ミリレムと算定されている。なお、周辺公衆760人について全身測定を行った結果、有意な体内汚染は検出されなかった。これらの被ばくによる健康への影響は外部被ばくより少ないと考えられている。
 作業従事者の集団線量は3月から6月末までで、約1,000人・レムであった。事故直後に全身被ばく線量が3レムを超えた者は3名で、最大は約4.2レムであった。その後9月末までに3レムを超えたものは合て7名となっているが、年間の線量限界(5レム)を超えて被ばくした者はない。
 これらの被ばくによって生じ得る健康への影響(発ガンなどの身体的影響遺伝的影響)は、これらの被ばくがなかった場合に比べて、無視し得る程度であった。たとえば、半径80km以内の約216万人の住民のうち、自然に、あるいは何らかの特定できない原因によって今後発ガンによる死者は、約325,000人と推定されているのに対し、今回のTMI事故によって増加するガンによる死者は1名未満と推定される。周辺公衆の受けた健康上の影響の最大のものは、放射線被ばくによる影響よりはむしろ精神的影響であったと考えられる。
<関連タイトル>
米国スリー・マイル・アイランド原子力発電所事故の概要 (02-07-04-01)
TMI事故の経過 (02-07-04-02)
TMI事故直後の評価 (02-07-04-05)

<参考文献>
(1)原子力安全委員会:米国原子力発電所事故特別委員会第3次報告書、昭和56年5月
(2)科学技術庁(編):FBR広報素材資料集(2版)
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