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<概要>
 平成23年3月11日15時42分、福島県災害対策本部(以下、「県本部」という。)に福島第一原発(以下、「福島第一」という。)の全交流電源喪失との一報があり、県本部は関係機関に対し電源車の派遣を要請した。19時03分、総理大臣から原子力緊急事態宣言が発令された。県本部は福島第一2号機の原子炉水位低下の連絡を受け、20時50分、大熊町・双葉町に対し福島第一から半径2km以内の住民の避難指示を行った。21時23分、国から半径3km以内の住民の避難指示が出され、両町の住民避難は翌0時30分頃完了した。
 翌12日、福島第一周辺は半径10km以内、半径20km以内へと、福島第二原発周辺は半径3km以内、半径10km以内へと、いずれも事前の想定をはるかに越えて避難区域が急拡大し、多数の町村で役場ごと地域全体が避難することとなった。その間、15時36分、福島第一で1号機建屋の水素爆発が発生し、その後の対応に大きな混乱をもたらした。
 県内各地で甚大な地震・津波被害が発生している中での原子力災害の発生に対し、福島県は、住民避難の支援、避難者のスクリーニング検査、緊急時モニタリングの実施、福島第一の施設状況の把握、県民からの放射線に関する問い合わせ等の対策を行った。
<更新年月>
2016年12月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
1. オフサイトセンター等の初期対応
 原子力災害対策特別措置法(以下、「原災法」という。)では、原子力事故が発生した場合、オフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点)に国、県、事業者等の原子力防災関係者が集合し、「原子力災害合同対策協議会」が組織され、事故の状況把握と予測、住民の安全確保のための措置等の様々な緊急事態応急対策について指揮、調整等を行うこととされていた。
 しかし、平成23年3月11日15時42分に発生した福島第一原発(以下、「福島第一」という。)の事故においては、オフサイトセンターへの要員参集が遅れ、要員数も不十分であったこと、オフサイトセンターの非常用電源の故障により電源喪失状態となったこと、また、その後の通信回線の途絶等のため、事故発生直後から数日間、その機能をほとんど発揮することができなかった。
 このため、本来、オフサイトセンターが行うはずであった情報収集、住民避難、スクリーニング、緊急時モニタリング等の初期対応の多くを、福島県災害対策本部(以下、「県本部」という。)が直接実施する状況となり、県本部には急遽、原子力班が設置された。
 オフサイトセンター、福島県原子力センター(以下、「原子力センター」という。)、大熊町・双葉町の両役場、両町の最も大きな避難施設は、いずれも福島第一から4〜6km内の比較的近接した場所にあった。また、県本部が置かれた福島県自治会館、原子力センター福島支所、各原子力発電所と県との通報連絡を補佐する東京電力株式会社福島事務所(以下、「東電福島事務所」という。)は福島第一から北西約60kmの福島市にあった。
2. 県本部の対応
2.1 県本部の初期対応
 県本部は、地震の影響により県庁本庁舎が使えないため、代替場所として県庁隣接の福島県自治会館に設置された。しかし、代替場所には、備えられていた防災行政無線の回線数が少なく、衛星電話回線もなかった。本来の通信手段として原子力緊急事態に備え整備されていた直通電話、FAX回線、TV会議やスピーディ専用端末は全く使用できない状況となり通信に困難を生じた。
 3月11日15時42分、県本部に東電福島事務所の社員から福島第一の全交流電源喪失(原災法第10条該当)に関する一報があり、福島第一の外部電源が2系統とも喪失、1〜5号機用の非常用ディーゼル発電機が全て止まっているという内容の重大情報は、速やかに本部長(知事)に報告・説明された。
 本部長から電源確保を最優先するようにとの指示が出され、県本部は関係機関に対し、パトカー先導での電源車派遣を要請した。その後、福島第一からECCS(非常用炉心冷却装置)の注水不能(原災法15条該当)の連絡等が随時県本部にもたらされたが、福島第一に最初に自衛隊の電源車が到着したのは21時20分であった。
2.2 事故発生当日の住民避難
 19時03分、総理大臣から原子力緊急事態宣言が発令されたと報道された頃、県本部原子力班の連絡は、3台の衛星携帯電話が頼りの状況であった。
 県本部は、東電福島事務所から福島第一2号機の原子炉水位が低下し、TAF(有効燃料頂部)に達しそうだとの連絡を受け、20時50分、大熊町・双葉町に対し、福島第一から半径2km以内の住民の避難指示を行った。続いて、21時23分、国から半径3km以内の避難指示が出されたとの報道を受け、県本部は大熊町・双葉町に対し、避難範囲の拡大の通報連絡、避難状況の確認作業等を行った。
 両町の住民避難が完了したのは翌0時30分頃であったが、この時点の避難対象住民数は6千名弱であり、避難先も町内の避難施設であったことから、混乱は比較的少なかった。
2.3 事前想定をはるかに越えた避難区域の急拡大
 福島第一のベント作業が遅れていた翌12日5時44分、国から福島第一の半径10km以内の住民(5万1千人)に避難指示が出された。7時45分、福島第二原発(以下、「福島第二」という。)でも1、2、4号機で圧力抑制機能喪失(原災法15条該当)が発生し、国から福島第二の半径3km以内の住民(8千人)に避難指示が出された。県本部は、避難先のリストアップ、避難バスや避難所の手配等に努めたが、バスが通れるルートや避難先もはっきりしない状況の中で福島第一、福島第二周辺計6万人余の住民を、県本部と町役場との連携のもとバス輸送で避難させるのは困難であり、多数の住民が自家用車で避難する状況となった。
 15時36分、福島第一1号機建屋の水素爆発が発生した。この爆発はその後の対応に大きな混乱をもたらした。
 17時39分、福島第二の半径10km以内の住民(3万2千人)に避難指示、18時25分、福島第一の半径20km以内(約8万人)に避難指示が出された。以後、計画的避難地域の設定に至る一連の避難指示と、避難対象者の状況を表1に示す。
 県内各地で甚大な地震・津波被害が発生している中での原子力災害の発生であり、原子力防災対策を重点的に充実すべき地域の範囲(EPZ)をはるかに越えた広域にまで避難が拡大し、多数の町村で役場ごと地域全体が避難することとなった結果、一般住民への避難支援はもとより、避難先病院が不明な状況で入院患者を避難バスに乗せざるを得ない事態が発生するなど、要配慮者対策を十分に講ずるのが難しい状況となった。
2.4 避難者のスクリーニング検査
 県本部では、国(官邸危機管理センター)からの連絡を受けて、スクリーニングによる被ばく医療調査と相談体制の構築を図ることとし、すべての避難所を巡回してスクリーニング調査を開始した。当初の10日間に7万5千人、4月26日までに17万2千人のスクリーニング検査が行われた。
 避難を余儀なくされた住民からは、原子力発電所の危険な状況や避難に役立つ情報が行政から十分に提供されないまま、避難先を転々とする生活を強いられたことについて厳しい指摘があった。
2.5 福島第一の施設状況の把握と汚染水海洋放出への県の対応
 県本部では、福島第一の施設状況について随時連絡を受け、対応に当たっていた。4月6日、福島第一で高濃度の汚染水の貯蔵容量を確保するために、比較的低濃度の放射性廃液を海洋放水することを容認したが、これに対しては厳しい批判が寄せられた。
2.6 緊急時モニタリングの実施
 福島県が設置した放射線測定局は、福島第一及び福島第二を取り囲むように計23局あったが、うち4局が津波により損壊し、その他の局はネットワーク回線の不通により、原子力センター内の大野測定局を除き、11日17時までに現地の測定値が把握できなくなった。
 原子力センターでは、12日からモニタリング活動を開始したが、地震による道路状況の悪化や燃料不足などにより、思うようなモニタリング活動が出来なくなり、13日からは現地での緊急時モニタリングは縮小された。
 このため、県本部では、県内の放射線モニタリング体制の強化に努めることとし、13日早朝からは県内主要都市7ヶ所で、サーベイメータによる24時間連続測定を始めた。また、他県からの支援により避難指示地域の周辺に可搬型モニタリングポストを設置した。
 その後、いわき市等での空間線量の上昇を踏まえ、15日以降、県本部は県内各地の放射線モニタリング結果を公表することとした(図1)。15日には、県内各地で降雨・降雪があり、県内の主な人口集積地域に大量の放射性物質が沈着し、放射線量の高い状態が続くこととなった。
 県本部は、16日以降、空間線量のモニタリング地点を大幅に拡大していくとともに、県内各地の水道水や農産物のモニタリングを拡充していったが、19日以降、牛乳、水道水などの高濃度ヨウ素汚染や野菜の高濃度セシウム汚染が次々に確認、公表されて、水道水の飲用制限や農産物の出荷制限が相次いだことから、県民はもとより全国民に事故の深刻さと放射能汚染への不安が広がった(表2)。県本部には、県内各地から水道水や農産物の検査を早急に実施する要請が殺到し、全国の検査機関の協力を得たものの、検査要望の多くに応えることが出来なかった。
 3月23日、原子力安全委員会(当時)から飯舘村等を避難指示対象区域に拡大する案が公表されたため、県本部は飯舘村の要請を受け、村内の水田、居住地等の土壌と大気浮遊塵の汚染状況の詳細モニタリングを実施した。また、4月からの新学期が始まる前に県内のすべての保育所、小・中学校等(約1,800施設)の放射線モニタリングを行うとともに、県内各地の放射線量を正確に把握する必要があることから、事故後1ケ月を目途に全県メッシュ調査(約1,900地点)を行った(図2)。事故後半年間での環境放射線モニタリング地点数は1万5千地点となった。
 また、水道水や井戸水、農畜産物、農地や公園等の土壌、下水処理施設の汚泥、海水など、核種分析の検査対象も大幅に拡大され、事故後半年間の調査検体数は4万件を超えた。
2.7 放射線に関する問い合わせ窓口の設置
 3月17日、県本部は専門の相談窓口を設置し24時間体制での電話相談を開始した。
 当初3名からスタートしたが、昼夜分かたず相談が殺到し、事故後1月目には、日中8名、夜間5名の相談体制となった。この間の相談件数は1日平均272件であり、相談内容は、積算線量の公表要望、学校モニタリングの継続要望、居住地の数値が高いことへの不安などの放射線量の測定値に関すること、日常生活への影響、幼児・子供・妊婦への影響などの健康影響に関すること、家庭菜園の野菜の摂取、雨天時の対応などの家庭での対応方法に関すること等であった。
 相談窓口の設置は県民の不安解消に役立つとともに、県民の直接の声をもとにした要望は県本部の原子力災害の対応策に反映されることとなった。
<図/表>
表1 避難指示と避難対象者の状況
表1  避難指示と避難対象者の状況
表2 緊急時モニタリングの実施状況と結果への対応
表2  緊急時モニタリングの実施状況と結果への対応
図1 県内各地の放射線モニタリング結果
図1  県内各地の放射線モニタリング結果
図2 全県メッシュ調査結果(平成23年4月 事故後1ヶ月)
図2  全県メッシュ調査結果(平成23年4月 事故後1ヶ月)

<関連タイトル>
福島第一原発事故の概要 (02-07-03-01)
福島第一原発事故への国の初期対応 (02-07-03-03)
避難区域等の設定と住民避難 (02-07-03-05)
原子力被災者への対応に関する取り組み (02-07-03-09)

<参考文献>
(1)政府事故調最終報告書(平成24年7月23日)、http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/icanps/post-2.html
(2)国会事故調報告書(平成24年7月5日)、http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3856371/naiic.go.jp/pdf/naiic_honpen.pdf
(3)福島県:東日本大震災の記録と復興への歩み(平成25年3月)、https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec_file/koho/e-book/_SWF_Window.html
(4)福島県生活環境部:東日本大震災に関する福島県の初動対応の課題について(平成24年10月)、https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/41222.pdf
(5)福島県災害対策本部原子力班:放射線・除染講習会テキスト(平成24年3月)、http://manualzz.com/doc/4785242/
(6)福島県:環境放射線モニタリング・メッシュ調査結果情報、福島県放射能測定マップ、https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16025d/monitaring-mesh.html
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