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<概要>
 20世紀はじめから石油事業で国際的大企業に発展した国際石油資本(メジャーズ)は、中東での石油生産を一手に掌握してきた。
 1960年代から1970年代前半にかけて、世界的な好況により石油の需要が急増したが、1973年、アラブ諸国とイスラエルの間で第四次中東戦争が始まったのをきっかけに、石油の需給が逼迫し原油価格が高騰した(第一次石油危機)。次いで、1978年のイラン政変に端を発してOPEC諸国の主導による原油価格の引き上げが行われた(第二次石油危機)。この二度にわたる石油危機で、世界の経済は大きな影響を受けた。また、2004年以降、需給逼迫を先取りした投機資金の流入などにより、原油価格が高騰している。
<更新年月>
2005年07月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
(a)国際石油資本(メジャーズ)
 国際石油資本とは、エクソン(Exxon)、モービル(Mobil)、テキサコ(Texaco)、シェブロン(Chevron)、ガルフ(Gulf:1984年にシェブロンに吸収合併される)(以上:米国系)と、BP(ブリティッシュ・ペトロレアム(British Petroleum)(英国系)、ロイヤル・ダッチ・シェル(Royal Dutch / Shell(英蘭系)の7社をいい、セブン・シスターズともいわれた。フランス石油(Compagnie Francais des Petroles:CFP)を加えて8大メジャーズということもあった。1998年時点では上記のエクソン、モービル・オイル、シェブロン、テキサコ、ロイヤル・ダッチ・シェル・グループ、BPの6社であった。2003年現在では、上記のセブンシスターズは、エクソンモービル、シェブロン・テキサコ、BP、ロイヤル・ダッチ・シェルの4社に統合されている。CFPは吸収合併の過程で、何回か社名が改称され、1985年にはトタールCFP、1991年にトタール、1999年にトタール・フィナ、2000年にはトタール・フィナ・エルフとなった。2003年には社名がトタールに戻された。
 石油産業の採掘、輸送、精製、販売のうち、原油採掘もしくは精製業の一部門だけを扱う独立系(インデペンデント:Independent Oil Company)に対し、全段階にわたる大企業という意味でメジャーズまたはメジャー(intenational major oil conpanies:国際石油資本)とよばれる。
 メジャーズの特徴は、中東やアフリカなどの資源地域と、石油消費地域である先進工業諸国にまたがって事業活動を行う多国籍企業で、また、上記の採掘から販売までの一貫した操業にみる垂直的統合機構にある。
 20世紀はじめから国際的な大事業に発展したメジャーズは、長年、世界の石油の宝庫である中東での石油生産の99%以上を一手に掌握してきたが、1951年のイランの石油資源国有化を皮切りに、1960年のイラクによる鉱区接取、同年9月の主要原油産油国によるOPEC(石油輸出国機構:後述)の結成、1972年のイラクによるイラク石油の国有化、1973年1月からのアラビア湾岸諸国の25%資本参加、1973年5月のイランによる石油資産の全面国有化、さらに、1979年以降の中東、南米、アフリカにわたる全面国有化の波により、メジャーの資産・施設は大半の産油国により接取され原油の支配力もなくなった。
 メジャーもかっての一貫操業体制に固執せず、採算のよい部門に特化するなど大きく変わったが、メジャーの資金力と技術力は強力で収益力は抜群である。探鉱開発の技術革新による北海、アラスカ、メキシコ等の非OPEC(OPEC:後述)地域での収益増のため、投資を集中させたりしている。
(b)OPEC(石油輸出国機構)
 OPEC(Organization of Petroleum Exporting Countries:石油輸出国機構)は、1960年9月にイラク政府の招請で、イラク、イラン、クウェート、サウジアラビア、ベネズエラの5大石油輸出国の関係閣僚会議がバクダッドで開催され、その議決に基づいて設立された国際組織である。メジャーズによる石油公示価格の一方的引き下げに対抗して原油価格の水準を維持安定させることを主目的とし、これに関連して産油国間の石油政策の協調と、情報収集、交換を行うための機関として出発した。実際は、原油価格の下落の防止が主要目的だった。その後カタール、インドネシア、リビア、アラブ首長国連邦、アルジェリア、ナイジエリア、エクアドル、ガボンが加わったのち、1992年末にエクアドル、1995年にはガボンが脱退して加盟国は11か国になっている。1960年代にこれら産油国はメジャーに対する相対的地位を強化し、公示価格を固定的にすることに成功した。1970年代に入って米国の石油輸入依存の拡大とそれに伴う石油需給の逼迫に力を得て、メジャーズに代わって、原油の生産・価格決定権を握るまでになった。
 OAPEC(Organization of Arab Petroleum Exporting Countries:アラブ石油輸出国機構)は、1968年にクウェート、リビア、サウジアラビアによって創設された。OPEのように石油政策を協議するのではなく、タンカーの建造や石油精製、石油化学工業など、実際の事業を担当するのが目的である。後に、カタール、アブダビなども加わって11か国となった。
(c) 第一次石油危機
 1973年10月6日、アラブ諸国とイスラエルの間で第四次中東戦争が勃発した。これをきっかけに、OAPECは10月17日に原油の生産制限と禁輸措置(アラブ石油戦略)を発効し、OPECはこれに並行して原油価格の大幅引き上げを行った。生産量や価格の決定権が産油国主導の形に変わったわけである。国際石油市場は不安定化を強め、原油価格は一斉に高騰した。1973年の前半は1バレル当たり2ドル台だったものが、1974年には11ドル(公示価格)台にはねあがる。この原油価格の急騰は世界各国の経済を直撃し、石油需給の逼迫、モノ不足、インフレなどをもたらした。そのため省エネルギー、脱石油化などの対策がとられることになった。
(d) 第二次石油危機
 1978年秋、イランにイスラム革命が勃発した。世界は第一次石油危機を克服し、繁栄を取り戻し、エネルギー及び石油の需要は増大していた。イラン石油の生産ストップによる石油需給の逼迫を見て、OPECは原油価格を上げ、原油価格は再び高騰し始めた。1979年3月のOPEC臨時総会で、加盟国は原油価格引き上げの前倒しを決めるとともに、自国の状況に応じてプレミアムを加えることができるようにした。これが価格体系を無秩序化するきっかけになった。同年の6月には18ドルに、11月には24ドル、1980年に入ると30ドルを突破した。こうしたOPEC諸国の強引な価格設定は、消費国の反発を招いた。石油需要が減少・低迷に転じ、同時に非OPEC産油国の北海油田、メキシコなどの進出により、OPEC諸国の生産シエアは急激に低下していく。
(e) OPECの市場支配力の低下
 2度にわたる石油危機を通じて、OPECカルテルによる市場支配は強まり、自由世界におけるOPECの石油供給シェアは66%と、大きく非OPEC産油国のシェアを引き離す結果となった。
 しかしOPECが力による高価格政策を続ける裏側で二つの大きな変化が生じていた。一つは石油需要の減少であり、もう一つは非OPEC産油国の原油生産量の急増である(表1)。
 自由世界の石油需要は、第二次石油危機以降、景気の停滞や消費国の脱石油政策の展開によって1979年をピークに1983年まで減少を続けた(表2)。第一次石油危機の発生によってまかれた消費国の脱石油の種は、第二次石油危機の発生によって大きく開花することになる。特に電力部門・産業部門における重油需要は著しく減少した。また、最近の問題として消費国で検討されている炭素税の導入がある。これは地球温暖化の一因とされる二酸化炭素の排出量を、化石燃料に課税することで削減したい消費国側と、課税による石油需要の減退を懸念する産油国側とが協調して議論すべき問題と思われる。
(f)最近の原油価格の高騰
 1980年代後半以降、OPECの価格支配が弱まるにつれて、世界の中で相対的に市場規模の大きなニューヨーク・マーカンタイル取引所のWTI原油 (West Texas Intermediate)先物価格が国際的に高い指標性を持つようになった。90年代は1バレル20ドル前後で安定的に推移した後、2000年以降は、ほぼ30ドル前後で安定したが、2004年に入り急速に上昇し、一時、50ドルを超えたが、その後40ドル台で推移した。この背景には、需要増加に加えて、北米で起こったハリケーンやベネズエラ等の産油国内の政情による供給不安、投機資金の流入等の要因がある。2005年には再び50〜60ドルに値上がりし、一時的には62ドルまで上昇した。(図1
 一方、アジア、ヨーロッパ市場においては、中東産ドバイ原油、北海ブレンド先物価格が指標として機能している。ドバイ価格は90年代以降1バレル15ドル前後、2000年以降2003年までは25ドル前後で推移していた。2004年以降、WTIとの価格差はおおよそ5ドル前後で、ほぼ同様に推移し、8月に40ドルの高値を記録したが、その後35ドル前後の安定的水準になっていた。2005年に入り、産油国のイラン・イラク問題、中東和平の行方もからみ、急騰し、45〜50ドルという高値で推移している。北海ブレンド先物は両者の間の価格であるが、2005年以降はWTIに近い価格で推移している。
 産油国の生産能力が乏しく、中国、インドなどの旺盛な需要に対応できずに投機資金が大量に流入した結果、しばらく45〜50ドルに高値止まりするとの予測もある。このため原油価格の高騰は世界的な経済成長に深刻な問題を引き起こしているとの指摘もある。
<図/表>
表1 世界の原油生産実績の推移
表1  世界の原油生産実績の推移
表2 世界の一次エネルギー消費(石油)
表2  世界の一次エネルギー消費(石油)
図1 高騰した原油価格
図1  高騰した原油価格

<関連タイトル>
国際エネルギー情勢と今後の展望 (01-07-02-01)
石油危機と日本 (01-02-03-04)

<参考文献>
(1) 日本石油株式会社(編):石油便覧1994、燃料油脂新聞社(1994年3月)p.29-70
(2) 資源エネルギー庁省エネルギー対策課(監修):省エネルギー便覧(2004年版)、省エネルギーセンター(200411月)、p.20-21
(3) 資源エネルギー庁長官官房企画調査課(編)、日本エネルギー経済研究所 計量分析部(協力):総合エネルギー統計 平成11年度版(2000年3月)p.368-437
(4) 資源エネルギー庁(編):エネルギー2000、(株)電力新報社(1999年10月)、p.106-110、p.168-172、p.210-212、p.241-247
(5) 通商産業省資源エネルギー庁石油部(監修):平成11年「石油資料」、石油通信社(1999年8月)
(6) (財)日本エネルギー経済研究所計量分析センター(編):EDMC/エネルギー・経済統計要覧(2005年版)、(財)省エネルギーセンター(2005年2月)
(7) (株)日工フォーラム社(編集発行):エネルギー・4月号、ENERGY、Vol.33、No.4、2000、(2000年4月1日)、p.156-163、p.260-268
(8) 自由国民社(編集発行):現代用語の基礎知識1999(1999年1月)p.199
(9)みずほファイナンシャルグループ調査本部:2005・06年度内外経済見通し(2005年5月)
(10)内閣府政策総括官:日本経済2004−持続的成長の可能性とリスク−(2004年12月)(http://www5.cao.go.jp/keizai3/2004/1219nk/keizai2004pdf.html
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