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<概要>
1939年から1940年にかけて、ウラン核分裂エネルギーの利用の可能性が明らかになった。ドイツ・ファシズムの台頭を恐れる科学者たちは、ナチスの原子力研究に対抗して、進んで積極的にその軍事利用に取組んだ。米・英・仏・ソ・独で始められた核分裂エネルギ−利用の研究は、第2次世界大戦の勃発とともにドイツ軍の攻撃あるいは侵攻によってほとんど中断した。そして人的資源と技術的資源との動員が可能だったアメリカが、原子爆弾の開発と原子力の工業的利用において完全に主導権をにぎるに至った。
1942年、米国の原爆計画(マンハッタン計画)が陸軍の管理のもとにスタートし、同年12月2日15時、フェルミらは原子CP-1によるウランの核分裂連鎖反応の制御に成功した。
日本では、理研を中心にウラン分離の研究が進められた。
<更新年月>
2000年03月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>


1.内外の原子力関係の出来事
月日 国内 国外
1940年
(昭和15年)
  理研でサイクロトロン製C‐11を利用した光合成の研究行われる  
  ウラン爆弾計画を安田武雄陸軍航空技術研究所長に進言
 仁科芳雄
 
2/27   質量分析器によるU-235の分離
 ニール(米)
2月   米軍、ウラン研究に6000ドル援助(研究機関・大学への資金援助始まる)
3/9   ノルウエーの重水在庫分、仏へ
3~4月   米コロンビア大、U‐235の核分裂性実証
3月   U-235による原爆の可能性、U-235の分離、原爆機構の概要を書いた書簡を英空軍科学調査委委員長に送る
 パイエルス、フリッシュ(英)
3月   93番元素Npの生成
 マクミラン、アーベルソン(米)
4/10   英、核分裂軍事利用検討委員会設置
5月   独、酸化ウラン155kg、15トンのドライアイスで臨界未満実験行う
5月   ウランの自発核分裂発見
 フルーロフ、ペチャーク(ソ)
6月   仏のU研究、独の侵攻により中断
6/17   仏の重水ストック、英へ
6月   米、遠心法によるU濃縮研究始める
6/27   米ウラン諮問委、新設の国防研究委員会の傘下に
8月   英オックスフォード大、ウラン濃縮の研究開始
11/18 Na-24の体内循環のデモンストレーションを行う
 仁科芳雄
 
11月 湯川秀樹共著『原子核及び元素の人工変換』(下巻)
 菊池正士
 
12月   英ケンブリッジ大、天然ウラン重水系の指数関数炉実験行われる
1941年
(昭和16年)
  理研でN-14を使用して窒素固定、窒素交換反応の研究行われる  
    94番元素プルトニウム(Pu)発見
 シーボルグ(米)ら
  理研でP‐32、Cu‐64を使用する生物研究・金属研究が行われる  
1月   英ICI社、英原爆計画に本格的に参加(とくにウラン濃縮を担当)
4月 陸軍航空技術研究所、ウラン研究を理研に依頼  
4月   全米科学アカデミー、ウラン問題検討のための再審委設立
5月 海軍、ウラン爆弾に関心示す  
5/17   米科学アカデミー・ウラン問題再審委、原爆の早期完成の望みは薄いと述べる
  旭化成延岡、水の電解による重水水製造試験研究を実施  
5/19   英原爆委、U濃縮試験工場の設置決める
5月   U‐238の利用とPuによる核分裂連鎖反応の可能性示唆
 ローレンス(米)
6月   ソ連のU研究、独ソ戦開始で中断
6/28   米、科学研究開発局設置(大統領直轄機関で科学資源の動員と国防への応用をめざす)
7/11   米ウラン問題再審委、Pu‐239型原爆の可能性を示唆
7/15   英原爆委最終報告、ウラン濃縮の工業化と3年以内に原爆完成可能
10/11   チャ−チル英首相に「原爆製造計画の共同実施」を提案(英側、返答を2カ月延ばす)
 ルーズベルト大統領
11/6   米ウラン問題再審委、U‐235型原爆の可能性と第二次世界大戦における役割を指摘
12/6   米科学研究開発局、ウランS‐1部新設(原爆開発の具体的方針の検討、資源の動員きめる)
1942年
(昭和17年)
1/31   米、Pu‐239生産方法開発のため(暗号名:冶金計画)、シカゴ大学に冶金研究所設置
2/26   独、ウラン・プロジェクト正式発足(原爆より重水炉に重点)
2~4月   英原爆開発グループ使節団、米英の計画統ーのため渡米
5/14   米科学研究開発局S‐1部、ウラン濃縮方法として遠心法、気体拡散法、電磁法を、またプルトニウムの生産方法として、黒鉛炉と重水炉方式を全て並行して進めることを決める
6/18   米原爆計画、軍の管理下(陸軍技術本部の新設管区マンハッタン管区)に入る(別名マンハッタン計画)
7/8 海軍技術研究所、原爆及びレーダーの研究開発を検討するため「物理懇談会」設置(議長仁科芳雄)  
7月   英ICI社、ガス拡散によるウラン濃縮で政府と契約
9/10   世界最初のプルトニウム化合物の分離、秤量行われる
 カニンガム、ウエルナー(米)
    ソ連、U‐235の分離に成功
11/5   米、ウランの電磁分離工場Y−12建設許可(翌年3月建設開始)
11/7   米、冶金計画グループ、シカゴ大学構内に世界最初の原子炉CP-1(天然ウラン黒鉛型)の建造開始
11月   米、原爆研究所をロス・アラモスに設置決める
12月 理研、ウラン分離の研究はじめる  
12/1   米、Pu生産炉敷地にハンフォード選定(建設運営はデュポン社)
12/2   世界最初の核分裂連鎖反応の制御に成功(原子炉CP-1完成)
 フェルミら
1943年
(昭和18年)
1月   米、シカゴ郊外にU、Pu等の核物理的性質の研究のためアルゴンヌ研究所設置
2/11 理研220トン大型サイクロトロン組立て終了(加速エネルギー:重陽子18MeV、陽子29MeV)  
2月   米、Pu生産試験用黒鉛減速軽水冷却炉(X-10)をオークリッジで建設開始
3月   米、オークリッジでY-12(ウラン電磁分離)工場の建設はじまる
3/6 物理懇談会、「原子力の活用は日本の工業力では実現困難」「米も今大戦中には実現しない」との理由で解散  
3/20   天然ウラン黒鉛炉CP-2臨界(10kW、アルゴンヌ研究所)
5月 軍に原爆の可能性と熱拡散によるウラン分離の妥当性を示す
 仁科芳雄
 
5/12   米英首脳会談でU問題を持ち出し米国の協力を要請
 チャ−チル首相
  海軍、京大(荒勝研究室)にウラン分離の研究を依頼  
6/7   米ハンフォードで第1号Pu生産炉建設開始
8/11   加ケベックで原爆計画に関する米英首脳会談行われる(〜8/24)
8/19   米英、ケベック協定調印。カナダ協定実施上の協力者となる
8月   英科学者グループ、ケベック協定に基づき米国へ移る
8月   ソ連の原子力開発再開(ソ連国家防衛委、クルチャトフを原子力問題研究科学主任に任命)
9/8   ワシントンでケベック協定に基づく3国合同政策委初会合
9/10   米、オークリッジで気体拡散工場K-25建設開始
11/4   米ORNLの原子炉クリントン・パイル臨界(X-10、天然U黒鉛型、500kW)
11月   オークリッジ電磁分離工場Y-12操業−照射済燃料の最初の化学処理行う
12月 理研でウラン熱拡散分離塔の建設  

2.社会一般の出来事
月日 国内 国外
1940年 2/5 文部省科学課設置、科学行政の強化へ  
10/12 挙国一致体制の中心機関である大政翼賛会が発足  
1941年 3/1 国民学校令公布  
12/8 日本、真珠湾攻撃。太平洋戦争はじまる  
1942年 2/21 食糧の国家管理を目的とした食糧管理法公布  
4/18   米B25爆撃機、日本本土を初空襲
1943年 1/31   スターリングラードで独軍敗北
2/7 日本軍、ガダルカナル島撤退  
8/20 科学研究の緊急整備方策要綱を閣議決定。大学を含め一切の科学技術機関での研究を戦争目的に一本化  

<参考文献>
(1) 日本原子力産業会議(編):原子力年表(1934-1985)、日本原子力産業会議、1986年11月
(2) 伊東 俊太郎ほか(編):科学史技術史事典、弘文堂、1983年3月、
(3) 国立天文台(編):理科年表 1998、丸善、1997年11月、p.624-632
(4) 樺山 紘一ほか(編):クロニック 世界全史、講談社、1994年11月
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