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<概要>
 原子力分野にやや出遅れていたWH社は、原子力委員会及び海軍の意向を受けてPWRによる潜水艦用の動力炉の開発に参加することになった。海軍の最優先計画として、この計画は短期間で実現し、PWRは動力源として素晴らしい実績を示した。1950年代の半ばには、原子力委員会は発電炉としてPWRを活用することとし、WH社を主体とした産業界はこれに全面的に協力して、最初の原子力発電所を実現した。
<更新年月>
1998年05月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
1.WH社の開発計画への参加
 1948年の6月、ウエスチングハウス(WH)社は、「ウィザード計画」と呼ばれる水の熱伝達を中心とした研究契約を海軍との間に締結した。このウィザード計画はある意味でGE社の、熱伝達の媒体としてのナトリウムを研究するという「ジェミニ計画」と一対をなすものであった。とにかくWH社はこれによって、水冷却炉の開発計画に具体的な形で乗り出すことになったのである。
 その頃アルゴンヌ研究所長のジン博士は、アルゴンヌ研究所が水冷却炉の設計を完了した後、企業が契約に基づいて詳細な設計を行い、その上で建設・設計まで行うのが望ましいと考えていた。12月16日、WH社は潜水艦用の水冷却炉をアルゴンヌ国立研究所と協力して開発するという契約にサインした。これによって原子力委員会と海軍、それにWH社という3者によって潜水艦用の水冷却炉の開発を進めるという体制が確立したのであった。
 WH社としても原子力分野の全体にわたって参加することに、長い間関心を持ち続けてきたことではあった。しかし、ライバルであるGE社の派手な動きにかき回されて、実際に原子力のどの分野に参加して行くのか、検討がつかなかったというのが事実であった。アルゴンヌ研究所で芽生えた加圧水型炉の開発にいち早く参加できたのは、GE社と異なってむしろこの分野でフリーハンドの状態であったことによる。

2.潜水艦動力用のPWR開発
 1950年、アルゴンヌでは約70人の科学者や技術者が潜水艦用のPWRの開発に取り組んでいた。彼らは6カ月をかけて概念設計を完了して、3月1日に報告書を取りまとめた。その中で今後建設すべき陸上炉と、潜水艦搭載用の実用炉の仕様を明らかにした。
 マーク1原子炉は、アイダホの国立原子炉試験場に建設される陸上炉となるが、マーク2原子炉は、前者の経験を生かしながらわずかに遅れるスケジュールで建造され、実際に潜水艦に積み込まれる実用第1号の原子炉になるはずであった。それまでの研究で、原子炉は減速材冷却材に加圧水を用いるという暫定的な方針が、今や最終決定として採用された。
 このように加圧水型炉の設計は、アルゴンヌの技術者が主に進めていたので、WH社の方はそれ以外の、例えば水とジルコニウムの反応に関する実験や、ある種の小型ポンプの開発を担当した。しかしこの開発計画は、海軍の最優先課題であったから、設計が終わって実際の建設にかかると、工事はものすごい速さで進んだ。
 1952年の間中、WH社の技術者たちは、2交代でアイダホの砂漠の中の現場に詰め切りで、原子炉を据え付け、各種のリークテストに取り掛かっていた。秋になると制御装置や主冷却ポンプも到着した。その後核燃料や、2基の熱交換器の到着を待って、1953年3月30日、この原子炉は臨界を達成した。6月21日には動力機関と連結された上で、全出力運転を行い、見事に成功した。
 マーク2原子炉を搭載した原子力潜水艦第1号は、ノーチラス号と命名され、1954年12月に原子炉が始動し、翌年の1月17日に原子力による航海試験が開始された。そして大成功を収めた。加圧水型炉は、このようにして潜水艦用の動力炉としてまず完成をみたのであった。

3.PWRによる最初の原子力発電
 原子力発電が期待される1950年代の前半からは、この原子力潜水艦用動力炉を発電用原子炉として転用する計画が進められることになった。1953年秋、原子力委員会は加圧水型炉(PWR)による原子力発電所を建設する計画を発表し、この計画に参加する企業を募った。目的は、電力生産システムに原子力が利用できることを実証することと、PWR型炉の技術を実証するための施設を提供するためのものであった。
 この計画には産業界から多くの関心が集まり、特に電力会社が発電施設に資金を出すこと、そしてそれを運転すること、原子力委員会の資金によって建設される原子炉から生産される蒸気を購入するという形式を取ることが決められた。この計画のための用地は、ペンシルバニア州のシッピングポートに近いオハイオ河の岸に決められたのであった。
 WH社は当然この計画の中心であった。そしてこの炉系による最初の原子力発電所の建設は1954年9月から開始され各社が工事を分担したが、炉心の製作はもちろんWH社であった。この最初の発電用PWRは、1957年12月26日に臨界になった。そして電気出力6万kWの原子力発電所が、全出力で商業運転に入ったのは、1958年6月のことであった。
<関連タイトル>
加圧水型原子炉(PWR) (02-01-01-02)
原子力安全条約(原子力の安全に関する条約:Convention on Nuclear Safety) (13-03-01-08)
加圧水型炉(PWR)開発の発端 (16-03-01-05)

<参考文献>
(1) USAEC REPORTS,1950-60
(2) A HISTORY OF THE USAEC,Vol.2. 1969
(3) N.ポール、堀 元美(訳):原子力潜水艦、朝日新聞社(1964)
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