<解説記事ダウンロード>PDFダウンロード

<概要>
 陰極線の研究をしていたレントゲンは陰極線の性質を調べようとしてX線を発見した。ベクレル蛍光と共にX線が発生している事を確かめようとして放射能を発見した。キュリー夫妻はウラン鉱の中から高い放射能を持つ新元素ポロニウム、ラジウムを発見した。19世紀末、これら一連の大発見がなされ、我々の物質に対する知識は大きな進歩を遂げた。
<更新年月>
1999年03月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
1.X線の発見
 1895年末ドイツのヴュルツブルグ(Wuerzburg)大学の物理学教授であり、学長も兼務していたレントゲン(レンチェン:Wilhelm Conrad Roentgen、独、1845〜1923)は陰極線管(クルックス管)の実験を熱心に行っていた。陰極線管を黒いボール紙で覆い糊付けして、管内で発する蛍光が外へ漏れないようにし、また部屋のカーテンを閉めて室内を真暗にし、陰極線を発生させると、意外なことが観測された。テーブルの上に置いてある蛍光板(白金シアン化バリウム塗布)が暗闇の中で光り始めたのである。蛍光板を管から遠ざけても発光はつづいていた。蛍光板は管から1m以上離したときでも相変わらず光っていた。未だ知られていない放射線が陰極線管から発し遠くの蛍光板を光らせているにちがいないとレントゲンは考えた。この放射線は未知の線という意味でX線と呼ばれるようになった。
 1895年の暮れ、レントゲンはX線の研究にたった1人で没頭しその性質を調べ上げ、その年のうちに報告にまとめた。X線の性質として次のことが報告された(要点を記す)。
 イ)X線は、陰極線が管壁のガラスに当たり最も強く蛍光を発する場所から主に放出される。
 ロ)蛍光板から発する光の強度は、X線の発生点から蛍光板までの距離の二乗に逆比例して減少する。2m程度まで蛍光板を遠ざけても発光が検知される。
 ハ)X線は1000頁の本でも透過するが、1.5mm厚の鉛板では殆ど遮断される。同じ厚さの板では、密度が大きいほど遮蔽する力が大きい。
 ニ)X線は写真乾板を感光させる。また燐光物質として知られているカルシウム化合物、ウランガラス、普通のガラス、方解石、岩塩も発光させる。
 ホ)写真乾板の上に手を置いてX線を照射すると手の骨の写真が撮れる。装置の概念図を 図1 、この時撮られた手の骨の写真を 図2 に示す。
 ヘ)X線は磁力によって進路が曲がらない。(透過力があることと磁場による屈曲のないことが、X線が陰極線と相異る点である。)
 X線についてのレントゲンの第1報はヴュルツブルグ物理医学協会報告1895年版の132〜141頁に記載された。1896年が明けるとレントゲンは報告の別刷を有名な学者達に発送した。
 X線は磁石によって曲げられないので陰極線とは異なることは分かっていたが、その当時は屈折、干渉、回折現象を発見できなかった。そのためX線の本性については粒子説と波動説が対立していた。粒子説はW.H.ブラッグ(Bragg)などが、波動説はストークス(Stokes)、バークラ(C.G.Barkla)などが唱えた。当時から波動説の方が多くの人々によって支持されていたが、1912年ラウエ(Max von Laue)によって結晶によるX線の回折現象が発見され、やがてX線が電磁破であることが認められるようになった。1922年コンプトン(Compton)は散乱X線の研究からコンプトン効果を発見し、X線の研究から電磁波の粒子性と波動性という二重性が確認されることになった。
2.ウランの放射能の発見
 レントゲンの報告は、当時フランスの指導的な学者であったポアンカレによって1896年の1月、パリの学士院に紹介された。当時の学士院記事には「強い蛍光を発する物質は、光線と共にX線も放出している可能性がある。」というポアンカレの予測が残されている。
 太陽光などの刺激によって蛍光や燐光を発する物質は数多く知られていた。パリの科学博物館の物理学教授であったベクレル(Antoine Henri Becquerel、佛、1852〜1908)は、これを確認しようと思い立った。ベクレル家は祖父の代から科学博物館の物理学教授職にあり、ベクレルの父は蛍光物質の研究者であった。父の収集した蛍光物質を使って直ぐ実験にとりかかることができた。
 ベクレルは、写真乾板を黒い布とアルミ板でできた箱の中に収め、太陽光に晒しても感光しないようにした。まづこのアルミ箱の上にウラン塩の薄片を置き紙バンドで固定して太陽に数時間晒してから乾板を現像した。太陽光の刺激でウラン塩からX線が放出されれば、黒い布とアルミ板を透過したX線は写真乾板を黒化させるにちがいない。予想通り現像された乾板は黒化していた。
 しかし、またもや意外なことが起こった。くもりの日がつづいたため、その間、上記の写真乾板を太陽光に晒すことができなかった。ベクレルはこれを現像して、太陽光に晒さなければ乾板は黒化しないことを確かめて置こうと考え、これを現像した。しかし写真乾板は太陽光に晒さなくても黒化していたのである。ベクレルはこの事実を1896年3月に発見した。
 いろいろな物質を写真乾板の上に置いて実験してみると、蛍光を発する性質や化学形とは無関係に、ウランを含んだ物質であればすべて乾板を黒化させることが判明した。特に金属ウランの場合に黒化度は大きかった。ウランからはX線に似た感光作用を持つ放射線が出ていると考えられた。この放射線はしばらくの間、ベクレル線と呼ばれていた。
 ベクレル線とX線の共通点は、上記の写真乾板に対する感光作用のほか、空気を導体化する性質(空気に対する電離作用)である。電離作用は、帯電物体がX線で照射されたり、ウランに接近すると放電が起こることから判明した。
3.ポロニウム、ラジウムの発見
 ピエール(Pierre Curie、佛、1859〜1906)と結婚し、研究者としてスタートしようとしていたキュリー夫人(Marie Sklodowska Curie、ポーランド、佛、1867〜1934)は、学位取得のテーマとしてベクレル線の研究を始めた。ピエール(既に物性物理学の一流の研究者であった。)は夫人を助けようと、 図3 に示すような新しい微弱電流計を考案した。左側のコンデンサーABには、極板Bの上に試料が乗せられて居り、そこから出る放射線によってAB間の空気が電離され電流が生ずる。一方、右側の圧電素子Qには分銅皿Hの上に乗せられた錘によって引張られ、ここにも電流が生ずる。錘の大きさを調節すれば両方に生ずる電流が相殺され電位計Eの指示は動かない。この装置を使えば、天秤で質量を測るのと同じように、試料から放出される放射線の量が定量できる。
 キュリー夫人は新型の微弱電流計を駆使して、入手できるあらゆる物質の放射能(放射線を発生する能力)を定量的に測定していった。ウランかトリウムを含む物質だけが放射能を示した。この定量測定によって、放射能はウラン元素またはトリウム元素の量に比例し、物質の温度、化学形などの影響は受けないことが判明した。
 しかし、ここでも意外な例外が観測された。二種類のウラン鉱、ピッチブレンド(酸化ウラン)とシャルコリット(銅とウラニルの燐酸塩)はその中に含有するウランの量からは説明できない大きな放射能を示したのである。シャルコリットを手持ちの材料で合成して測定したが、放射能はウランの含有量の分だけしか存在しなかった。この事実は1898年4月、パリの科学アカデミーに報告された。キュリー夫人は、天然のウラン鉱石には放射能を持った未知の元素が微量に混入しており、それが鉱石の放射能を高くしているのだと考え、未知の放射性元素の探求を始めた。ピエールも物性物理の研究を中断し夫人と共に新元素の探求に協力することになった(ピエールは1906年の事故死まで放射能の研究をつづけることになる)。大量の鉱石が砕かれ溶解されて、化学分析の手法によって成分に分離されていった。成分の放射能は微弱電流計で測定され、高放射能の成分が濃縮された。未知の放射性元素はビスマスに似た挙動を示し、硫化ビスマスと放射性硫化物の混合物として取出された。ビスマスと未知元素の分離は、昇華特性のちがいから可能なことがわかった。硫化物の混合物を真空中で一旦700℃に熱し昇華させると、250〜300℃の範囲で放射性硫化物は黒い塗料のような形で壁に付着した。未知の放射性元素の一つは、このようにして発見された。1898年7月、夫妻連名の報告が科学アカデミーに提出された。この報告の中で、元素名はキュリー夫人の生まれた国の名ポーランドに因んで、ポロニウムと名付けるよう提案されている。
 また、分析の際にバリウム族の中にも強い放射能が見出された。化学反応ではバリウムと同じ挙動をするが、水、水とアルコールの混合液、塩酸溶液中での塩化物の溶解度の差を利用して放射能成分が分別結晶法により分離された。このようにしてもう一つの放射性新元素ラジウムが発見された。この発見は1898年9月、キュリー夫妻と同僚のペモンの共同研究として発表された。
<図/表>
図1 レントゲンの装置の概念図
図1  レントゲンの装置の概念図
図2 レントゲンがX線で撮影した写真
図2  レントゲンがX線で撮影した写真
図3 ラジウムの発見に役立ったピエール・キュリーの考案した微弱電流計
図3  ラジウムの発見に役立ったピエール・キュリーの考案した微弱電流計

<関連タイトル>
電離放射線 (08-01-01-01)
放射線の分類とその成因 (08-01-01-02)
放射線の写真作用 (08-01-02-04)
放射線の蛍光作用 (08-01-02-05)
宇宙線の発見 (16-02-01-02)
α線、β線、γ線の発見 (16-02-01-03)
自然放射能の発見 (16-02-01-04)
人工放射能の発見 (16-02-01-05)
トリウムの放射能分析から放射能壊変の法則を導いたラザフォードとソデイの実験 (16-03-03-01)

<参考文献>
(1) W.Robert Nitske、山崎岐男(訳):X線の発見者レントゲンの生涯、考古堂(1989年)、p72-80
(2) 物理学史研究刊行会(編):放射能、東海大学出版会(1970年)、p1-16、p37-99、p193-200
(3) エミリオ・セグレ、久保亮五、矢崎裕二(訳):X線からクォークまで、みすず書房(1982年)、p27-60
(4) 板倉聖宣:元素の発明発見物語、国土社 (1985)
(5) 国立天文台(編):理科年表 平成10年、丸善 (1997.11)
JAEA JAEAトップページへ ATOMICA ATOMICAトップページへ