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<概要>
 イラクは1980年代以降、イラン・イラク戦争、クウェート侵攻、湾岸戦争、米国によるイラク戦争および国際的経済制裁により、経済活動は大きく衰退した。しかし、豊富な石油資源を有していることから、外資導入による原油生産施設の復旧、新しいパイプラインの建設等で、今後石油の増産を背景に経済の堅調な成長が見込まれている。
 原子炉に関しては、研究炉3基のうちタンムズ−1号機が1981年6月にイスラエルによる爆撃(オペラ作戦)で破壊されている。また、原子力研究拠点であったトワイタ原子力研究所および国内の核燃料サイクル施設も、湾岸戦争時の空爆でほとんどが崩壊した。
 1991年4月に国連大量破壊兵器廃棄特別委員会(UNSCOM)が設けられ、国際原子力機関(IAEA)とともに査察・監視を行ったが、イラクの兵器開発(保有)疑惑は解消されず、2003年3月20日のバクダッドに対する航空攻撃を端緒に米国を中心とした有志連合軍による「イラクの自由作戦」が開始された。5月、米国ブッシュ大統領による主要戦闘終了宣告が出され、各国の復興支援プログラムが進行している。なお、大量破壊兵器保有に関しては確認されなかったというドルファー最終報告書(Duelfer report)が、2004年10月、米議会上院軍事委員会公聴会に提出された。
<更新年月>
2016年11月   

<本文>
1. はじめに
 イラクは人口3587万人(2016年10月IMF推定)、国土面積は日本の約1.2倍の43.74万km2で、中東・西アジアに位置する連邦共和国である。民族構成はアラブ人(シーア派約60%、スンニー派約20%)と国土北部にクルド人(約20%)、アッシリア人、トルクメン人等が互いに混住することなく居住している。
 この地域はイスラム帝国の支配のもと急速にアラブ化・イスラム化し、第一次世界大戦後は英国の委任統治領としてイスラム王国が誕生した。1958年7月、クーデターを経て共和制となった。1979年、サッダーム・フセインが大統領に就任すると、イラン・イラク国境を流れる石油輸出の要衝、シャットゥルアラブ川の水利権をめぐってイラン・イラク戦争(1980年〜1988年)が勃発。また、ルマイラ油田の権益をめぐってクウェートに侵攻し、1991年1月に湾岸戦争に突入したが、多国籍軍による空爆を受け、2カ月で降伏した。停戦後、武装解除、大量破壊兵器の破棄を義務付けられたフセイン政権であったが、欧米諸国との緊張は緩和されず、2003年3月、米国を主体とした有志連合による武力行使が開始された。4月にはバグダッドが事実上陥落、フセイン政権が崩壊した。5月にブッシュ大統領による「大規模戦闘終結宣言」が発表されたが、米軍戦闘部隊の駐留は2011年12月のオバマ大統領による「イラク戦争終結」宣言まで続いた。2003年5月には国際連合安全保障理事会決議(安保理決議)1483が採択され、イラクにおける人道、復旧・復興支援、並びに安定および安全の回復への貢献が国連加盟国へ要請された。イラク復興支援プログラムは順調に進み、2014年9月に発足したアバーディー(al−Abadi)政権の下、行政改革、財政改革、経済改革、公共サービス、汚職対策等の政策を推進している。
 なお、イラク・米国間は、SOFA(Status of Forces Agreement、駐留米軍の地位に関する協定)および戦略枠組み協定を締結しており、軍事面、金融面などでは現在も緊密な二国間関係を有している。イラク北部・西部の多くの都市がISILを始めとする武装勢力に占拠され、2014年6月のモースル(Mosul)陥落以降、イラク国軍と戦闘態勢にある。
2. イラクの国情
2.1 経済
 イラクの経済は、1980年代以降イラン・イラク戦争、クウェート侵攻、湾岸戦争、米国によるイラク戦争および国際的経済制裁により大きく衰退した。しかし、豊富な石油資源を有していることから、外資導入による原油生産施設の復旧、新しいパイプラインの建設等により、今後石油の増産を背景に経済の堅調な成長が見込まれている(図1参照)。イラク政府は、収入源である石油部門と、経済活動の基盤である電力部門の整備を最重要課題としている。現在、国家歳入の8割強が石油収入で賄われているが、国家開発計画(2013年−2017年)では、石油依存の産業構造からの脱却と、産業・エネルギー・農業・観光の拡充が重点目標に設定されている。
2.2 エネルギー事情
 イラクは豊富な石油資源を有し(図2参照)、BP統計によると2015年時点の石油確認埋蔵量は約1,430億バレルで世界第5位、世界に占めるシェアは8.4%である。なお、2014年の一次エネルギー供給量は石油換算4,948万トン、エネルギー源別の構成は石油が86.1%、天然ガスが11.2%、その他が2.7%となっている(表1参照)。また、一次エネルギーの国内生産量は石油換算1億6,299万トンで、エネルギー供給量の70%以上を輸出する。最終エネルギー消費量は、2013年は石油換算2,632万トン、2014年は2,159万トンで、対前年伸び率はそれぞれ1.5%と−18%であった。
 IEAの2012年Iraq Energy Outlookの予測によると、一次エネルギー供給構成は2035年まで引続き化石燃料に依存し、その内訳は石油が58%、天然ガスが41%で、合計99%となっている。水力発電は山岳部がある北部の一部に限られ、再生可能エネルギーの大々的な普及も見込めない状況である。当面石油の国内需要は伸び続け、2020年に170万バレル/日に達するが、その後は発電燃料が石油から天然ガスにシフトし、石油需要の伸びは鈍化すると予測されている(図3参照)。
2.3 電力事情
 湾岸戦争終結後、イラク送電線網の85〜90%が破壊され、または損害を受けたとされ、発電設備も平均して30%程度の稼動状態にあった。また、米国によるイラク侵攻後の2003年10月時点、発電施設稼働能力は4,400MWとされるが、老朽化した国営の発電・送電網による供給はその後伸び悩み、2014年第3四半期に至っても発電能力は7,300MWに過ぎない。一方の夏場のピーク需要量については、一貫して上昇傾向にある。2014年の電力需要は80019GWhで、2005年と比較して2倍以上に増加した(表2参照)。燃料別内訳は、石油が74%、天然ガスが22%、水力が4%で、原子力発電設備はない。
 IEAは、イラクの発電電力量を2010年の50TWhから2020年に200TWhまで増加すると予測している。2010年の発電燃料の57%が液体燃料(重質油、伝油、ガスオイル)、33%が天然ガスで、短期的に液体燃料が増加を続けるが、次第に天然ガスのシェアが大きく増加すると予想している(図3参照)。
3. イラクの原子力事情
3.1 イラクの大量破壊兵器開発疑惑
 イラクは1969年以来、核兵器不拡散条約(NPT)加盟国であり、査察を認める追加議定書も2008年に署名、2012年に批准している。また、包括的核実験禁止条約(CTBT)には2008年に署名、2013年に批准した。ただし、生物毒素兵器禁止条約(BTWC)に関しては1972年に署名したが、締約国となったのは2009年である。
 イラクは湾岸戦争停戦後(1991年)、安保理決議第687号の採択に伴い、大量破壊兵器の武装解除が求められ、経済制裁も行われた。しかし、査察に対する非協力・隠匿・妨害、また複数の違反が繰り返されたとして、2003年3月20日のバクダッドに対する航空攻撃を端緒に米国を中心とした有志連合軍による「イラクの自由作戦」が開始された。武装解除の対象となった大量破壊兵器とは生物兵器、化学兵器、核兵器、射程150km以上のミサイル、およびそれらの武器を製造するための設備や資材をさす。イラク戦争終結後、大量破壊兵器の捜索が有志連合軍と国際連合監視検証査察委員会(UNMOVIS)で行われた。しかし、湾岸戦争以降、未申告の化学兵器は廃棄されていたこと、軍事的意味をもつ大量破壊兵器や具体的開発計画はなかったとするドルファー最終報告書(Duelfer report)が2004年10月、米議会上院軍事委員会の公聴会に提出されている。
3.2 イラクの核兵器開発
 イラクはイランとの8年戦争(1980年9月〜1988年8月)で化学兵器、地対地ミサイルの開発に着手したとされる。1981年6月にイスラエルによるトワイタ原子力研究所のタンムズ研究炉が爆撃を受け、原子力開発計画は休止状態の感があった。1988年以降急速に核兵器の保有、ウラン濃縮に全力をあげたとみられる。当時、イラクが所有する3基(実質2基)の研究炉は国際原子力機関(IAEA)による査察を受けており、その際、核物質への転用は認められなかった。イラクはこれら原子炉を用いて大量の239Puを生産しようとしていたことが窺われ、一方、イスラエルによる原子炉爆撃は大きな国際問題となった。
3.3 イラクの原子力の研究関係施設
 イラクの核兵器開発疑惑の対象となった主な原子力関係施設を示す(図4参照)。
(1)トワイタ原子力研究所(Al Tuwaitha)
 バグダッドの東南約24kmのトワイタに位置し、3基の研究炉を持つ(図5参照)。研究所は空爆の対象となり、1981年6月7日にはタンムズ−1号機が、湾岸戦争終結時にはIRT−5000、タンムズ−2号機、放射化学実験室、核物理実験室、燃料製造加工施設、放射性廃棄物処理施設および貯蔵施設が空爆による損傷を受けた(図6参照)。
 研究所は2004年7月以降、イラク科学技術省と米国主導の多国籍治安部隊の主導下におかれ、イラク政府はこれら施設サイトの除染および廃止措置の援助をIAEAに要請した。2005年6月には米国テキサス工科大学の研究チームによる汚染状況の調査が始まり、イラク支援プロジェクトは2006年2月のウイーン会議でECと16加盟国との間で合意を得た(図6参照)。支援財政は米国からの拠出金によって賄われる。
 以下に研究炉の概要を示す。
・IRT−5000(研究炉、プール型、熱出力:5,000kW(5MW)、初臨界:1967年)
 旧ソビエト連邦から供給され、1967年臨界当時の原子炉熱出力は2MWtでIRT−2000(WWR−C−Bagdad)と称していた。1976年〜1978年にかけて出力を5MWtまで増強、IRT−5000と改称した。核燃料は旧ソビエト連邦が濃縮度80%の高濃縮ウラン5kgを供給した。
(注)IRT炉は旧ソビエト連邦時代、モスクワのクルチャトフ研究所で開発された熱出力2MWtの研究炉で、初臨界は1957年、後に8MWtまで出力増強した。原子炉材料や燃料の照射試験、核物理研究、放射化分析、ラジオアイソトープ生産等に利用された。図7にIRT研究炉の垂直断面図と水平断面図を示す。
・タンムズ−1号機(Tanmuz−1、プール型、熱出力:40,000kW(40MW))
 フランスから供給され、核燃料はCERCA社が濃縮度93%の高濃縮ウラン、推定8kgを供給した。燃料装荷直前の1981年6月7日、イスラエル空軍の爆撃(オペラ作戦)で、破壊された。爆破後、研究炉は査察リストから外れ、核燃料は回収。定期的にIAEAの査察を受けた。
(注)フランスのサクレー原子力研究所にあるオシリス(OSIRIS)原子炉と同じもので、軍事用に転用して核兵器級の濃縮ウランを製造することが可能であった。図8にOSIRIS研究炉の垂直断面図と水平断面図を示す。
・タンムズ−2号機(Tanmuz−2、プール型、熱出力:500kW、初臨界:1987年3月)
 フランスから供給され、核燃料はCERCA社が濃縮度93%の高濃縮ウラン、推定5kgを供給した。IAEA査察:実施。湾岸戦争勃発後、1991年に多国籍軍による空爆を受けた。図9にタンムズ−2号研究炉のレイアウト図を示す。
(2)Al Quim(アルカーイム)
 燐酸工場。H3PO4からイエローケーキ(U3O8を含む)を生産していたが、1991年に空爆を受けた。
(3)Al Jesira(アルジャジーラ)
 Al Quim産のイエローケーキから電磁同位体濃縮設備(EMIS)に供給する二酸化ウラン(UO2)および四塩化ウラン(UCl4)の大型生産設備があり、1991年の空爆まで運転した。隣接するAdaya(アダヤ)サイトはAl Jesiraから運搬された雑個体廃棄物を保管している。
(4)Tarmiya(ターミヤ)
 四塩化ウラン(UCl4)から電磁同位体分離法(EMIS)によるウラン濃縮を研究する大規模スケール施設。全濃縮設備完成後は年間15kgの高濃縮ウランの製造が可能で、核兵器1個分が十分生産できたと思われる。施設は1991年の空爆で破壊された。同様の施設がAsh−Sharqatにも建設されたが、同じく1991年の空爆で破壊された。
(5)Al Atheer(アラティーヤ)
 核兵器開発計画の主要試験施設で、金属ウランおよび核兵器コンポーネント生産に関する大規模施設があった。
(6)Rashdiya(ラシャディーヤ)
 遠心分離法による四塩化ウラン(UCl4)および六弗化ウラン(UF6)分離・精製研究施設があった。
(7)Al Furat(アルファラット)
 IAEAの評価によると、大型遠心分離濃縮試験施設があり、カスケード数は100で、1993年中頃に運転を開始する予定だった。
(8)Akashat(アカシャット)
 ウラン鉱山があり、1991年の空爆まで操業していた。
そのほかの施設として、Al Qa Qaaでは高爆発力・推進力の研究を行い、橋梁爆破の開発や高爆発力のあるHMX(*1)を大量に貯蔵をしていた。1995年以降、IAEAの監視対象。
(*1)HMX:オクトーゲン。耐熱性、高爆速、高エネルギー密度の爆薬で、高性能固体推進薬などの成分として用いられる。
<図/表>
表1 イラクの一次エネルギー需給状況
表1  イラクの一次エネルギー需給状況
表2 イラクの電力需給状況
表2  イラクの電力需給状況
図1 イラクにおける石油および天然ガス生産量の推移
図1  イラクにおける石油および天然ガス生産量の推移
図2 イラクの油田およびガス田マップ
図2  イラクの油田およびガス田マップ
図3 イラクのエネルギーおよび電力需給シナリオ
図3  イラクのエネルギーおよび電力需給シナリオ
図4 イラクの主な原子力関連施設配置図
図4  イラクの主な原子力関連施設配置図
図5 トワイタ(TUWAITHA)原子力研究所の平面図
図5  トワイタ(TUWAITHA)原子力研究所の平面図
図6 イラク廃止措置計画
図6  イラク廃止措置計画
図7 クルチャトフ原子力研究所(ロシア)にあるIRT研究炉
図7  クルチャトフ原子力研究所(ロシア)にあるIRT研究炉
図8 サクレー原子力研究所(フランス)のOSIRIS(オシリス)研究炉
図8  サクレー原子力研究所(フランス)のOSIRIS(オシリス)研究炉
図9 タンムズ−2研究炉レイアウト図
図9  タンムズ−2研究炉レイアウト図

<関連タイトル>
世界の原子力発電の動向・中東(2005年) (01-07-05-03)
ロシアの研究炉 (03-04-09-02)

<参考文献>
(1)日本原子力産業会議:原子力資料 No.242(1991年3月1日)、原子力資料の参考
とした文献:
 (a)Leonard S.Spector著”Nuclear Ambitions”1990,West Review
 (b)Nuclear Information,18 Jan.1991
 (c)Annual Report for 1988,IAEA
 (d)Directory of Nuclear Research Reactors,1989 IAEA
 (e)Less Centrales Nucleaires dans Le Monde,edition 1990,CEA France
 (f)Power and Research Reactors in Member States 1972 edition,IAEA(旧IRT−2000について)
(2)Directory of Nuclear Research Reactors,1989 IAEA,Directory of Nuclear Reactors
Vol.III(1960),Vol.VI(1966),IAEA
(3)外務省ホームページ:http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/iraq/josei.html
(4)国際エネルギー機関(IEA):Iraq Energy Outlook、2012年11月、
https://www.iea.org/publications/freepublications/publication/WEO_2012_Iraq_Energy_OutlookFINAL.pdf、World Energy Outlook、Iraq Energy Outlook、2012年10月、https://csis-prod.s3.amazonaws.com/s3fs-public/legacy_files/files/attachments/121022_energy_slide.pdf、Iraq、Balances for 1990〜2014、Iraq、Electricity and Heat for
1990〜2014
(5)BP p.l.c.:Statistical Review of World Energy 2016,

(6)Ronald K.Chesser,Brenda E.Rodgers,Mikhail Bondarkov,Esmail Shubber&
Carleton J.Phillips:Bulletin of the Atomic Scientists,DOI,10.2968/065003004,
https://www-ns.iaea.org/downloads/rw/projects/iraq/documentation/piecing-together-iraqs-nuclear-legacy.pdf
(7)米国中央情報局(CIA)ライブラリー:Nuclear Iraqi Uranium Conversion Program、
https://www.cia.gov/library/reports/general-reports-1/iraq_wmd_2004/chap4.html#sect13
(8)テキサス大学図書館:Iraq:Declared Nuclear Facilities From Iraq’s Weapons of
Mass Destruction Programs、2002年10月、http://www.lib.utexas.edu/maps/middle_east_and_asia/iraq_nuclear_2002.jpg
(9)イラク科学技術省廃止措置計画マネージャーAdnan.S.Jarjies:Decommissioning
Program of the Destroyed Nuclear Sites And Facilities in Iraq、ANWAR.A.AHMED:
TAMMUZ−2 RESEARCH REACTOR
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