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<概要>
 フランスを中心とする西欧電気事業者の共同プロジェクトであるスーパーフェニックス高速増殖実証炉は1986年に運転を開始した。しかし、1987年3月には使用済み燃料一時貯蔵タンクからのナトリウム漏洩事故で1990年4月まで、また、1990年6月には、発電機の故障さらにナトリウム火災対策などの各種安全措置実施のため、1994年8月まで運転を停止した。その後、これらの問題点が解決され、安全が確認されたとして再び運転が許可された。
 しかし、1997年6月に誕生したジョスパン左翼連立政権は、政権に加わった緑の党の要求を入れ、スーパーフェニックスを廃止する政策を打ち出し、1998年2月に即時閉鎖を正式に決定した。この決定には、労働組合、地元自治体、議会などが強く反対したが、1998年12月、閉鎖政令が公布され、運転再開の可能性は完全に消えた。
 現在は同政令に従い、解体作業の第一段階(炉心燃料の取出しと冷却材ナトリウムの抜き取り)が行われており、1999年12月1日には炉心からの燃料取出作業が開始された。
<更新年月>
2000年03月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
1. 高速増殖実証炉スーパーフェニックスの建設
 原子力発電の主流は軽水炉であるが、ウランを軽水炉だけに利用するのでは、近い将来ウラン資源が枯渇する恐れがある。そこで、発電に利用され、燃料として消費された以上に核燃料が生産できる高速増殖炉(FBR)が、核燃料の資源問題を根本的に解決でき、将来の原子力発電の主流をなすものとして開発されてきた。
 フランスは早い時期(1960年代初期)からこのFBRの開発に着手原型炉のフェニックス(25万kW、1974年運転開始)に続いて、1986年には、フランス(EDF)のほか、西ドイツ(RWE社)、イタリア(ENEL)、ベルギー(Electro Nucleaire社)、オランダ(SEP社)、イギリス(CEGB社)が共同出資したネルサ社(NERSA:Centrale Nucleaire Europeenne a Neutrons Rapides)によるスーパーフェニックス(SPX)が、世界初の商業規模高速増殖実証炉として運転を開始した。SPXはフランス南部のリヨン市の東南約70km、ローヌ川上流に面するクレイ村とマルビル村にまたがって立地している( 図1図2 および 図3 参照)。熱出力は300万kW、電気出力は124万kWで1986年12月に100%出力を達成した。
2.新型高速炉開発の国際協力
 次期のプロジェクトに予定されていたスーパーフェニックス2(電気出力150万kW)は、コスト高(建設費はPWRの1.5〜1.7倍)を理由に見送られることが1987年に決定している。代わって、欧州共同プロジェクトに参加しているフランス、旧西ドイツ、イギリス、イタリア、ベルギーの電力会社グループ(EFRUG)が、各国独自のFBRプロジェクトを5年間棚上げにし、各国の技術を持ちよって、新たなヨーロッパ型高速炉(EFR)の設計研究を行なうことを1987年12月に決定した。この高速炉については設計作業が行われて来ており、現在、設計の第二段階を終了しているが、結局ドイツや英国が本計画から撤退するなどもあって、その後の計画は未定となっている。
3.高速増殖実証炉スーパーフェニックスの運転状況およびトラブルへの対応
 スーパーフェニックスは、1986年12月に100%出力を達成した後、タービン発電機にウォーター・ハンマー現象を起こしたのに続き、1987年5月に使用済燃料の一時貯蔵タンクからナトリウムが漏れているのが発見され、運転を停止した。検査の結果、原因は主に同タンクの金属の材質にあることが判明した。これの対策として一時貯蔵タンクの使用目的を変更し、単なる燃料装荷時及び使用済み燃料取り出し時の輸送経路として使用するように改造した。タンクの改造費は約3.5億フラン(約70億円)である。
 同炉は1989年1月に8か月期限付きで運転の許可が出され、1月13日に運転を再開した。同年9月に計画停止し、新たに運転の許可を得て、1990年4月に運転を開始した。
 しかし、1990年7月3日から発電機の故障で再び運転を停止した。さらに、冷却ナトリウム浄化フィルターの目詰りが発見された。原因は、コンプレッサーの一部分に亀裂が生じ、そこから進入した空気がナトリウムと混ざってできた酸化ナトリウムによるものと見られている。
 1994年6月、政府が要求していた追加的な2次系ナトリウム火災対策および地元意見調査が実施され、スーパーフェニックスの用途変更(これまでの発電炉という位置付けから長寿命放射性廃棄物燃焼研究のための炉に変更)も目途がついたとして、政府は運転再開を許可、同炉は8月には臨界に達した。
 その後、同炉は小さなトラブルを抱えつつも順調に運転を続けていたが、用途変更のための工事停止中の1997年2月、コンセイユ・デタ(日本の最高行政裁判所と内閣法制局を兼ねた機関)が1994年の許可を手続き上の不備を理由に無効とする判決を下し、運転が出来なくなった。
 さらに、1997年6月には、原子力反対を唱える緑の党と社会党、共産党が参加したジョスパン連立新政権が誕生、ジョスパン首相は緑の党との共同選挙綱領に従い、反対派のシンボルであるスーパーフェニックスの廃止政策を打ち出した。ただし、この時点では閉鎖時期など具体的な閉鎖方法については決まっておらず、政府部内で検討することになった。
 しかし、1998年2月、ジョスパン首相は即時閉鎖の政府方針を発表、スーパーフェニックスは再び運転することなく、そのまま閉鎖されることが正式に決まった。
 この政府決定に対して、労働組合、地元自治体、議会など原子力推進派からは見直しを求める声が上がったが、1998年12月30日には同炉の閉鎖手順を具体的に規定した政令が公布され、法的手続きが完了、推進派の主張する運転再開の可能性は完全になくなった。
 同政令では、閉鎖に当り、所有主体をNERSA社からフランス電力公社(EDF)に移行し、EDFが今後の廃止作業を行うことを規定するとともに、1)照射済み燃料の取出し、2)冷却材ナトリウムの抜取り、3)非原子炉部分などの解体、4)廃棄物のサイト内貯蔵について、基本方針を規定している。
 EDFは、この政令に従い、作業計画を作成、現在、第一段階(炉心燃料の取出しと冷却材ナトリウムの抜き取り)の作業を進めている。すでにその準備作業(ヒーターおよび保温材の取付け)が完了、1999年12月1日には、炉心からの燃料取出し作業が開始された。取り出された燃料は再処理される予定である。ナトリウムの抜き取りは2001年半ばから始まり、原子炉建屋内の貯蔵タンクで保管されることになっている。原子炉本体の解体は別途、政令で規定される予定である。
 EDFは廃止費用について、1)燃料再処理費用27億フラン(約550億円)、2)解体費用97億フラン(約2,050億円)、3)負債41億フラン(約870億円)、合計165億フラン(約3,470億円)と見積もっている。
4. 今後の高速炉の開発(参考文献10)
 スーパーフェニックスの廃止は、必ずしもフランスの高速炉開発の放棄を意味するものではない。1998年2月の政府方針では、現在のエネルギー情勢がスーパーフェニックス開発決定当時と大きく異なり、今すぐに高速炉を商業開発する必要性がなくなったこと、経済性が確立していないことを同炉廃止の理由として上げるとともに、高速炉の開発研究は今後も国際協力などを通じて継続するとしている。
 実際、政府が当面、高速炉に期待している「長寿命放射性廃棄物消滅研究用の炉」としての役割は、スーパーフェニックスの先行炉であるフェニックスで、今後行われることになっている。政府は同炉を使用し、2004年までプルトニウム燃焼(CAPRA計画)およびアクチニド消滅処理(SPIN)の研究を行う予定である。
<図/表>
図1 高速増殖実証炉・スーパーフェニックス周辺地図
図1  高速増殖実証炉・スーパーフェニックス周辺地図
図2 フランスの原子力発電所地図
図2  フランスの原子力発電所地図
図3 高速増殖実証炉スーパーフェニックス外観図
図3  高速増殖実証炉スーパーフェニックス外観図

<関連タイトル>
フランスの高速増殖炉研究開発 (03-01-05-05)
フランスの原子力政策および計画 (14-05-02-01)
フランスの原子力開発体制 (14-05-02-03)
高速増殖炉スーパーフェニックスの即時閉鎖(1998年12月30日) (14-05-02-12)

<参考文献>
(1) 日本原子力産業会議:原子力年鑑 1994年版、(1994年11月)、P.242-244
(2) 日本原子力産業会議:原子力年鑑 1998・99年版、(1998年11月)、p.381-382
(3) 日本原子力産業会議:原子力年鑑 1999・2000年版、(1999年10月)、p.342
(4) 海外電力調査会:海外電力、1990年11月号、p.57-58
(5) 海外電力調査会:海外電力、1997年7月号、p.80
(6) 海外電力調査会:海外電力、1998年10月号、p.84-85
(7) 海外電力調査会:海外電力、1998年3月号、p.38-41
(8) Enerpresse 1999年12月3日号、p.6
(9) 藤井 晴雄、森島 淳好(編):詳細原子力プラントデータブック 1994年、日本原子力情報センター、(1994年8月)、p.89
(10)仏首相府プレス担当部発表 1998年2月2日、「原子力政策およびエネルギー多様化に関する政府方針」、p.4,10,11
(11) 日刊工業新聞社:原子力工業 第36巻第12号(1990)、p.53-57
(12) 原子力委員会編:原子力白書 平成10年度版 ホームページ
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