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<概要>
 寧辺(ヨンビョン)原子力研究センターは、平壌の北約80km、寧辺市の南西約5kmの平安北道寧辺郡分江地区九龍江の屈曲点に位置し、敷地面積は8.92万平方km(270万坪)である。この研究センターは1960年代前半から、旧ソ連の協力により建設を開始し、研究用原子炉(IRT-2000)、5,000kW実験用原子炉黒鉛減速・炭酸ガス冷却炉)、臨界実験装置、放射化学研究所(プルトニウム再処理施設)、核燃料製造貯蔵施設、放射性同位元素生産加工研究所、放射性廃棄物貯蔵施設などを運用しており、このほかに建設を中断した50MWe原子炉(黒鉛減速・炭酸ガス冷却炉)がある。
<更新年月>
2004年01月   

<本文>
 北朝鮮の原子力施設として、平壌地区の金日成総合大学の未臨界実験装置、平壌原子力研究所のサイクロトロン加速器および寧辺地区を中心とする多くの施設、それに凍結されたいくつかの原子力発電所がある。
 ここでは、特に寧辺地区にある原子力研究センターについて紹介する。
1. 朝鮮民主主義人民共和国の原子力開発の概要(参考文献1、2、3、4、5)
 朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮という)の原子力開発は1954年に旧ソ連の協力で開始された。1956年に旧ソ連と「原子力研究協定」を締結し、1961年より平壌(Pyongyang、ピョンヤン)の北約80kmの寧辺(Yongbyon、Nyongbyon、ヨンビョン)で寧辺原子力研究センターの建設に着手した。敷地は8.92万平方km(270万坪)で、研究炉、実験用原子炉(寧辺原子力発電所1号機)および各種の研究所が建設された。
 1979年には、電気出力5MWe(5,000kWe)の実験用原子炉(黒鉛減速・炭酸ガス冷却炉)の建設を開始し、1986年1月に完成して電力と暖房用熱の供給を開始し、1994年5月、プルトニウムを抽出するため使用済燃料棒約8,000本を原子炉から取り出し、核燃料貯蔵施設に貯蔵した。
 1986年には電気出力50MWe(5万kW)の第2原子炉の建設を開始したが、1994年10月の「枠組み合意」により実験用原子炉の運転と第2原子炉の建設が凍結された。更に寧辺の北西約30kmの泰川に20万kWeの泰川原子力発電所を1981年に着工したが、同じく1994年10月に建設を凍結された。
 北朝鮮は1985年12月に核不拡散条約「NPT」に加盟し、1992年1月にはIAEA(国際原子力機関)の保障措置協定にも調印した。しかし、核疑惑問題がクローズアップされたことなどを背景に交渉が長引き、1994年10月にようやく合意にこぎつけ、核疑惑解消へ一歩前進した。米朝合意の内容としては、北朝鮮が核疑惑検証のための特別査察を受け入れ、NPTに完全に復帰すること、黒鉛減速炉を凍結・解体する見返りに軽水炉に転換すること、米国が転換期間中の代替エネルギーの供与を行うことになった。
 この合意に基づいて日・米・韓によって1995年3月に軽水炉転換支援などを行う朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が正式に発足した。1995年12月にはKEDOと北朝鮮の間で軽水炉供給取り決めが結ばれ、また軽水炉建設のためのKEDOによる現地調査が実施された。1999年11月、本格的な軽水炉建設工事着工のめどがたって、1999年12月に東京で行われたKEDO理事会で本工事契約を韓国電力公社(KEPCO)と結ぶことが決定され、2002年8月にKEDOプロジェクトの本体工事を着工した。
 2002年10月、ブッシュ大統領の特使としてケリー国務次官補が北朝鮮を訪問し核開発の放棄を迫ったが、10月4日に北朝鮮は核兵器の所有を仄めかした。北朝鮮外務省スポークスマンは、12月12日にKEDO理事会が12月分の重油供給中断を決めたことに対し、「核凍結をやむなく解除し、電力生産に必要な核施設の稼働と建設を即時再開する」と発表した。12月27日、IAEAは、1,000本の核燃料棒(注:全炉心に挿入する燃料棒の約1/10に当たる)を実験用原子炉施設内に搬入したと発表した。2003年7月8日、北朝鮮が米国との非公式協議で、「8,000本の使用済燃料の再処理を6月30日に終了した」と発表した。米政府筋は7月11日、「放射性ガス・クリプトン85を検出した」と発表した。また韓国大統領は、「検出されたクリプトン85は少なく、再処理したとしても少量で、非常に深刻とは考えていない」と発表した。
 2004年1月11日、米国のプリチャード元朝鮮半島平和協議担当特使ら米国の核専門家、議会スタッフ、元政府高官を含む5人が1月6日から10日まで平壌と寧辺を訪問した。北朝鮮当局者は、最近処理したプルトニウムを見せ、1)このプルトニウムは爆弾には搭載されていない、2)危機を回避するため、プルトニウムを凍結する用意があるとの意向を訪朝団に伝えたという。表1−1表1−2および表1−3に北朝鮮における核開発の年表を示した。
2. 寧辺原子力研究センターの概要(参考文献1、2、3、4、5)
 寧辺原子力研究センターは、平壌の北約80km、寧辺市の南西から約5km離れた平安北道寧辺郡分江郡分江地区にあり、九龍江の屈曲点に位置し、その敷地面積は8.92万平方kmである。このセンターは、1961年から旧ソ連の協力で建設を開始し、研究用原子炉、電気出力5,000kWeの実験用原子炉、臨界実験装置、放射化学研究所(プルトニウム再処理施設)、核燃料製造施設、核燃料貯蔵施設、電気出力5万kWe原子炉(建設中断)、放射性同位元素生産加工研究所、放射性廃棄物処理施設などを操業していた。
 1994年10月の「枠組み合意」によって、北朝鮮は黒鉛減速炉の運転と建設を凍結し、軽水炉の建設に関する国際支援を受け入れた。しかし、2002年2月になって、北朝鮮は現地に常駐しているIAEA(国際原子力機関)の査察官に対して、「5,000kWeの実験用原子炉に燃料を再装荷する」と通告し、運転再開に向けた原子炉のチェック作業を開始した。IAEAは、2002年12月27日、北朝鮮が5,000kWeの実験用原子炉施設に約1,000本の核燃料棒を搬入したことを明らかにした。なお、1994年の枠組み合意で原子炉が凍結された際、5,000kWeの実験用原子炉に装荷されていた約8,000本の核燃料棒は、腐食が進まないように防護措置を施して施設内に貯蔵されていた。
 図1に寧辺原子力研究センターの位置を示す50万分の1の地図(TPC G-10B)、図2に寧辺原子力研究センター近辺を含む地図、図3に寧辺原子力研究センターの各施設の場所を示す衛星地図、図4に5MWe実験用原子炉、建設を中止した50MWe黒鉛炉、放射化学研究所(再処理工場)を示す衛星地図、図5に寧辺原子力研究センターの全景写真を示した。
3. 寧辺原子力センターの主要施設
3.1 原子炉
3.1.1 IRT-2000研究炉(参考文献1、2、3)
 北朝鮮は、旧ソ連で建設されていた研究用原子炉IRT-2000(プール型、10%濃縮ウラン燃料を使用)の建設を1962年に開始し、1965年から運転を開始して基礎研究および実験研究を行った。1960年代から原子力開発は自主路線により進められ、IRT-2000は1970年代初めに原子炉熱出力を当初の2,000kWtから4,000kWtに増強し、1977年には更に8,000kWtまで増強された。図6に研究炉IRT-2000の外観写真を示した。
3.1.2 実験用原子炉(寧辺原子力発電所1号機)(参考文献1、2、3、4、5)
 寧辺実験用原子炉(1号)は、九龍江から約200m東に位置する寧辺原子力研究センター内にあり、電気出力は5,000kWeである。この原子炉は1979年に着工して1985年に初臨界を達成し、1986年1月から運転を開始し、1989年春に使用済燃料棒約8,000本を取り出した後、運転を停止した。この実験用原子炉は、英国のコールダーホール型原子炉をモデルに、北朝鮮が独自に開発した黒鉛減速・炭酸ガス冷却炉で、原子炉熱出力は25MWtである。炉心は、垂直のチャンネルに入れた燃料棒を上部から挿入し、また取り出す方式で、燃料交換は連続取替ではなく、原子炉を停止ししてから燃料を取替えるバッチ取替方式である。
 燃料棒は長さ50cm、直径3cm、重さ6.17kg、燃料被覆管はマグネシウム・ジルコニウム合金で、ジルコニウム合金の含有量は0.55%と言われている。
 炉心は高さ6m、直径6mで、燃料チャンネル数は801チャンネルあり、1チャンネル当たり10本の燃料棒を挿入しているので、炉心に装荷(挿入)している燃料棒数は約8,000本で、燃料のウラン総重量は約40〜45トン、減速材である黒鉛の重さは600トンである。また、燃料の平均温度は420℃、最高温度は440℃である。
 図7に5MWe実験用原子炉建物の衛星写真、図8に実験用原子炉建物と冷却塔および屋外開閉所の写真、図9に実験用原子炉の中央制御室および制御盤の写真を示した。
3.1.3 寧辺原子力発電所2号炉(参考文献1、2、3)
 寧辺原子力発電所2号炉は寧辺原子力研究センター内にあり、図3から判るように、九龍江の湾曲部で一番狭くなった場所に位置している。電気出力は50MWeで1986年に着工したが、1994年の枠組み合意により建設を凍結され、2004年現在、未完成である。図3に2号炉の場所を、図10に2号炉の衛星写真を示した。この衛星写真によると建物は完成しているが、各種の情報を分析すると、多くのコンポーネント(部品)および黒鉛ブロックが不足しているため、完成するには数年間が必要と思われる。
3.2 寧辺の主要研究施設
3.2.1 放射化学研究所(参考文献1、2)
 この研究所は1956年に建設を開始し、化学加工、燃料の加工成型の研究を実施した。
3.2.2 核物理学研究所(参考文献1、2、3)
 この研究所は研究炉IRT-2000の南側に隣接して1964年に建設を開始し、原子炉物理、原子力工学、燃料および材料分野の研究を実施し、原子力関連技術者の養成および研究炉の出力増強に寄与してきた。図3に核物理研究所の場所を示した。
3.2.3 アイソトープ生産加工研究所(参考文献1、2)
 この研究所はモリブデン/テクネチウム、ヨード131、クロム51、コバルト60等を生産した。また1975年からウランおよびプルトニウムの化学基礎研究を実施した。
3.2.4 核燃料製造工場(参考文献1)
 核燃料製造工場は図3から判るように、九龍江蛇行部の最南端の北側に位置している。この工場の能力に関する資料はない。
3.2.5 放射化学実験施設(プルトニウム再処理施設、再処理施設ともいう)(参考文献1、2、3)
 この施設は九龍江蛇行部の真ん中にある丘陵に位置しており、1985年に建設を開始した。衛星写真によると、主要建物の大きさは全長約190m、幅約30m、6階建のキャニオン型再処理工場で、プルトニウムを分離する施設である。この施設では、溶解、抽出、精製のパラメーターを決定するための実験を実施した。
 この再処理施設の年間処理能力については、米国科学国際安全保障研究所(ISIS)によると、燃料を化学処理しプルトニウムを分離・精製する工程ラインは1992年に出来上がっており、処理能力は最大で年間110トン・ウランと見込まれているとしている。しかし、ロシアのクルチャトフ研究所の専門家によると、年間処理能力はISISの推定を大幅に下回り、年間処理能力は25トン・ウランとしている。
 1989年春、5MWeの実験用原子炉から破損した燃料棒の一部を取り出し、再処理してプルトニウムを抽出した。
 この再処理施設は、1994年10月の枠組み合意により凍結された。2003年2月26日、アメリカ政府は北朝鮮が寧辺の実験用原子炉を再稼働したことを明らかにした。
 北朝鮮は2003年7月8日、ニューヨークでの米国との非公式協議で、寧辺の5MWe実験用原子炉から1989年春に取り出した燃料棒約8,000本の使用済燃料の再処理を2003年6月30日に完了したと通告した。しかし韓国政府筋の情報では、再処理時で燃料棒を溶解した時に大気中に放出される放射性ガスであるクリプトン85を北朝鮮に近い韓国内で検出したのは、2003年4月30日から5月1日の2日間であるから、北朝鮮は8,000本のごく一部を再処理しただけで、8,000本の再処理を完了したというのは非常に疑わしいとしている。図3にプルトニウム分離施設設の場所を、図11に放射化学研究所の衛星写真を示した。
4. 起爆実験場
 起爆実験場は、九龍江の蛇行部北側にある核物理学研究所の北側に隣接している。
 韓国の高・国家上位方院長は2003年7月上旬、「北朝鮮で起爆装置開発に向けた高性能爆薬実験が1997年から2002年9月までに約70回行われたことを認めた」。核爆発を伴わない起爆実験は、1980年代から通算すると百数十回を上回るとみられ、韓国では起爆装置は完成段階にあるとの分析がある。図3に起爆実験場の場所を示した。
<図/表>
表1−1 北朝鮮における核開発の年表(1/3)
表1−1  北朝鮮における核開発の年表(1/3)
表1−2 北朝鮮における核開発の年表(2/3)
表1−2  北朝鮮における核開発の年表(2/3)
表1−3 北朝鮮における核開発の年表(3/3)
表1−3  北朝鮮における核開発の年表(3/3)
図1 寧辺原子力研究センターの位置を示す50万分の1の地図
図1  寧辺原子力研究センターの位置を示す50万分の1の地図
図2 寧辺原子力研究センター近辺を含む衛星地図
図2  寧辺原子力研究センター近辺を含む衛星地図
図3 寧辺原子力研究センターの各施設の場所を示す衛星写真
図3  寧辺原子力研究センターの各施設の場所を示す衛星写真
図4 5MWe実験用原子炉(1号炉)、建設を中止した50MWe黒鉛炉(2号炉)、放射化学研究所(再処理施設)を示す衛星写真
図4  5MWe実験用原子炉(1号炉)、建設を中止した50MWe黒鉛炉(2号炉)、放射化学研究所(再処理施設)を示す衛星写真
図5 寧辺原子力研究センターの全景
図5  寧辺原子力研究センターの全景
図6 研究炉IRT-2000の外観
図6  研究炉IRT-2000の外観
図7 5MWe実験用原子炉建物の衛星写真
図7  5MWe実験用原子炉建物の衛星写真
図8 実験用原子炉建物と冷却塔および屋外開閉所
図8  実験用原子炉建物と冷却塔および屋外開閉所
図9 実験用原子炉の中央制御室および制御盤
図9  実験用原子炉の中央制御室および制御盤
図10 寧辺原子力発電所2号炉の衛星写真
図10  寧辺原子力発電所2号炉の衛星写真
図11 放射化学研究所(プルトニウム再処理施設)の衛星写真
図11  放射化学研究所(プルトニウム再処理施設)の衛星写真

<参考文献>
(1)日本原子力産業会議「原子力年鑑2003年版」2002年11月14日発行、p.307-311
(2)日本原子力産業会議「アジア原子力情報ハンドブック第13版」2002年3月発行、p.225, 227-230
(3)日本原子力産業会議「原子力年鑑2004年版」2003年11月10日発行、p.61-62
(4)中央公論社「北朝鮮:米国務省担当官の交渉秘録」2000年9月発行、ケネス・キノネス著、伊豆見元監修、山岡邦彦・山口端彦−訳、
(5)中央公論社「北朝鮮II:核の秘密都市寧辺を往く」、2003年5月、ケネス・キノネス著、伊豆見元監修、山岡邦彦・山口瑞彦−訳
(6)日本原子力産業会議「原子力調査時報」1992年10月号、No.62、朝鮮民主主義人民共和国の原子力開発の現状、p.20,29,30,32
(7)Global Security.org
(8)Global Security,
(9)Solving the North Korean Nuclear Puzzle,http://www.isis-online.org/
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