<大項目> 放射線影響と放射線防護
<中項目> 原子力施設による健康影響
<小項目> 放射線事故対策
<タイトル>
安定ヨウ素剤投与 (09-03-03-05)

<概要>
 安定ヨウ素剤投与は、放射性ヨウ素吸入と摂取による内部被ばくを防ぐためにヨウ化カリウム等の安定ヨウ素を服用する対策である。安定ヨウ素剤の投与時期は、放射性ヨウ素の摂取が予測される直前又は数時間前から直後までが最も有効である。予めの投与では、摂取した放射性ヨウ素の90%以上が甲状腺に到達する前に排泄される。安定ヨウ素剤は放射性ヨウ素の摂取による内部被ばくの低減に関してのみ効果を有する。したがって、安定ヨウ素剤投与は原子力災害時の放射線防護計画全体の中で考慮される防護対策である。安定ヨウ素剤の服用で、まれに特異体質の人などに、アレルギー反応が出る場合が起こり得る。妊婦、新生児、甲状腺疾患既往者には医師が立ち会って服用させる特別の配慮が必要である。日本では原子力災害時に備えて、関連する地方自治体には安定ヨウ素剤が備蓄されている。
<更新年月>
2010年12月   

<本文>
1.放射線防護のための安定ヨウ素剤の投与
 安定ヨウ素剤の投与は、放射性ヨウ素の吸入と摂取による内部被ばくを防ぐためにヨウ化カリウム等の安定ヨウ素を服用する対策である(「安定」とは放射性ではないという意味である)。原子力災害(事故、以下同じ)時において、放射性ヨウ素に関して最も懸念される被ばく形態は甲状腺の内部被ばくである。これは、空気中に含まれる放射性ヨウ素の吸入、あるいは放射性ヨウ素で汚染した食物・牛乳の摂取により起こり得る。放射性ヨウ素で汚染した食物を摂取する被ばくに対しては、食物の摂取制限の方が安定ヨウ素剤投与よりも実際的な対策である。事故時の放射線防護対策として種々の放射性核種からの外部被ばく・内部被ばくを避けるために計画されている「屋内退避」ならびに「避難」の対策は、放射性ヨウ素による内部被ばくの低減にも役立つ。ただし、安定ヨウ素剤は放射性ヨウ素の摂取による内部被ばくの低減に関してのみ効果を有する。したがって、安定ヨウ素剤投与は事故時の放射線防護計画全体の中で考慮される防護対策である。
2.ヨウ素の体内挙動と甲状腺への移行・放射線障害
 甲状腺は成長や体内における物質代謝に必須の甲状腺ホルモンを作る器官である。甲状腺ホルモンは、ヨウ素元素を含む化合物である。甲状腺ホルモンの生産のために、甲状腺は血中のヨウ素を能動的に取り込む。成人の体内には、約11mgのヨウ素があるが、そのほとんどは甲状腺に集まっている。このような生理的な仕組みのために、体内に放射性ヨウ素が取り込まれると、その一部は甲状腺に選択的に集まる(図1)。放射性ヨウ素もヨウ素元素としての挙動は非放射性のヨウ素と同様である。一般に血中に取り込まれたヨウ素の約30%が甲状腺に移行する。残りは全身の血中から速やかに体外に排泄される。甲状腺に移行したヨウ素は甲状腺からホルモンとして分泌される。全身に送り出されたヨウ素を含む甲状腺ホルモンが分解されて生じる無機ヨウ素の一部は血中を経て甲状腺へ戻る。この経路で再び甲状腺へ入る放射性ヨウ素の被ばく寄与は、長半減期の129I(ヨウ素129)の場合に限って重要である。甲状腺からのホルモンの分泌速度(いいかえれば、除去速度)は、例えば欧米成人の場合には80日で甲状腺内の量が半減する速度、すなわち80日の生物学的半減期である。日本人の1日の安定ヨウ素摂取量は、平均するとICRP標準人の5−10倍に当たり1−2mgと推定されている。1日の安定ヨウ素摂取量が多くなると、血中から甲状腺への移行割合が、15−20%程度に小さくなり、甲状腺における生物学的半減期が40日程度に短くなる。
 呼吸による吸入や経口摂取により放射性ヨウ素が摂取されると、体内に入った放射性ヨウ素はほぼ完全に血液に移行した後、甲状腺に移行する。ヨウ素131の場合は摂取30時間後に甲状腺に取り込まれる量が最大に達する。放射性ヨウ素による被ばくにより生じ得る身体影響には、例えば甲状腺機能亢進症という早期影響と、例えば甲状腺ガンの発生という晩発性影響がある。早期影響は、非常に大きな被ばく線量(〜5Gy)を超えた場合にのみ現れる。晩発性の甲状腺のガンの発生率は、1Gyあたり2.3〜4.4×10−4と推定される。対照として、子供の場合の甲状腺ガンの自然発生率は、年間で100万人についておよそ1例である。
3.安定ヨウ素剤投与による甲状腺への放射性ヨウ素移行の抑制
 甲状腺ホルモンの合成過程は血中のヨウ素の濃度レベルに影響される。血中のヨウ素濃度レベルが通常より異常に高くなると、甲状腺ホルモンの合成が一時的に行われない状態となる。これに伴い、血中から甲状腺へのヨウ素の取り込みが自律的に抑制される。安定ヨウ素剤の投与とは、成人で日常摂取量1日0.2−1mgに比べて、はるかに大きい100mgレベルの安定ヨウ素(非放射性ヨウ素)を一度に与えることにより、その自律的な取り込み抑制効果を誘起して、放射性ヨウ素の甲状腺への到達量を小さくする方法である。
 安定ヨウ素剤が放射性ヨウ素の摂取より前か、あるいは摂取後すぐに投与されれば、甲状腺に放射性ヨウ素が到達し蓄積するのを防ぐことができる。安定ヨウ素剤を投与する時期は放射性ヨウ素を摂取する以前であることが望ましい。放射性ヨウ素の摂取が先になってしまった場合でも、安定ヨウ素をできるだけ早く投与すれば甲状腺による放射性ヨウ素の取り込みをいくらか下げることはできるが、投与の効果は時間の経過に伴って急激に減少する。図2は、131I(ヨウ素131)を4時間にわたり吸入摂取した場合、その吸入開始の前後にわたる安定ヨウ素剤投与時間(横軸)と甲状腺内部被ばくの抑制割合(縦軸、100%−完全抑制、0%−抑制なし)との関係を示している。同図に示すように、安定ヨウ素剤の投与時期としては、放射性ヨウ素の摂取が予測される直前又は数時間前から直後までが最も有効である。
4.安定ヨウ素剤投与の実際
 日本においては、甲状腺線量が相当大きくなると考えられる場合に、安定ヨウ素剤の投与が考慮される。「原子力施設等の防災対策について」に示される指針によれば、あらかじめ安定ヨウ素剤を事前に配布するのではなく、周辺住民等が退避し集合した場所等において、安定ヨウ素剤を予防的に服用する、としている。服用の対象者としては、40歳未満の者を対象とし、40歳以上については、放射性ヨウ素による被ばくによって甲状腺がん等の発生確率が増加しないため、安定ヨウ素剤を服用する必要はない。特に新生児、乳幼児や妊婦の服用を優先させる。また、服用回数は原則1日1回で充分である。安定ヨウ素の服用量は表1の通りで、新生児はヨウ化カリウム量16.3mg、生後1ヵ月以上3歳未満は32.5mgで、医薬品ヨウ化カリウムの原液(粉末)を水(滅菌蒸留水、精製水または注射用水)に溶解し、単シロップを適当量添加したものを用いることが適当である。3歳以上13歳未満は50mg、7歳以上13歳未満の服用に当たっては、医薬品ヨウ化カリウムの丸薬1丸(ヨウ素量38mg、ヨウ化カリウム量50mg)を用いることが適当である。13歳以上40歳未満は100mgとする。この範囲であれば、副作用は無視できると考えられている。安定ヨウ素剤は、ヨウ化カリウム(KI)またはヨウ素酸カリウム(KIO3)という化合物として用意される。錠剤の形が一般的である。少量を正確に計量して投与する場合には水溶液が望ましい。国内ではヨウ化カリウム(KI)錠剤が医薬品として使用されており、その1錠は50mgのヨウ化カリウムを含み、ヨウ素としては約38mgを含む。実際には、この製剤1錠が上記指針の1錠に相当するとして準備されている。
 チェルノブイル事故の場合のように、事故時には放射性ヨウ素の体内への取込みは呼吸によっても、牛乳などの食物摂取によっても有り得る。このような状況に対応して、安定ヨウ素剤の投与が連日にわたる場合もある。ただし、食物摂取経路については、食物の摂取制限が安定ヨウ素剤投与よりも優先して考えられるべき対策であると世界保健機構(WHO)は指摘している。安定ヨウ素剤の投与後、ヨウ素の甲状腺への到達抑制状態は1−2日継続する。
 旧ソ連ではチェルノブイル事故対策として、安定ヨウ素剤の投与を行った。放射性ヨウ素濃度の高い牛乳を飲むことを禁止するなどの他の対策による効果も含まれているが、甲状腺の被ばく線量を1/5から1/20に減らすことができた。つまり放射線障害のリスクの内で甲状腺疾患や甲状腺癌のリスクを減らすことができる。
 ICRP(国際放射線防護委員会)Pub.63では、安定ヨウ素として12歳以上の大人の服用量を1日100mgとして、少なくとも3日間同量を服用し続けるが、10日以内で服用を中止するものとしている。妊婦及び3歳から12歳の子供にはこの半量(50mg)を、3歳未満の子供には25mgを服用させるとある。ヨウ素剤服用の目安としては、甲状腺の等価線量が50−500mSvであることがICRPから提案されている。WHOは、チェルノブイル事故を契機に得られた最新の知見に基づいて、安定ヨウ素剤投与に関するガイドライン案をまとめている。そこでは、対象者を成人、子供、幼児、新生児と分けて、これまで参考とされてきた米国放射線防護測定審議会の基準に比して新たな投与基準を提案している。日本においても、緊急被ばく医療体制がより実効的なものとなるように、2001年度に原子力安全委員会においてヨウ素剤投与に関する検討が進められ、その要点が原子力防災対策の技術的専門事項を取りまとめた「原子力施設等の防災対策について」に反映されている。
5.ヨウ素剤の副作用
 ヨウ素剤の摂取による副作用が全くないわけではない。医薬品に副作用はつきもので、治療目的で1日300−1000mgのヨウ化カリウムの長期服用のような場合にも認められている。副作用は次の3つに大別される。
(A)甲状腺の障害
   a. 甲状腺腫
   b. 甲状腺機能亢進症
   c. 甲状腺機能低下症
(B)甲状腺以外の局所障害
   a. 耳下腺炎(ヨウ素性おたふく風)
   b. 鼻炎
   c. ヨウ素坐瘡、膿疱などの皮膚障害
(C)ヨウ素過敏症
  ヨウ素に対する特異体質を持っている人に起こる一種のアレルギー反応で、発熱、関節痛、浮腫、かゆみ、じんましん様皮疹など多彩な症状を呈する。
 副作用の発現は投与量、投与期間、ヨウ素過敏性が大きく関与している。原子炉事故時に甲状腺へのヨウ素131沈着を抑制するために服用するヨウ素剤の量は1日100mg、最大10日間計1gであるので、副作用の出現する頻度は経験的に十分に低い。例えば、米国の例では、年間のヨウ化カリウム(300mg/錠)の消費量は4800万錠である。1960年−1980年に報告されている副作用のデータは、軽症から重症まで全てを含めて160件であった。従って1錠服用することで副作用の生ずるリスクは100万分の1〜1,000万分の1と推定されている。
 万一副作用の生じた時、直ちに服用をやめれば2、3日で症状は消える。なお、妊婦、新生児、甲状腺疾患既往者などには、医師が立ち会ってヨウ素剤を服用させるなどの特別の配慮が必要である。このため摂取する総量を制限したり、予想される甲状腺への放射性ヨウ素沈着量を考慮して、ヨウ素剤の投与を決めることになる。チェルノブイル事故の場合も、ヨウ素剤投与による副作用のリスクの方が放射性ヨウ素の甲状腺疾患を増やすリスクより大きいと判断して、ヨウ素剤の投与を行わなかった国の方が多かった。ただし、ポーランドでは1千万人の子供に安定ヨウ素剤が投与された。その結果、少数の胃腸管障害と皮膚の発赤が報告されたが、重大な副作用は見いだされなかった。これらの経験から、重大な副作用の発生率は、子供では1千万分の1以下、成人では百万分の1以下と考えられている。
(前回更新:2001年9月)
<図/表>
表1 安定ヨウ素剤予防服用量
図1 放射性ヨウ素による内部被ばくの模式図
図2 安定ヨウ素剤の投与時期と投与効果との関係

・図表を一括してダウンロードする場合は ここをクリックして下さい。


<関連タイトル>
放射性核種の体内移行と代謝 (09-01-04-01)
ウクライナ共和国チェルノブイル原子力発電所事故後の放射能対策 (09-03-02-06)
放射性核種の体内取込みと体外除去 (09-03-03-04)

<参考文献>
(1)(財)原子力安全技術センター:原子力防災実務者講座テキスト(1999)p.49.
(2)渡利一夫、稲葉次郎(編):放射能と人体、研成社(1999年6月)p.67-68.
(3)World Health Organization:Guidelines for Iodine Prophylaxis following Nuclear Accidents −Update 1999−, WHO/SDE/PHE/99.6, 1999.
(4)Health and Environmental Consequences of the Chernobyl Nuclear Power Plant Accident, DOE-ER-0332, 1987.
(5)IAEA-TECDOC-516:Medical Aspects of the Chernobyl Accident, 1988.
(6)Protection of the thyroid gland in the event of releases of radioiodine, NCRP REPORT No.55.
(7)中尾 慂(編):放射線事故の緊急医療−RI使用施設から原発サイト−75、ソフトサイエンス社、1986.
(8)ICRP publication 63:放射線緊急時における公衆の防護のための介入に関する諸原則、日本アイソトープ協会(1994)
(9)Group of Medical Advisors to the Atomic Energy Control Board:Guidelines on the use of stable iodine as a prophylactic measure during nuclear emergencies, INFO-0587(E), 1995.
(10)Nauman, J.and Wolff, J.:Iodide prophylaxis in Poland after Chernobyl reactor accident:Benefits and risks, The American Journal of Medicine, vol.94 p.524-532, 1993.
(11)甲斐倫明:日本人の甲状腺における放射性ヨウ素の生物学的半減期に関する考察、保健物理、vol.18 p.3-10, 1983.
(12)吉沢康雄、草間朋子:日本人の甲状腺に関する正常値について、保健物理、vol.11 p.123-128, 1976.
(13)原子力安全委員会:「原子力施設等の防災対策について」の一部改定について、別紙付属資料12「周辺住民等に対する安定ヨウ素剤予防服用に係る防護対策について」(平成22年8月)、http://www.nsc.go.jp/info/20100823.pdf
(14)(財)原子力安全研究会:緊急被ばく医療研修のホームページ、
http://www.remnet.jp/lecture/b03_03/index.html
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