<大項目> 放射線影響と放射線防護
<中項目> 原子力施設による健康影響
<小項目> 放射線事故
<タイトル>
プルトニウムの被ばく事故 (09-03-02-09)

<概要>
 科学論文に掲載された世界のプルトニウム被ばく事故をまとめ、7つの事故例について解説した。米国の第2次世界大戦中に起きたマンハッタン計画作業者の事故や、人体実験として問題にされた末期患者への実験投与、プルトニウムの金属片の刺傷事故、戦後のロッキーフラット核兵器工場での火災、被ばく事故、中国核工業部の10年間の事故記録、そしてわが国での最初の汚染刺傷事故の6種類の事故と、加えてプルトニウム事故の類似としてハンフォードのアメリシウム 241Am 事故についても述べた。これらの事故の全般的特徴を述べた後、個々の事故の概要を解説し、その経過と事故の意義を解説した。さらにプルトニウムの人体事故における障害評価の将来についても論じた。
<更新年月>
1999年03月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
1.プルトニウム被ばく事故の全般的特徴
 公式に記録されているプルトニウムの被ばく事故はそれほど多くはない。したがってプルトニウムの安全性が問題になる度に、将来障害が発生するかも知れない過剰被ばくの事例が注目されている。これらの事例の特徴は、個々の事故報告は被ばくした人が少数で、最大でも1事故で26人の被ばく例である。これらの事故では体内摂取量はあまり多くはなく、最大のものでも当時(1944−1945年)の許容量の198倍といわれている。事故後の経過の追跡はかなり困難であるが、中には事故後50年にわたり追跡調査されたものもある。
 被ばく者の健康障害の評価結果では、急性影響は認められていないが、晩発影響の可能性がある。しかし自然に発生する疾病もあるので因果関係の判定は極めて困難である。学術誌に掲載された各事故例の概要をつぎに示す。
2.マンハッタン計画作業者被ばく事故
 1944−1945年に米国の原爆製造のマンハッタン計画(マンハッタン・プロジェクト)で、木造の粗末な施設でプルトニウムの化学分離の作業中に、硝酸プルトニウムの蒸気を作業者が吸入、うち26名が許容量を超えて吸入被ばくした。作業者は、動員された健康で20代の白人の学徒水兵であった。被ばく者のうち、当時の許容量を超えた26名がマンハッタンプロジェクト被ばく者集団である。体内に吸収されたプルトニウムの量は、410〜6960Bq(プルトニウム負荷量)と推定された。
 この集団については、Voetzらが継続的に追跡調査を行い、32年目、37年目、42年目と5年目毎の結果を報告している。
 32年目の報告では、2人が放射線に無関係の病気で死亡、プルトニウムに無関係の皮膚がん2例を除いてがんの発生はなく、有害影響は認められなかったとしている。37年目には、更に心臓血管系の病気と事故的な外傷で2名が亡くなった。42年目の報告では、3人の肺がんと1名の骨肉腫が発生したとしている。うち、肺がんの1名は50年目の報告で解剖の結果から前立腺がんからの転移であると訂正された。
 42年目の報告でまとめられた7名の死亡者の死亡原因とプルトニウム負荷量(沈着量)を 表1 に示す。
 50年目の報告によると、被ばく者の実効線量は、0.1−7.2Svである。すでに死亡した7人に基づいているが、この数値は米国の死亡期待数16名に較べて少い。また、876名の被ばくしていないロスアラモス作業者の死亡率と比較しても、プルトニウム作業者の死亡率は上昇していない。
 肺がんは1例発生している。これは標準化死亡率0.68となり有意ではないが米国の平均よりも低い。骨肉腫は1例発生している。プルトニウムと関連があるかもしれないと考えられてる。
3.末期患者のプルトニウム投与例
 1939−1945年の戦時中に、それまで全くデータのなかったプルトニウムの体内代謝に関するデータを得る目的で21例の末期患者にトレーサー量に近い量のクエン酸プルトニウムを計画的・実験的に静脈注射し、排泄の状況を観察した。
 これらの患者に関する情報をまとめたものを 表2 に示す。患者達はこの実験投与の内容をほとんど知らされなかった。近年、“核のモルモット”として有名になった一連の人体実験の一つである。そしてLanghamがその尿中および糞中排泄結果を集計、分析して、 図1 のような負荷量と尿中排泄の関係曲線を求めた。それはLanghamの実験式として、現在も放射線防護の実務に使われている。
 末期患者のために比較的早期に死亡した例が多いが、投与量が少ないことから急性障害は発現せず、21例中2例は生存した。これらの患者はもともと重症の病気を持っているので、排泄曲線や、死亡後の剖検データはもとの病気(基礎疾患)のためにそのまま利用できないものもある。例えば、肝障害の強かった患者では患者の肝臓分布のデータは採用できない。しかし、この実験で得られた成果は、プルトニウムの放射線防護の実務に役立った。
4.金属プルトニウム片の創傷侵入例
 金属プルトニウムの創傷侵入例は核兵器生産国で幾つか報告がある。なかでも米国の病理学者Lushbaughの1964年の報告が注目されている。そこでは3例の摘出のうち、事故から4年後に摘出した1例に前がん状態に類似した病変が観察された。人体の組織でがんの症状が観察された唯一の例である。創傷侵入の場合のプルトニウムは、侵入部位からの体内移行がかなり遅いので、早期に外科的に切除することが一番有効な措置とされており、実施例も多い。
5.ロッキーフラッツ火災プルトニウム被ばく者
 1965年米国の核兵器生産工場のロッキーフラッツ(ロッキーフラット)で金属プルトニウムが火災を起こし、発生した酸化プルトニウムのエアロゾルを大部屋にいた多数の作業者が吸入した。そのうち、許容量を超えて被ばくした者が25名いた。この事故はエアロゾルの化学形、粒子径、粒子濃度が計測されていることから、被ばく者のその後の健康状態が注目された。この25名の被ばくした者の人数と被ばく量を最大許容量の倍数で 表3 に示す。酸化プルトニウムの粒子径の分布を 表4 示す。
 この事故は基礎データが整っていることと、1974年米国天然資源協会のタンプリンが粒子状プルトニウムの危険性は均等分布の場合に比べて11万5千倍と主張して当時話題となった。現在は潜伏期の中にあり、いずれ全員が肺ガンになるだろうと予告したことでも注目された。潜伏期と考えられる事故後約20年を経過した時点で、被ばく者のその後に変化は認められてはいない。これらの事実は、現在のプルトニウムの許容量が粒子状の場合10万倍も危険だと主張したタンプリンの仮説を否定したことになる。この事故との関連で、ロスアラモス研究所のプルトニウム作業者全体の調査で通常よりも死亡率が低いことから“Healthy Worker's Effect”(健康労働者選択の効果)ということで話題となった。
6.中国核工業部プルトニウム事故の過剰被ばく者
 1964−1985年の20年間に中国の工業部で起きた10回の事故で15名が被ばくしたことが報告されている。これは中国が西側の情報なしに、独力で核兵器を開発した歴史の産物とも考えられ、 表5 に示すように、被ばくしたプルトニウムの化学形も被ばく経路もあらゆる形式が見られる。本報告は元来、個々の症例報告を集めたものであるが、ここではまとめて論ずることにする。事故の頻度も同一期間での諸外国のそれに較べて著しく高い。金属プルトニウムの創傷侵入も含まれている。最大の摂取量は許容量(300Bq)の約200倍に近いものがある。急性効果は全く認められず、1例が13年目に急性白血病で死亡しているが、プルトニウムとの関連性は少ないとしている。全例にキレート剤(Ca-DTPA)(*1)の投与が、摂取量に無関係に行われているのも注目される。
 除去効果の経過が詳細に報告されているので、プルトニウム事故処理を考える上で非常に参考になる。
7.我が国で観察されたプルトニウムの汚染刺傷事故
 我が国で報告された最初の事故である。1966年我が国で最初のプルトニウムに関する動物実験が放射線医学総合研究所で開始された時、各種濃度の注射用の原液の調整が終了してグローブボックス内での器具の片づけが行われたが、不測の要因の組み合わせによる事故が起こり、誤って作業者の左手の人差し指の先に4重の手袋を介して高濃度(40mCi/cc)で汚染された注射針が刺さった。直ちに除染後、傷モニター(*2)で計測したのち、迅速な外科的摘出が実施され、刺傷部位が切除された。オートラジオグラフィ(*3)によって切除された筋肉組織内のプルトニウムの分布が検討された。組織内への侵入量は1〜2μ Ciくらいであると推定された。切除後の傷口は傷モニターで追跡検討されたが、 図2 に示すように、切除後の抜糸、縫合糸の除去と共に完全に検出限界以下となった。患者は入院し、1週間にわたりキレート剤であるCa-EDTAの点滴投与が実施されたが、尿中、血液中にはプルトニウムは検出されなかった。
8.プルトニウム事故と類似の241Am事故被ばく
 1986年に米国ハンフォードで起きた事故は、再処理工場でアメリシウム(Am)の抽出のためにイオン交換樹脂に吸着させたものが、ストライキのため放置され、再開後硝酸を注入したとき化学爆発が起き、グローブボックスの覗き窓から覗いた作業者が顔面にガラスの破片と共に硝酸溶液を浴びた。1,000μCi以上のアメリシウムで汚染されたとして、1年以上にわたるキレート剤の投与を行った。これにより急性効果は発現せず、退院後11年目に通常の病気で死亡したという。この事故については、発生から事故の処理、治療の経過などが23の科学論文として発表され、死後は遺体の精密な解剖、プルトニウムの分析が行われた。詳細は本ATOMICAデータの「米国ハンフォード再処理施設内における241Am被ばく事故」を参照されたい。
9.プルトニウム障害評価の将来像
 現在までの過剰被ばくの事故例では、プルトニウムの障害の評価を実施するには統計的に十分な情報は得られない。そのため、1938年に開始された米国の超ウラン元素国家登録という制度は、50年を目標に作業者の被ばく歴を登録し、死後は本人の生前の承諾に基づいて遺体の組織のプルトニウム分析と組織の病理解剖を実施し、その結果を公表するというものである。その解剖例が1986年で200例近くに達している。現在までには何等の障害の兆候は認められていないが、この症例が統計的な解析に十分な数に蓄積されると、被ばく量と障害との関係が今までより明らかにされるであろう。
10.用語解説
(*1) Ca-DTPA
 プルトニウムを生体から排泄するのに有効なキレート剤。化学構造的にはCa-Diethylen-triamin penta acetic acid である。
(*2) 傷モニター
 プルトニウムはガンマ線を放出しないので、体外から通常のガンマ線計測によって検出できない。しかし、プルトニウムから約4%の放出率で放出される17keVのLX線に着目し、特殊な薄型のNaI検出器を用いると、体外からLX線が検出できる。この測定器を傷モニターという。
(*3) オートラジオグラフィ
 写真フィルムに放射性物質を含む試料を接触させ、一定の時間露出することにより生ずる感光した銀粒子の分布から試料中の放射性物質の分布を調べる方法。
<図/表>
表1 マンハッタン計画被ばく者中の死亡者(7名)の死因
表2 プルトニウム投与患者の投与量とその運命のまとめ
表3 プルトニウム吸入被ばく量別の被ばく者数
表4 吸入酸化プルトニウムの粒子径分布
表5 中国プルトニウム過剰事故被ばく者の集計
図1 プルトニウムの尿中、糞中排泄の時間経過と
図2 刺傷部位の傷モニターによる測定結果

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<関連タイトル>
米国ハンフォード再処理施設における241Am被ばく事故 (09-03-02-08)
プルトニウムの毒性と取扱い (09-03-01-05)

<参考文献>
(1) 松岡 理:放射性物質の人体摂取障害事故の記録−過ちの歴史に何を学ぶか−、日刊工業新聞社(1995),p.73-113
(2) George L. Voetz,James N. P. Lawlence,and Emily R. Johnson:Fifty Years of Plutonium Exposure to the Manhattan Project Plutonium Workers: An Apdate,Health Physics,vol. 73,p.611-619(1997)
(3) 江藤 秀雄:プルトニウム配分作業時に起こった指先刺傷事故とその措置について、保健物理、22(1),p.116-120 (1967)
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