<大項目> 放射線影響と放射線防護
<中項目> 原子力施設による健康影響
<小項目> 放射線事故
<タイトル>
イスラエル国ソレク原子力研究センターにおける医療用殺菌装置による被ばく事故 (09-03-02-01)

<概要>
 1990年6月21日にイスラエル国ソレク原子力研究センター内にあるスルバン社の商用照射装置(コバルト60線源,1260GBq=34万Ci)の照射用コンベヤーの故障を修理しようとした32歳の作業者が照射室内に入り全身に10Gy被ばくした。この作業者は、数分後から急性放射線症状を呈し、直ちに入院したが、36日後に死亡した。
<更新年月>
1998年03月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
1.背景
 スルバン(Sor-Van)社の照射施設は医療用の器具と食品(スパイス類)の放射線殺菌に使われており、線源はコバルト60、1260GBq(34万Ci,1990年6月現在)である。照射施設( 図1 )は、1960年代にカナダ原子力エネルギー社により設計、製造され、事故発生までの19年間、故障なく使用されていた。線源は水槽中に貯蔵されており照射時には気圧で照射室に上げられ、この装置のシリンダー圧を下げると、線源は自重で格納位置に降りる。線源が照射位置に上げられた状態の時には「線源上昇」のランプ、降下したときには「線源格納」のランプが点灯する。線源が途中で引っかかった場合にはこれらのランプは点灯せず、それを知らせるランプが点灯する。
 照射する製品の入った箱が途中で引っかかると移送装置が止まり、線源は水槽内に降り、制御盤上のしかるべきランプが点灯して運転員の注意を喚起する。荷物の引っかかりを直すには照射室内に入らねばならない。
 その照射室入口ドアは制御盤のスイッチと同じ鍵で開閉される。ところで、ドアには二重の安全インターロックがついていて、鍵があっても開けられない場合がある。インターロックの1つは「線源格納」スイッチと連動しており、「線源格納」ランプが点灯した時にインターロックが解除される。更に第2のインターロックがあって、「線源格納」ランプが点灯すると入口通路に備え付けられているGM管式放射線測定器がオンになり、これが放射線を検知するとアラームが鳴り、警告ランプが点灯し、ドアは開けられなくなる。
 照射室に入るときは、作業者はこのGM管式放射線測定器の「テスト」ボタンを数秒間押してから入ることが規定されており、この場合にはGM管式放射線測定器はバックグラウンド放射線を測ることになるが、この後に第2のインターロックは解除される。ドア(及び制御盤)の鍵には鎖で可搬型ガイガーカウンタが取り付けられており、作業者はそれをドアロックに付けられているテスト線源にあてて作動テストしてから照射室に入ることになっていた。
 事故当日、安全システムは全て正常に機能していた。事故当日の運転作業者は4名で、その内の1人は熟練技師で施設が1960年代後半にできて以来働いており、施設全般を充分に知りつくしていた。他の1名は勤務9年、残りの2人は勤務3年半であった。全員が研修を受け、試験に合格していた。また、イスラエル政府当局の規定に従って、放射線防護コース(4日)を受講済みであった。
 照射される製品類は箱入りであり、3つ重ねにしてテープで止めてあることが多かった。照射している最中に製品に入った箱が引っかかることは時々あった。照射運転は昼夜連続で行われることが多かったが、夜間は無人であった。夜間に故障が起こると信号がソレク原子力センターの緊急時コントロールセンターに送られ、そこの当直員からスルバン社に連絡が行くことになっていた。
2.事故の状況と結果
 6月21日午後5時に照射のための製品の入った箱が引っかかり、箱の運搬にトラブルが生じた。移送システムは止まり、線源が水槽に入ったことを知らせる「線源格納」信号が出た。しかし、いつもと違ってガンマ線警報が鳴った。オフィスで警報を聞いた人々(その中には熟練技師もいた)は警報を止めるために主電源を切り、当直運転員(32歳)を自宅から呼び出した。当直員は数分後に到着し制御盤のスイッチを入れた。制御盤は、(1)「製品がが引っかかっている」(2)「線源格納」(3)「放射線警報」を示した。
 (1)(2)と(3)は互いに矛盾する信号である。当直員は信号(1)(2)を正、信号(3)を誤動と判断し、制御盤内の回路(放射線検知器と連動している)を切断して警報を止め、放射線モニターテストと第2のインターロックとをうまくし操作し、解除した。
 彼はガイガーカウンタと連結されている鍵(鍵を使う時には必ずガイガーカウンタで放射線をチェックするようにするために鍵とカウンターが連結されている)で照射室のドアを開けた。その時このカウンタは故障して作動しない状態であったが、これをドアのテスト線源でチェックすることを怠っていた。
 照射室内に入り製品の箱が壊れているのを発見したが、水槽のチェレンコフ光を確認しなかった(その時線源架台は箱にひっかかって下まで降りず途中で止まっていた)。彼は手押し車を持ってきて壊れた製品の箱をコンベヤーから降ろしはじめた。しかし1〜2分の内に眼が焼けるように感じ、頭の中で何かが鳴っているような奇妙な感覚に襲われ、怖くなって室を出た。そして上司に状況を報告した。彼は間もなく気分が悪くなりけいれんを起こした。熟練技師は直ちに緊急センターと放射線防護担当官(RPO)に電話した。RPOは放射線モニターを持って照射室に入ったが、入口の迷路を2〜3歩入ったところで0.5Sv/時の放射線を検知し、入るのを止めた。結局、カナダの会社に問い合わせ、引っかかった製品の箱を壊し、線源をできるだけケーブルで引っ張り上げ急激に落下させることによりプール内に格納した。
3.外部線源による急性障害
 当時32歳の当直員はテレアビブの病院に運ばれ、そこから同日中にエルサレムのハダサ(Hadassah)病院に送られた。当直員はTLD熱蛍光線量計)をその夜つけ忘れており、被ばく線量は照射室内滞在時間から10〜20Gyと推定された。一般に全身で1〜2Gyの被ばくで典型的な急性放射症をおこし、5Gyを越すと危険であると考えられている。患者は被ばく5分後には吐き気を覚えている。その後、腹痛、下痢、発熱や腹膜炎を疑わせる兆候を示すなど消化器症状が出現ている。同時に血液中のリンパ球数の急激な減少、染色体異常の頻度の増加など重症被ばくの症状も出現し、4日後にはリンパ球は消失し兄弟から骨髄移植が行われた( 図2 )。13日目には白血球数の増加が見られたが患者の状態はよくならず、黄疸も出現し拒絶反応を疑わせる所見も見られた。神経学的には、3日目からうとうとし始め15日目にはいらだちが出現し、27日目には錯乱状態に陥った。消化器も極度の下痢による脱水、広範な炎症や潰瘍等が見られている。当然の事ながら頭頚部、手足、口腔内に水疱を伴った炎症が生じた。結局被ばくから36日目の7月27日に死亡した。死亡後の解剖では、消化管障害と放射線肺障害、移植の拒絶反応が確認された。この症例では、チェルノブイル事故でもそうであったように放射線被ばく時の骨髄移植の難しさが改めて認識された。
4.事故後にとられた対策
 イスラエル政府(労働・福祉省)は事故の原因と状況を調査し、必要な改善措置を勧告する専門委員会を6月24日(事故後3日目)に設置した。委員会は当直員が慌てて処置しようとしたことが被ばく事故の主因であり、また施設に事故を誘発するような状況につながる設計、操作、運営上の欠陥があった、と結論した。委員会及び担当政府部局はこれらに関して16項目にわたる保健物理的、及び設備運営上の改善策を勧告し、これらが全て承認され、実行に移された。
<図/表>
図1 スルバン社照射施設(J-6500型)
図2 被ばく後のリンパ球数と障害の程度

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<関連タイトル>
放射線の急性影響 (09-02-03-01)

<参考文献>
(1)“The Radiological Accident in Soreq”,May 1993, IAEA, Vienna, Austria
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