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<概要>
 ラジオアイソトープを用いて、土壌中における肥料成分の動き、植物や家畜による養分の吸収および体内における代謝、病原体の植物体への伝染機構、農薬の殺虫・殺菌機構、かんがい水の浸透追跡などの研究では、多大の成果をあげが得られている。アクチバブル・トレーサ法やポジトロン放出核種を用いたポジトロン・イメージング法による研究も活発になった。これらRI利用研究や安定同位体利用研究により得られた、農業の生産性向上や省力のための新しい技術等の具体例を紹介する。
<更新年月>
2007年09月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
 ミネラルの欠乏によっていろいろな障害や疾病が発生すると認識されたのは18世紀末から19世紀にかけたころで、比較的新しい。20世紀になって定量法や構造決定法などの分析方法が確立され、1950年代には放射線を利用した「トレーサ法」も利用できるようになって、体内にはモリブデン、セレン、クロムが必要なことが明らかにされている。また、地球上のあらゆる生物の生命を維持し、生物生産の基盤をなす緑色植物の光合成における炭素固定の経路は、単細胞緑藻クロレラを使い、放射性炭素14Cおよびペーパークロマトグラフィーとオートラジオグラフィーを用いたトレーサー実験によって明らかにされている。
 農業における原子力の利用は、ラジオアイソトープ(RI)等を放射線源として用いる線源利用、RIを追跡子として用いるトレーサ利用(トレーサ法)、および原子炉等の中性子照射し物質中の構成成分を分析する放射化分析の3つに大別される。ここでは、トレーサ利用のみについて、その概要を解説する。
 農業においてトレーサ法が広く利用されている理由は、まず第1に、物質の移動の状態を一貫して継続的に追求できることにある。たとえば土壌中に施用された肥料成分が、どのように土壌中を移動するか、次にどのように植物体に吸収され、どのような成分をどこで合成するかなどについて、系統的に解析することができる。第2には極微量でも精度よく分析することができること、すなわち一般の化学分析では、分析限界が0.1ppmオーダであるが、RI利用による分析では、ppbオーダまで検出可能である。第3には、試験対象物を分解したり破壊したりすることの許されない場合にも、トレーサ法では非破壊的に分析でき、正常な植物活動において、ありのままの状態で養分の吸収、代謝を確認することが出来る。現在知られているRIの数は、1,000を越えている。その中で農学において良く使用されているRI(放射性核種)を表1に示す。
1.日本農業におけるトレーサ利用の始まり
 理化学研究所の仁科芳雄氏を中心とする研究者達の努力により、1950年に米国物理学会から同氏に対し、14C(炭素)、35Cs(硫黄)、32P(燐)、59Fe(鉄)などのラジオアイソトープが寄贈された。そしてこの一部を農林水産省農業技術研究所(現農業環境技術研究所)が受領して、同年から32Pを用いて水稲に対する燐の施肥法、59Feを用いて集落水田における鉄の研究、および32Pの水溶液を種子に吸収させて、β線の内部照射の研究を開始した。
 その後RIの受入体制が整備され、その輸入が次第に容易になってくるにしたがって、各地にRI実験室、γ線照射室が建設され、大学、研究機関等でも研究者の技術訓練や施設、機器の整備をはかったので、RI利用研究は急速に盛んになった。その後、1995年頃からは飽和状態に達し、放射線利用統計によると、2005年3月末の日本における非密封RIの使用機関は、医療関係を除いて800事業所を下まわり年々減少している。なお、現在では、RIをトレーサとした野外実験はなかなか許可されず、実験室内使用のみが許可されている。
2.トレーサ利用について
 土壌中における肥料成分を追跡する場合は、32P、45Ca、42K、59Feなどで標識した肥料を用いてその行動を追跡し、肥料成分の土壌中での挙動および農作物による吸収過程を明らかにし、農作物に対する合理的施肥法を確立した。水稲をはじめとして、タマネギ、トマトなどのそ菜類、ミカンなどの果樹等での施肥法が代表的な例である。
 植物体による養分の吸収、吸収養分から含有成分の合成過程が明らかにされた。植物組成成分であるリグニンやセルロースでは、14Cを用いて研究され、植物種による光合成反応の違いなどが解明された。また、養分だけでなく、種々の重金属元素の植物への吸収に関しても、RIを用いて吸収特性並びに根活力分布などの体内分布が研究された。
 病原体の植物体への伝染機構についても、たとえば植物ウイルス病がどのようにして植物体に伝播するかを解明するために、32Pで標識したウイルスの植物体への侵入過程や加害状態を明らかにして、各種の病原体の植物体への伝染機構について解明された。
 農薬の殺虫・殺菌等の作用機構については、14C、35S、203Hgなどで標識した農薬を用いて作物による吸収、残留性、あるいは病害虫・病原菌に対する効果を明らかにした。
 生育の場所を移動することができない植物は、種々の生育環境ストレスに耐え、適応する能力を備えている。このストレス耐性の機構を解明し、環境適応性に富んだ植物を作出し、農業生産に役立てようとする研究が行われている。さらに、重金属を特異的に高集積する植物を検索することを目的として、理化学研究所で開発したサイクロトロンを利用するマルチトレーサー技法により「放射性核種の土壌生態圏における動的解析モデルの研究」が行われている。
 また、家畜における養分の吸収および体内における代謝に関しては、RI標識の各種栄養素の体内での吸収およびその代謝に関する研究により、効率的餌給法の確立などにより多くの問題点が解決されている。家畜あるいは作物の病原体の1つであるウイルスの増殖機構についても、その蛋白合成法などが明らかにされて、家畜伝染病の予防・治療法の研究に大きく貢献している。
 地下水の挙動、例えば水田かんがい用水の地下浸透速度、浸透方向、浸透後の地下水流動速度、流動分布などもRIを用いて明らかにされた。さらに地表面に落下した放射性核種(フォールアウト)は、動物や植物にも取り込まれることも明らかにされた。例えば、デンマークにおいて食物中の90Srと137Csの濃度測定やその経年変化が測定された。
 以上のほか、基礎研究分野として蛋白あるいは核酸の合成等の研究や動物体や植物体の構成成分の生合成あるいは分解機構の解明は、RIを利用することにより、はじめて進展したものである。
3.安定同位体の利用
 安定同位体も最近良く利用されるようになってきた。例えば、窒素の土壌中での挙動や植物への移行、植物中での分布などの研究に15Nが用いられる。この15Nは非放射性であるため、放射能測定器では検知できない。従来は大規模なマススペクトロメータ(質量分析器)により分析したが、最近機器は著しく改良され、高感度、小型で、かつ比較的容易に測定できるようになった。また、発光分光分析法が確立され、従来の質量分析法に比べて極微量の15Nを容易に定量することが可能になり、窒素肥料の施肥法、土壌ー植物ー水系における施肥窒素の挙動、脱窒、アミノ酸、タンパク質代謝、その他農学、生物学分野の基礎研究、応用研究の発展に多大な貢献をしている。これら安定同位体は、使用できる核種が限られているが、RI使用施設を必要としないなど放射性核種に比べて使用制限がなく、今後その使用が多くなると思われる。例えば、安定同位体30Si利用による鉱さいケイ酸質肥料の可給態ケイ酸評価法の開発やホウ素およびストロンチウムの安定同位体比によるコメの生産国の判別等が行われている。
4.アクチバブル・トレーサ法の利用
 環境への影響を配慮して、放射性同位体を利用することができない場合、天然には多く存在しない安定同位体やその化合物をトレーサとして用い、実験終了後に採取した試料を原子炉などで放射化して、トレーサとして用いた同位体を測定する方法をアクチバブルトレーサ法という。
 アクチバブル・トレーサによく用いられる元素や中性子照射で放射化した時の生成核種などを表2に示す。ヘリコプターで散布された農薬の分布や拡散状況の調査の他に、ダムの水漏れの検査、河川水の汚濁状況、大気汚染物質などの移動する様子を調査するのにも利用されている。
5.ポジトロン・イメージング法の利用
 ベビーサイクロトロンを用いて窒素ガスにプロトンを照射し、その後合成した11CO2を植物への供給ラインに接続し、葉に吸収させる。11C光合成産物の穂、茎、根への移行の経時変化を、それぞれの位置にセットしたNaI検出器で計測することにより、コムギやトウモロコシにおける、11C化合物の穂や根への移行が明らかになった。メロンとトマトの根への硝酸態窒素の吸収・移行に対する塩処理の影響が13Nを用いて調べられ、特に短時間での応答計測では威力を発揮している。
6.国際協力におけるトレーサー利用技術
 日本が主導するアジア地域での原子力平和利用協力の枠組みとして、アジア地域の持続的発展や貧困の撲滅、環境の保全を目指しているFNCA(アジア原子力協力フォーラム)での、バイオ肥料ワークショップのプロジェクトでは、特定の作物に適した根粒菌や菌根菌の選別には窒素15を用いたトレーサ技術が有効と報告されている。
(前回更新:2001年3月)
<図/表>
表1 農学分野で使用される主な放射性核種
表1  農学分野で使用される主な放射性核種
表2 アクチバブルトレーサに用いられる核種
表2  アクチバブルトレーサに用いられる核種

<関連タイトル>
放射性トレーサ法の原理と応用 (08-04-03-01)
放射化分析 (09-04-03-20)

<参考文献>
(1)農林省農林水産技術会議事務局(編):原子力と農業、ラテイス(1968)
(2)農学大事典編集委員会(著)、野口弥吉、川口信一郎(監修):農学大事典第2次増訂改版、原子力利用、養賢堂(1987)、p.1054-1079
(3)IAEA:Isotopes and Radiation in Research on Soil-plant Relationships(1978)
(4)結田康一:土壌・植物系におけるハロゲン元素の動態研究へのラジオアイソトープ利用、RADIOISOTOPES、26(1977)、p.647-656
(5)小畑仁:水稲体内における亜鉛の挙動、土壌肥料学会(編)「植物と金属元素」、博友社(1982)、p.123-166
(6)日本アイソトープ協会:アイソトープ手帳、改訂10版2刷発行(2001)、p.115
(7)放射線医学総合研究所(監訳):放射線の線源と影響、原子放射線の影響に関する国連科学委員会の総会に対する1993年報告書、実業公報社、東京(1995)
(8)久米民和:ポジトロン放出核種の植物機能研究への利用、放射線と産業、No.79(1998)、p.25-29
(9)日本原子力産業会議:放射線利用における最近の進歩、原子力システム研究懇話会、(2000)
(10)近藤 煕他:アクチバブルトレーサー法を用いた牧草根の養分吸収活力の評価、日本土壌肥料学雑誌、第56巻、第3号(1985)、p.245-248
(11)(独)理化学研究所:理研研究年報(平成15年度)
(12)文部科学省:2002年FNCA放射線育種・バイオ肥料合同ワークショップ
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