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<概要>
 陽子線によるがん治療法は、水素の原子核で正の電荷をもつ陽子(proton)を加速器によって高速度に加速し、大きな運動エネルギーとなった陽子線を電磁石とコンピュータで制御して生体内の標的領域(主にがん等の悪性腫瘍)に高精度に照射し、標的細胞のみを破壊して治療する方法である。その代表例は1970年代後半からアメリカで始められた眼球に生じる悪性黒色腫瘍(choroidal melanoma)の陽子線治療法である。従来、この腫瘍の治療は眼球を摘出する外科手術が最も普通な方法であって、手術後は視力障害や視力喪失を伴うのが普通であった。しかし、陽子線治療が可能になってからは、眼球摘出はきわめて少なくなり、患者の視力は温存されるようになった。この最大の理由は上記のような陽子線治療法の特徴による。陽子線の場合、低コストで安定した放射線が得られる加速器技術が進歩したため、2013年12月までに世界で稼動した実績のある施設は15か国以上42か所に及び、現在でも29か所が稼動している。また、世界の粒子線治療施設で陽子線治療を受けた患者数は、2013年12月現在80,131名(Particle Therapy Co-Operative Group Home Pageより)に達している。
<更新年月>
2013年02月   

<本文>
1.はじめに
 X線又はガンマ線によるがん(癌)の放射線治療法では、周囲の正常組織に障害を起こさないようにがん病巣部に照射する放射線の量(線量)を著しく制限する必要がある。こうした制約下でがん細胞を殺す工夫として、数週間にわたって小線量の照射を繰り返すという分割照射法を行っている。この方法では、積算で数10グレイという大線量を分割して腫瘍に照射し、腫瘍の縮小を図るが、照射を分割して行うことで損傷を受けた正常細胞を回復させる長所がある反面、がん細胞にも同様に回復現象が表れるので、照射線量の割に効果が小さいという欠点があった。
 他方、陽子線を用いた治療法では、体表面や体内の途中では少しの線量しか組織に与えないが、がんの病巣部に達すると多量のエネルギー(線量)を放出してそこで運動エネルギーをすべて失う。そのため、病巣部の先方にある正常組織はX線の場合と異なり放射線が当たらないで済む。しかも、陽子線は、加速エネルギーを調節すれば体内における放射線の到達距離(飛程)も変えられるので放射線が病巣部の位置にうまく届くように調節可能である。このように陽子線は、最近開発された重粒子線とも性質が極めて類似しているが、唯一の違いは陽子線の細胞破壊力がX線とほぼ等しいことである。したがって、到達距離の途中にある組織が受ける放射線被曝の影響は小さい。つまり、陽子線ではがん病巣に対する線量集中性はそれだけ高くなり、病巣部に限って多量の線量を与えることができるので、がん細胞の回復現象も阻止することができる。ただし、がん病巣周辺の正常組織もある程度の線量を受けるので、それらの正常組織が耐えられる放射線量がどのくらいか推測する必要があり、従来のX線治療法ほどではないが、陽子線治療法でも正常組織の線量評価は重要である。
2.がん治療に用いられる放射線の種類とその利点(図1図2
(1)X線、ガンマ線は古くから治療用に使われている放射線である。高エネルギーのX線、ガンマ線が物質と相互作用をすると電子(electron)が放出される。そこで、X線、ガンマ線で照射された組織にはイオン化が起こる。イオン化は細胞組織の傷害・破壊の原因となる。X線、ガンマ線は、組織を通過するときにほぼ均等にエネルギーを失うので、概ね指数関数的に減衰をする。人体通過の際は入口(体表面)付近が最も線量が高く、深部になるほど減少する。
(2)中性子線は原子との反応により陽子、アルファ粒子、重い反跳核などを放出する。これらの荷電粒子は高い値のLET(線エネルギー付与:陽子で90、アルファ粒子で200keV/μm)を示すので組織に高率のイオン化を引き起こし細胞の破壊力や組織透過力は強い。しかし、X線、ガンマ線と同様に深部線量の選択的集中化は得られない。
(3)粒子線の中で治療用として利用できるものは、陽子線、ヘリウムアルファ線、重粒子線、負パイオン線などであり、その物理学的な特徴は到達距離の末端で急に線量が増加する現象、いわゆる、ブラッグピーク(Bragg peak)である。このピークの後部にイオン化濃度の高い核の断片が少し残る場合がある。したがって、粒子線は標的細胞の破壊力を強める放射線の線量集中化が可能であり、原子番号の大きい原子ほどLETは高くなる。
3.陽子線治療装置の構造
(1)加速器:日本の治療施設で稼動している陽子線装置の場合は加速器の直径は小さく(D=4〜10m)、陽子線の最大エネルギーは200〜250MeVである。ちなみに、国立がんセンター東病院に設置された医療専用小型AVFサイクロトロンは、吸収体などを用いることにより110、150、190、235MeVの4種のエネルギーが使用可能である。
(2)照射野形成装置:加速器で発生したビームはビーム輸送系と呼ばれる配管系を通して照射装置に達する。照射装置はリッジフィルタ、レンジフィルタ、コリメーター、回転ガントリーなどの部分から構成される。
(3)呼吸同期装置:患者の呼吸による病巣部(肺、胃腸など)の上下移動に同調して治療ビームが病巣部から外れないようにする装置。
4.日本における陽子線を用いたがん治療
 現在、日本で治療が行われている陽子線治療施設は下記の7施設になる(図3)。
(1)南東北がん陽子線治療センター
 福島県郡山市にある一般財団法人脳神経疾患研究所の附属施設である。脳の悪性腫瘍、頭頚部がん、食道がん、非小細胞肺がん、肝がん、転移性腫瘍、直腸がん、前立腺がんなどとともに、独自のがん治療への取り組みとして、舌がん、上顎洞がんに対する動注化学放射線療法も行っている。平成20年10月から平成24年10月末時点で1,712名の陽子線治療を行っている。
(2)筑波大学附属病院 陽子線医学利用研究センター
 1983年から2000年の期間に、高エネルギー加速器研究機構の加速器を使用して約700名の患者の陽子線治療が行われている。その後、2001年9月に現在の施設が稼働してから2010年12月までに2,598名の患者を治療している。このうちで最も多いのが肝細胞がんで全体の約3分の1を占め、肺がん、前立腺がん、転移性腫瘍である。陽子線治療が有効性を発揮できる腫瘍であれば、どの部位の治療もしている。
(3)(独)国立がん研究センター東病院
 千葉県柏市にある国立がん研究センター東病院放射線部の陽子線治療装置は、日本初の病院設置型として1998年11月から稼動し、2007年11月の時点で治療患者数は503名で、その内容は脳腫瘍、頭蓋底腫瘍(脊索腫・軟骨肉腫など)、頭頚部腫瘍、肺がん、肝細胞がん、転移性肝がん(単発で他の部位に転移がないもの)骨軟部肉腫、前立腺がんなどである。
(4)(独)放射線医学総合研究所
 1979年に陽子線によるがん治療が開始されたが、1985年からは眼のぶどう膜悪性黒色腫瘍の治療を中心に進められた。1998年までに65名を治療し、累積5年、10年の生存率はそれぞれ96、90%であった。また、1996〜2000年に治療をうけた34名についての累積3、4年の生存率は100%になった。合併症としては出血性網膜炎、緑内障、白内障等があるが、0.1以上の視力温存率は48%と報告されている。このように眼における陽子線治療は従来の眼球摘出術に比して非常に優れた治療法であることが確認され、患者の治療後のQOL(Quality Of Life)も著しく改善され、2007年8月現在3,452名の患者数となっている。現在では陽子線による治療では困難ながんについての開発を重粒子線(炭素)を用いて行っている。
(5)兵庫県立粒子線医療センター
 兵庫県たつの市(旧相生市)に設置された巨大加速器(SP-ring)に近い揖保郡新宮町に2001年開設された「放射線腫瘍学的治療のための粒子線加速器」、通称PATRO(Particle Accelerator for Therapy,Radiology and Oncology)という複合加速器により陽子線と炭素イオン線を用いてがんの放射線治療を行っている。2003年から陽子線治療患者3,353名、炭素線治療患者1,393名の治療を行っている(2012年3月末)。
(6)静岡県立静岡がんセンター
 センターの特徴として、陽子線治療用の手術支援ロボットとしてダ・ビンチが導入されている。2009年に日本で初めて大腸がん手術にこのロボットが使われ、高解像度の3D画像や自在に曲がる器具、手ぶれを除去する機能などにより腹腔鏡よりさらに精度の高い手術が可能であるとして、世界でも急速に広まっている。2003年(平成15年)に治療試験が開始され、2008年12月現在では治療患者数691名となっている。
(7)福井県立病院 陽子線がん治療センター
 陽子線がん治療臨床研究を進めるために若狭湾エネルギー研究センターが1998年11月、福井県敦賀市長谷地区に開設され、多目的加速器システムとしてW-MASTが2001年度より本格的運用を開始した。そこで、エネルギーに関する研究開発の推進事業として加速器による陽子線がん治療研究が進められ、垂直、水平方向のビームラインを備えた治療施設が完成、2002年度から生物試験及び治療試験を開始、2007年11月時点で治療患者数は49名となった。2009年3月で若狭湾エネルギー研究センターにおける研究は完了し、その後県立病院陽子線がん治療センターへ移り2011年7月に治療が開始された。平成23年度(2011年度)の治療実績は115名であった。
5.世界における陽子線を用いたがん治療
 現在、粒子線治療を推進している研究機関を地域別にみると、表1に示すように米国11、カナダ1、欧州13、英国1、ロシア3、南アフリカ1、中国2、韓国1、日本9などとなっている。注目すべきは、これらの機関の80%以上が陽子線治療を推進しており、また、新しく治療の開始を予定している機関にも圧倒的に陽子線治療施設が多いことである。
 世界の陽子線治療施設で最も多く治療されている腫瘍は主として眼の腫瘍、すなわち眼の脈絡膜悪性腫瘍(=Choroidal melanoma;ぶどう膜悪性黒色腫=Uveal melanoma)である。この腫瘍の日本での発生率は欧米ほど高くなく、したがって治療患者数は決して多くないが、日本では放射線医学総合研究所にすぐれた治療実績がある。もう一つの注目点は2000年頃から米国と日本で陽子線治療施設が一般のがん治療目的で建設されているという傾向である。世界で最も大規模に陽子線がん治療施設を運営している米国のロマリンダ大学(Loma Linda Univ.)のメディカルセンターが掲げている治療対象がんは脳脊髄で3、脳底部3、眼2、頭頚部2、胸胴部2、腰部2、小児がん3、など20種に及ぶ。その中には前立腺がん、手術不適の肺がん、脳腫瘍の一部なども対象に挙げられている。このように陽子線治療の適用条件は広がりつつある。この背景には低コストで高性能な加速器の開発、治療装置の正確な動作や照射野の規定、あるいは照射野内外の線量評価などに関する技術革新、更に治療に必要な腫瘍の診断、治療に関する情報処理技術の進歩があって、陽子線がん治療法に一層の進歩と発展の可能性をもたらしている。
(前回更新:2009年2月)
<図/表>
表1 世界の粒子線治療施設と治療患者数
表1  世界の粒子線治療施設と治療患者数
図1 各種放射線の物理学的特徴を示す深部方向(体表面から体内ヘ)線量分布
図1  各種放射線の物理学的特徴を示す深部方向(体表面から体内ヘ)線量分布
図2 各種放射線の線量集中性(集中力)と細胞致死効果の強さを比較したイメージ図
図2  各種放射線の線量集中性(集中力)と細胞致死効果の強さを比較したイメージ図
図3 日本の粒子線治療施設
図3  日本の粒子線治療施設

<関連タイトル>
重粒子線照射によるがんの治療 (08-02-02-01)
RI小線源によるがん治療 (08-02-02-04)
パイ中間子によるがん治療 (08-02-02-07)

<参考文献>
(1)辻井博彦ほか:悪性腫瘍に対する重粒子線治療−1 重粒子線治療:特に炭素イオン線治療について、放射線科学、vol.46、No.9(2003)
(2)放射線医学総合研究所:Q&A、重粒子線関係、重粒子線の医学利用、

(3)高エネルギー加速器研究機構:ニュース、切らずにがんを治す(2)(2003年7月)
(4)PTCOG:PTCOG(Particle Therapy Co-Operative Group)NewsLetter

(5)Particle Therapy Co-Operative Group
(6)南東北がん陽子線治療センター(http://www.southerntohoku-proton.com/
(7)筑波大学附属病院陽子線医学利用研究センター
(8)(独)国立がん研究センター東病院(http://www.ncc.go.jp/jp/ncce/consultation/pbt.html
(9)公益財団法人医用原子力技術研究振興財団(http://www.antm.or.jp/01_outline/01.html
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