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<概要>
 英国核燃料会社BNFL)のセラフィールド(元ウィンズケール)再処理工場で、1983年11月、誤って約600 Ci(β放射能) を含む廃溶媒等を海中放出管からアイリッシュ海へ異常放出した。当時、地方テレビ局のこの施設の周辺への影響についての取材報道があり、グリーンピース等が乗り出していたので、その面前でのこの異常放出は広く関係方面を賑わすことになった。軍事用も含めて長い歴史を有する燃料サイクルサイトが、環境影響低減化を含む近代化を進めていた過渡期の事件であった。
<更新年月>
2000年09月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
1.セラフィールド(元ウインズケール))再処理工場の放射性廃液の異常放出
 英国BNFL社が運営しているセラフィールド核燃料サイクル施設で、1983年11月上旬に行われた再処理工場(CEGBの黒鉛減速炭酸ガス冷却動力炉のマグノックス燃料処理用)の洗浄作業に伴う廃液の処置に係わって、放出前貯槽(Sea Tank)及び関連配管中の廃溶媒、クラッド(放射性の浮遊懸濁物)の一部が、11月11日から16日にかけて数回、海洋放出管からアイリッシュ海に放出された。本来、この廃溶媒、クラッド等は高放射性プラント洗浄廃液貯槽で分離(フロートオフ;若干時間静置して油分を浮かせて分離する)されている筈であり、放出前貯槽には多量の溶媒やクラッドが行かない筈であった。
  図1 に本件の説明図を示す。左側の図でHASW(高放射性溶媒洗浄ミキサセトラ)は、通常のプロセス運転では抽出分離サイクルで使用する溶媒をアルカリ液で洗浄して循環させている。インターキャンペーン(運転の後の保守整備の期間)に入ったのでHASWの内容物をHAPWタンク(高放射性プラント洗浄液貯槽)に移し、ここで廃溶媒と廃液に分離していたが、交替時の引継ぎの不備により溶媒部分も放出前貯槽に送ってしまった。放出前貯槽に送られたのは約4500キュリー(Ci)であった。この送液の途中でモニターで異常が判ったので、放出前貯槽から溶媒及びクラッド層を廃液処理施設に回収したが完全ではなかった。回収に当たって海洋放出配管の一部が溶媒相の転送に使われたため図示のように配管分岐点と海洋側の仕切り弁との間の配管部分に溶媒とクラッドが溜まり、それが海洋に放出されたと推定された。約600キュリーが数次に渡り放出されたという。
 この時点での海洋放出限度は全β放射能で75,000Ci/3ケ月、106Ruで15,000Ci/3ケ月であるから約4500Ciが全量放出されても放出限度以下ではあるが、1983年 2月16日づけでALARA条項(放出許可限度以下でも合理的な手段で可能な限り放出量を低減する;As Low As Reasonablly Achievable)を付加されているので問題があった。
 従前のセラフィールド再処理工場からの廃液の海洋放出についての安全評価は、放出された色々な放射性核種が物理的には海水で希釈され、化学的にはそれぞれ核種に応じた挙動を取り、また海生物に取り込まれて経口的にクリティカルグループ(各種の被曝経路により最大の値を取りうる立場−職業、食習慣、居住位置等−の住民グループ)と定義された住民に摂取されたとして、そのグループの体内及び対外被曝を合わせた線量当量が規制値以下ならよいという考え方で放射性核種の許容放出量が定められていた。その量は前記のように大きな値であった。

2.1980年代のセラフィールドサイトの事情
 セラフィールド再処理工場は、初期の第1工場(B-204)から第2工場(B-205;1964年運開)に替わり、3万トン以上のマグノックス燃料の再処理に当たっているが、この時期になって20余年の運転経験と放射線防護の厳密化等を踏まえて、その廃棄物処理の工程や施設の抜本的な見直しが行われていた。
 即ち、SIXEP(イオン交換低レベル廃液処理施設)、含塩廃液蒸発施設の建設が始まり、EPI・II(廃棄物セメント固化施設)、EARP(アクチナイド回収強化施設)等が計画されていた。
 一方、英国での新型動力炉AGR(酸化物燃料)への移行、外国での軽水炉 BWR,PWR(酸化物燃料)の定着により新しい酸化物燃料再処理施設(THORP)が計画され、1976〜78年に公開審査会が行われ下院でも論議されて、その建設が認められた。
 1983年は、BNFLのセラフィールドに於ける事業活動が、次代への発展にむけて積極的な展開をみせ、各方面の注目を浴びていたといえる。

3.1983年のサイトをめぐる放射線管理に係わる話題と動き
 83年9月号のニュークリア・エンジニアリング・インタナショナル誌に「セラフィールド従業経験者11,500名中のこれまでの死亡者1,600 名の死因調査の結果、癌死者は 400名、そのうち白血病・骨癌・甲状腺癌による死者は14名であった。この集団に対する通常の癌死及び白血病・骨癌・甲状腺癌死の期待値はそれぞれ454名及び16.8名であり、従業員の死亡率に異常は認められない」という記事がある。
 またBNFLは83年10月にα放射能放出量を数年以内に200Ci/年(現行基準6,000Ci/年但し2,000Ci/3ケ月以下、実績約1,000Ci/年)に低減すると発表した。これはこの年頭に発表された英国内放射線防護委員会(NRPB)の評価見直しによるとクリティカルグループによる軟体動物の摂取の増大によるPu,Amの影響を修正すると、総括した線量当量は3.5 mSv/年になりICRP勧告値 5 mSv/年の70%に達し、BNFLの目標値の0.5 mSv/年を上回ることによる。
 一方、セラフィールド施設の周辺を取材していたローカルテレビ局(ヨークシャー)が、同年11月1日にニュークリア・ローンドリィ( 核の洗濯屋)という番組を放映し、その中で、1)海洋放出管近傍のGM による測定値は通常の 100倍もある、2)1957年にPu生産炉の火災による放射性ヨウ素の放出(事実)があり、1979年に32才の女性に甲状腺癌が発生、3)1973年9月に従業員35名がRuに被曝し(事実)、その最大被曝者が1979年に心臓マヒで死亡、4)近隣のラベングラスにある住宅のダストを測定した結果Puが検出された、5)シースケール( セラフィールドサイトを含む町) の人口は約2,000 名で、1950年以来11件の小児癌( 7件は白血病)が、また10才未満では 5件の白血病が発生しており、これは全国平均の10倍である等のことが主張された。
 BNFLは、番組に事実誤認と誇張があると反論したが、この放映はかなりの反響を呼んだ。ジェンキン環境大臣は、翌日下院で前国立医科大学長D.ブラック博士に白血病発生の事実と原因の究明を命じたと発表した。

4.異常放出の前後の関係機関等の動き
 このような雰囲気の下で、グリーンピースのメンバーが現地に現れ海中放出管近傍の測定を始めようとしている矢先に前記の誤放出があったわけである。
 潜水夫を乗せたグリーンピースのボートが、放出口端でサンプルを採取しようとして、浮遊する油層を発見、GM管が振り切れたので潜水を諦めたのが11月14日のことであった。船体等はNRPBが汚染検査した。通常は海水に分散してしまう溶媒が稀な静穏気象状態でスリック状で集まっていたと思われる。海岸に漂着した海藻等も汚染していたので同19、20日は海岸の立入禁止措置が取られた。
 同21日、ワルダーグレイブ環境次官が下院で汚染事故の原因調査を開始すると声明。
 同11月30日、環境省は29日から30日にかけて採取された海藻、ゴミ等の海岸漂着物もかなり汚染していた(100〜650mR/hr)ため、25マイルに亘り海岸に立ち入らぬよう勧告している。
 12月7日の関係者の中間発表では、農水産食糧省(MAFF)は海産物には事故前と比べて放射能量に異常は見られず、貝類中のRu のレベルは通常より高いが急速に減少しているとしている。
 12月15日にBNFLは前記の異常放出の内容を正式に発表し、放出規制内であっても海岸の汚染が生じたことは遺憾であり、再発を防ぐ対策として貯槽の液抜きの方法の変更、放出管自動放射能検知遮断器の設置などを約束した。
同年12月21日、下院でのジェンキン環境大臣よる本件の中間報告は、「11月11〜16日にかけて相当量の放射能がBNFLの管理ミスで放出され、これにはALARAの原則及び記録文書保持義務違反の疑いがあり、検事局(DPP)による訴追があり得る。農水産食糧省の調査の結果は、海産物、農産物に対する影響は無視できるものであり、その摂取は問題ない。しかし、指定された海岸の立入りを避けるようにとの勧告は、なお時に汚染された漂流物の漂着があり、危険は小さいもののまだ有効である。」というものであった。
 翌84年2月14日に、健康安全庁(HES,Health & Safety Executive)の原子力施設検査局(NII,Nuclear Installation Inspectorate)、環境省(DOE,Department of Environment)の放射化学検査局(RCI,Radiochemical Inspectorate) の本件に関する正式報告書が個別に発表された。何れも異常放出の原因として運転ミスを挙げており、再発防止にエンジニアリング上の対策を講じることを要求している。
 BNFLは、これを受けて直ちに再発防止の対策を発表した。

5.まとめ
 従前のセラフィールド施設の運転感覚では、海洋放出では海中での放出物の希釈、混合、エコロジイ等を前提にクリティカルグループ(人間)に対する影響を局限するとしている。即ち海に或る緩和機能を期待しているといえる。一方、海自体を被汚染者とする考え方もあり、その間には感覚的な差があるように思える。
 BNFLは、このサイトの廃棄物処理に関して抜本的な改良を予定し、また計画の実施に取り掛かっていた。この事件は、このような狭間で起こったといえる。
 地元には大きな動揺もなくセラフィールドサイトは、その後十数年を経て各種の近代化された廃棄物処理施設、THORP再処理工場等が続々建設され面目を一新している。
 なお、ダグラス・ブラック博士の報告によるとシースケールの若年層の白血病発生率の上昇は「普通ではないが異常とは言えない;unusual but not unique」であり、セラフィールド近辺の住民の危険は認められず、セラフィールド施設との因果関係は証明できなかったというものであった(1984年7月)。
<図/表>
図1 セラフィールドの廃液異常放出の説明図
図1  セラフィールドの廃液異常放出の説明図

<関連タイトル>
イギリスの再処理施設 (04-07-03-09)
イギリスの再処理施設における放出放射能低減化 (04-07-03-10)

<参考文献>
(1) M HOWDEN,T L J MOULGING;“Progress in the Reduction of Liquid Radioactive Discharges from the Sellafield Site Ko(223)”, PROCEEDINGS OF INTERNATIONAL CONFERENCE ON NUCLEAR FUEL REPROCESSING & WASTE MANAGEMENT,RECOD’87,PARIS,1987,p1045-1054
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