<大項目> 原子力発電
<中項目> 原子力発電所の事故・故障
<小項目> 海外の原子力発電所の事故・故障・トラブル
<タイトル>
チェルノブイリ事故から20年 (02-07-04-20)

<概要>
 1986年4月26日、チェルノブイリ第4原子力発電所災害が起こって、20年が経過したこの時期、この記憶を新たにするため、多くの催しが行われた。これに先立ってIAEAでは、2005年9月6、7日、ウィーンでチェルノブイリフォーラムが開催された。2006年4月25日には事務局長、ElBaradei氏が、IAEAの20年間 のチェルノブイリ事故への対応を総括する声明を発表している。また、2005年8月のスタッフレポートは、IAEAの対応のサマリーである。ここでは、これらについて述べる。
<更新年月>
2006年08月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
I. IAEA事務局長のチェルノブイリの惨事に関する声明
 チェルノブイリ原子力発電所の1986年4月の事故は、事故によって最も影響された何十万もの人々の生活に痛い記憶を残している。亡くなった非常事態救助要員に加えて、何千もの子供が甲状腺ガンにかかった、その他に何千もの人々が放射線放出に起因するガンで死ぬであろう。穀倉地帯、森林、河川と都市センターの広大な領域は、放射性フォールアウトによって汚染された。何十万もの人々は、−彼らの家、財産と生計を残すことを強制されて−、これらの影響を受けた地域から疎開して、どこかで、−長期にわたる心理的、社会的な影響を伴うトラウマ的結末の中に−、定住している。
今月、チェルノブイリ悲劇の追憶が、多くのフォーラムで−ミンスク、キエフ、そして他の場所で−、行われている。
 IAEAでは、多くの方法で、20年間、事故とその結果に対応したと言って良いであろう:第一に、事故の環境と健康への影響を緩和するようないろいろなプログラムを通して;第二に、事故を起こさせたのは、何かという教訓を分析することによって;第三に、このようなどんな事故でも将来起こるのを妨げるよう努力することによって。
 強力で効果的な地球規模の原子力安全制度を造ることは、我々の仕事の中心目的である。これには、効果的な国際協力を必要とする。発電所4号機原子炉の炉心を破壊し、放射性種の雲としてその内容を放出した爆発は、原子力及び放射能と関連した安全性の危険は、国境を越えて広がることを、痛いほど明らかにした。情報を共有し、明白な安全基準をセットし、安全アップグレードで援助し、運転中のパフォーマンスをチェックするという、原子力安全問題に関する国際協力は、それ故、特に原子力の拡大が世界の多くの部分でのエネルギー需要の増大に対応することを示そうという時、IAEA活動の特徴となっている。
 2001年に、事故の結果に関する矛盾する見解に気づいた後、私はチェルノブイリフォーラムの創出を要求した。世界の先端的な科学の専門家を誘い、健康、環境的及び社会的な影響の徹底的な評価を実施するよう要請した。全てのIAEAプログラムと同様に、我々は公平な事実ベースのアプローチでこの難しく非常に緊迫したトピックを分析するよう強調した。慎重な長い期間の分析の後、分析のパーティーが、世界保健機構と七つの他の専門国連機関及び、ベラルーシ、ロシア、ウクライナ政府を包含し、昨年9月に発行された権威ある一連のレポートで、コンセンサスを達成することができたことに、私は満足している。しかし、チェルノブイリフォーラムは、もう一つの目的を持っていた。
 私の希望は、事故とその影響について明白な、公平な答えを与えることによって、我々はより効果的に現在と将来のニーズに集中することができるであろうということであった。
 事故に影響された人々と地域へのより良い国際協力。
 安全な食糧生産と効果的な健康管理へのより洗練されたアプローチ。
 彼らが彼ら自身の暮らしを支配できるよう、関心ある人々への投資の強化。
 要するに、過去についての疑問に答えることによって、関係する地域のためにより明るい将来の展望を回復したいという私の希望であった。
 私の希望はまだそのままである。
 我々は、すぐにはチェルノブイリ事故を忘れない。我々は、彼らの生命を捧げた非常事態作業員を忘れない。我々は、健康と環境の結果を忘れない。そして、我々は我々が核の安全と国際的な協力に関して学んだ教訓を決して忘れてはならない。チェルノブイリ事故を思い出す際に、我々はこのような悲劇が再び起こらないことを保証したいという決意を新たにしなければならない。
 しかし、我々はまた、生存者−彼らの人生と彼らの子供の命とともに前進することを求める個人とコミュニティ−を忘れてはならない。追想のこの時、彼らも、彼らがチェルノブイリ事故の影を越えて繁栄する未来の中に移ることができるよう、我々の配慮と援助を受ける価値がある。
II. IAEAのチェルノブイリ対応のタイムライン
 何年にも及ぶIAEAの不断の努力の軌跡に関する、2005年8月のスタッフレポートである。
 悲劇的チェルノブイリ事故以来何年にも亘って、IAEAを通しての国際的援助が色々の局面で定常的に進展した。技術的かつ調査的プロジェクトはチェルノブイリのフォールアウトによって最も重く影響を受けた国で、人々が直面する社会、環境、安全の問題を目標とした。そして、科学的な研究は事故の放射線学的影響に明白な展望を与えた。最新の活動は、ウクライナ当局が閉鎖されたチェルノブイリ発電所を安全にサービス停止し高レベル放射性廃棄物を管理するのを支援しようとしている。
 1986年以来チェルノブイリ支援のIAEAスケジュールは、何十もの専門家の使節、批評、評価及び野外プロジェクトに広がっている。その対応のハイライトは、以下のとおり:
・1986年5月から8月:事故の文書化
 事故の直後、1986年5月初め、IAEA事務局長はチェルノブイリ発電所を訪問し、同年8月にIAEAで国際的ミーティングを開催し、権威のある事故の評価をするという基礎を固めた。その直後、原子力安全顧問グループ(Nuclear Safety Advisory Group)は、事故の原因と直接の結果に関するサマリーレポートを発表した。
・1986年5月以降:安全の枠組の強化
 事故の数ヶ月以内に、メンバー国はIAEA支援の下に以下の2つの国際条約を設置した:原子力事故の早期通知に関する条約、及び原子力事故または放射線的緊急事態時の援助に関する条約。
・1989年10月〜1991年6月:放射線学的結果の評価と査定
 1989年10月に、IAEAはベラルーシ、ロシア、ウクライナで最も重く汚染された地域の選ばれた町で、事故の放射線学的、環境的及び健康的結果の国際的な研究を手配した。1990年3月と1991年6月の間に、合計50の野外ミッションが、25カ国、7組織、11研究所から200人の専門家によって実施された。
・1996年4月:科学的記録のレビュー
 1996年4月、世界保健機構及び欧州委員会とともに共同スポンサーとして、事故後10年目のチェルノブイリ放射線学的結果についての科学的な知識を要約した国際会議を開催した。71の国と20の組織からの800人以上の専門家が出席した。
・1991年〜1998年:チェルノブイリ−タイプ原子炉の安全性評価
 1991年に、IAEAはWWER及びRBMK(チェルノブイリ−タイプ)原子炉の安全性を評価し、安全の改良をレビューしようという、東ヨーロッパと旧ソ連諸国を援助する計画を開始した。これらの原子炉に対する主要な安全問題とそれらの安全上の重要性に関して、国際的なコンセンサスが、確立された。 IAEAはいろいろな方法で国家の当局に原子力の安全の支援を提供し続けている。
・1990年以降:社会と環境問題を目標に
 事故の社会的、環境的、かつ経済的結果に対応して、450万ドル以上と評価されるプロジェクトが開始され、特別な注意が、ベラルーシ、ウクライナ、ロシアにあるリハビリテーションプロジェクト、放射線モニタリングセンターの設立、汚染された農地の再生と食品の管理等に、捧げられた。
・2001〜2005年の間:デコミッショニングと廃棄物管理
 チェルノブイリ発電所は、2000年12月に閉鎖されて、デコミッショニングという新しいフェーズに入った。IAEAの援助は3基のRBMKタイプに及ぶ。プロジェクトはウクライナ政府によって設立される新しい企業によって遂行され、建物、土と水の汚染除去に関連した活動、及び発電所からの使用済み核燃料除去をカバーするものと予想され、プロジェクトは約十年かかると期待されている。破壊されたチェルノブイリ第4発電所を封入しようとする計画(図1)を支援する新しいプロジェクトが起こされた。また、ウクライナの残る運転中の原子力発電所の安全の向上を支援する安全サービスの準備のためのプロジェクトもある。
・2003〜2005年:チェルノブイリフォーラム
 2003年2月、国連の7機関(FAO、UNDP、UNEP、UN-OCHA、UNSCEAR、WHOとThe World Bank)及びベラルーシ、ロシア連邦、ウクライナの所管官庁と協力して、IAEAはチェルノブイリフォーラムを設立した。フォーラムの任務は−管理者、専門家、公衆の一連のミーティングを通して− 事故から生じた放射線被ばくに帰せられる環境の結果と健康影響に関する「権威ある合意の声明」を作り出すことであった。
 フォーラムは2002年に開始されたチェルノブイリのための国連十年の戦略への寄与として、チェルノブイリ原子力事故の人的結果−回復の戦略を出版した。
 2003年以来、2つの専門家グループ−はIAEAが調整する「環境」とWHOによって調整される「健康」の2つのレポートを提出した。全てのケースにおいて、科学者達は、それぞれの文書の準備段階で、コンセンサスに至ることができた。2005年4月に、2つの専門家グループによって準備されたレポートは、フォーラムで集中的に議論され、結局コンセンサスによって承認された。フォーラムの調査結果と勧告に広い公共性を与え、政府、国際科学コミュニティ、一般公衆に知らせるため、チェルノブイリフォーラムは、IAEAを通して、「チェルノブイリ:振り返って前に進もう」というタイトルの国際会議を組織した。
III. チェルノブイリフォーラムの主な結論
 1.1986年のチェルノブイリ事故は、世界原子力産業の歴史の中で最も厳しい原子力事故であった。膨大な放射性核種の放出の故に、第1級の放射線学的事故にもなった。しかし、何年もの後、放射線レベルの減少と人への影響の集積に伴って、影響を受けたベラルーシ、ロシア、ウクライナの地域の厳しい社会的及び経済的不況、一般大衆と緊急時要員のこれらと関連する心理的な問題が、最も重要な問題になった。
 2.70万人以上の緊急事態及び回復作戦要員、及びベラルーシ、ロシアとウクライナの汚染地域の500万人の居住者は、自然バックグラウンド放射線レベルに相当する比較的少量の放射線量を受けた;この水準の被ばくでは、放射線で誘発される目立った健康傷害には至らない。例外は、高い放射線量を受けた数百人の緊急事態及び回復作戦要員の一団である;約50人が放射線病とその結果のために死んだ。全体として、チェルノブイリ事故に起因する高い放射線量によって影響を受けた60万人中およそ4000人の人々の若死が、予期されていた。
 放射線によって影響を受けるもう一つの群は、1986年に放射性ヨウ素で汚染されたミルクを消費し、甲状腺に相当な放射線量を受けた子供と青年である。全体で、およそ4000の甲状腺ガンのケースが1992年〜2003年の間に、この群に検知された;それらの99%以上は、成功裡に処置された。
 3. 環境中の放射線レベルは、自然のプロセスと対策によって、1986年以来数百分の1に減少している。したがって、放射性核種で汚染された大多数の土地は、生命と経済活動にとって、現在は安全である。しかし、チェルノブイリ禁止ゾーン及び、ベラルーシ、ロシア、ウクライナの限られた若干の地域では今後10年間、土地−使用に対する若干の制約を保持しなければならない。
 4. チェルノブイリ事故の結果に対処するために政府によって実装される対抗策は、大体は時機を得て適切だった。しかし、最近の調査は、これらの努力の方向が変えられなければならないことを示している。ベラルーシ、ロシア、ウクライナの影響を受けた地域の社会的、経済的回復、並びに一般大衆と緊急事態要員の心理的な重荷の除去は優先しなければならない。ウクライナのためのもう一つのプライオリティーは、破壊された第4発電所のデコミッショニング及び、チェルノブイリ禁止ゾーンの放射性廃棄物の安全管理である。
 5. チェルノブイリ事故に関する、若干長期的な環境的、健康的及び社会的傷害の調査は、来るべき10年間続けられなければならない。事故の結果を緩和する際発揮される無言の知識の保存が重要である。
 6. 環境の放射線問題、人間の健康傷害と社会−経済への影響をカバーしている故に、このレポートはチェルノブイリ事故で最も完全なものである。ベラルーシ、ロシア、ウクライナからの専門家を含んで、多くの国からのチェルノブイリに関連した調査分野の約100人の著名な専門家が、この報告書に貢献した。このレポートは、国連の8組織の、そして、3つの影響を受けた国の共通の見解である。
<図/表>
図1 チェルノブイリ第4発電所の現状と将来

・図表を一括してダウンロードする場合は ここをクリックして下さい。


<関連タイトル>
チェルノブイリ事故による放射線影響と健康障害 (09-03-01-12)

<参考文献>
(1)Twenty Years After the Chernobyl Accident by IAEA Director General Dr. Mohamed ElBaradei,http://www.iaea.org/NewsCenter/Statements/2006/ebsp2006n005.html
(2)IAEA-Chernobyl Timeline: Years of Steady Progress,Staff Report August 2005,http://www.iaea.org/NewsCenter/Features/Chernobyl-15/timeline.shtml
Concluding Statement
(3)Burton G. Bennett,Chairman,International Conference,”Chernobyl: Looking Back to Go Forwards” Vienna 6-7 September 2005
(4)Chernobyl Diary Blog,22 April 2006,http://www.iaea.org/blog/Press/
(5)Lynn R. Anspaugh, Environmental Consequences of the Chernobyl Accident and their Remediation: Twenty Years of Experience,Chernobyl conference,Vienna,6-7 September,2006
RIST RISTトップページへ ATOMICA ATOMICAトップページへ