<大項目> 原子力発電
<中項目> 原子力発電所の事故・故障
<小項目> 海外の原子力発電所の事故・故障・トラブル
<タイトル>
チェルノブイリ原子力発電所事故の原因 (02-07-04-13)

<概要>
 チェルノブイリ原子力発電所事故当初は、事故原因は「運転員の規則違反」とされていたが、事故後にシェルター内部の調査が進んだ結果、運転員の規則違反が主原因ではなく、事故の原因の一つはチェルノブイリ型原子炉が持っていたポジティブ・スクラム、および旧ソ連全体にあったセイフティー・カルチャーの欠如が事故原因である。すなわち、国レベルでは有効な規制体制が確立されておらず、設計者およびプラントレベルで十分な安全解析がなされず、十分な規則や手順が整備されておらず、原子炉の安全特性が理解されていなかった、また前述の事項が各プラントおよび運転員に伝えられていなかった。運転員レベルでは、運転員は「立ち止まって考える」ことを怠り、実験条件を安易に変更してしまったことを挙げることができる。
<更新年月>
2007年08月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
1.事故後、シェルターの内部調査によって判明した事項
 1986年4月26日に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故当初は、事故原因は「運転員の規則違反」(表1参照)とされていたが、その後、それを否定する事実が次々と明らかになってきた。事故後、シェルター内の調査が進むにつれ、事故がどのように進展したのか推定できるようになり、当初の認識を修正しなければならないものも出てきた。ここでは、以下のような、これまで比較的知られることの少なかった情報に重点をおいて解説し、原子炉の暴走に至るまでの事実関係と事故原因について説明する。なお、事象の推移についての詳細内容を表2に示す。
・運転員の規則違反が主原因ではなかった。
・事故以前にも類似の事象が経験されていたが、その教訓が生かされなかった。
・設計、運転手順書、安全規制などに係わる問題こそが主原因である。
・事故終息のため実施したヘリコプターからの投下物質は、殆ど炉心に到達しなかった。
・燃料は溶融し周りの物質と反応してセラミック状になって固化している。

2.1990年〜1992年に発表された各種報告書の内容
1)IAEA主催の事故後評価会議(Post-Accident Review Meeting)
 1986年4月26日事故発生から4か月後の1986年8月25日から29日にかけて、国際原子力機関(IAEA:International Atomic Energy Agency)主催の事故後評価会議が開催され、当時のソ連政府の専門家から事故時のプラントデータや解析結果を含む事故の詳細が報告された(ウイーン報告と呼ぶ)。この会議では、事故の第一義的な原因は「運転人による6つの規則違反」によるものであると報告された。
2)IAEAによるINSAG-1報告書
 1986年9月、IAEAの国際原子力安全諮問グループ(INSAG:International Nuclear Safety Advisory Group)は、IAEA事務総長の諮問を受け、同会議で得られた情報と将来に向けた提言を、報告書INSAG-1に取りまとめた。日本の原子力安全委員会も、INSAG-1に基づいて2編の報告書を作成した。(注:原子力安全委員会は原子力安全・保安院とともに2012年9月18日に廃止され、原子力安全規制に係る行政を一元的に担う新たな組織として原子力規制委員会が2012年9月19日に発足した。)
3)ソ連のグラスノスチによる報告書や論文の公開
 1990年頃から、当時のソ連では情報公開(グラスノスチ)の流れの中で、同事故の原因についての研究が本格的に始められ、幾つかの報告書や論文が公開された。
4)ソ連産業原子力安全監視委員会の未公開文書「決定」およびシュタインベルグ報告
 1990年7月には、ソ連産業原子力安全監視委員会の「決定」と呼ばれる未公開文書が新聞等で取り上げられた。これに引き続き1991年1月には同委員会の科学技術評議委員会の報告書が公開された。これは、同委員会議長の名前から「シュタインベルグ報告」と呼ばれており、ウイーン会議以後に出された報告書の中で最も重要なものの一つと考えられている。これらの報告書の中では、「事故の主要原因は制御棒の欠陥(ポジティブ・スクラム)にあり、事故の原因とされてきた運転員の規則違反は、実際には違反でなかったか、または、違反であったとしても事故の進展には無関係であったというものであった。
 表1に、シュタインベルグ報告に示されている事象の推移を示した。これはアバギャン報告の表とほぼ同じであるが何カ所か新しい情報が加えられている。シュタインベルグの報告は、全体としてウイーン報告の事象の推移と大きな相違はない。
5)パリ会議で発表された2論文
 シュタインベルグ等の報告を契機として、1991年4月には、フランスと旧ソ連原子力学会の共催で、国際会議「原子力事故とエネルギーの将来(パリ会議と呼ぶ)」が開催され、旧ソ連からチェルノブイリ事故に関する2件の論文(ボルショフ論文とアダモフ論文)が発表された。なおボルショフ論文には、上記委員会議長シュタインベルグも含まれている。
6)INSAG-7報告
 1992年、INSAGは、ウイーン報告書以降に得られた情報とレビューを基に事故原因の再評価を行い、INSAG-1の改訂版であるINSAG-7を刊行した。
 INSAG-7では、レビューに際し最も重要な情報源であったものとしてシュタインベルグ報告および旧ソ連の専門家グループの報告(アバギャン報告)を付録として掲載している。ただし、アバギャン報告は前述のパリ会議のボルショフ論文と同一のものである。
 なお、INSAG-7以降、事故原因に関する重要な論文は出されていない。新聞やテレビでも報道された「地震起因説」については議論の対象としない。

3.1986年8月のウイーン報告による運転員の規則違反に対するINSAG-7の評価
 表1に、ウイーン報告で指摘された6つの運転員の規則違反と、それに対するINSAG-7の主な見解をまとめた。これらの見解を要約すると、6つの規則違反と呼ばれたものの多くは、実際には規則違反でなかったか、あるいは規則違反であったとしてもその後の事故の進展に大きな影響はなかった。

4.事故の原因
4.1 事故の原因の一つにポジティブ・スクラム
 事故当時のRBMK型原子炉(図1:RBMK炉の概要、図2:チェルノブイリ3、4号原子炉建屋垂直断面図を参照)では、図3に示すように制御棒下部に黒鉛ディスプレーサーが取り付けられており、これが炉心最下端部まで達していないため、制御棒が挿入され始めると、まず、黒鉛ディスプレーサーと炉心最下部との間にある水が排除されるため、正の反応度が印加される。この現象をポジティブ・スクラムと呼んでいる。黒鉛ディスプレーサーは、制御棒を引き抜いた状態での中性子経済を良くすることを目的としたものであるが、黒鉛の量を節約するため、上下端部がカットされたものと理解されている。
 ポジティブ・スクラムについては、原子力安全委員会報告のソ連原子力発電所事故調査特別委員会が1986年9月9日に発表した「ソ連原子力発電所事故調査報告書」によると、「米国DOE報告では、RBMK型炉制御系の構造から、制御棒挿入時約3秒間、正の反応度が投入され、これが今回の出力上昇に大きく寄与しているとしているが、日本の解析結果では、正の反応度投入は定量的にはほとんど無視できることが判明した」と記載されており、ウイーン会議当時から論議されていたことが伺われる。
 旧ソ連からの公式報告書としては、1987年に旧ソ連がIAEAに報告した論文「One Year After」(メドベージェフ、松岡信夫訳、内部告発、(株)技術と人間、1990)にポジティブ・スクラムに関する明確な記述がある。ただし、これはRBMK型炉の安全性向上策としての制御棒の改善に関するものであり、これが事故原因を構成する重要な因子であるとの認識は示されてはいない。
 その後、1990年から1991年にかけて、ソ連産業原子力安全監視委員会の未公表文書「決定」やシュタインベルグ報告が公表されたが、この間、日本を含め西側諸国でもポジティブ・スクラムに関する技術的検討が進められており、幾つかの論文が発表された。その内容は、おおむねポジティブ・スクラムにより投入される反応度は、事故時の軸方向中性子束分布に大きく依存し、それが下部に歪んでいる場合、大きな正の反応度が投入される可能性があるというものであった。図4に、アバギャン報告に示されたポジティブ・スクラムによる添加反応度を示す。添加される正の反応度はORM(チェルノブイリ事故時は手動制御棒7本分で、これは設計基準事故条件である)の値に大きく依存している。
 パリ会議で報告された2件の論文やシュタインベルグ報告、アバギャン報告(ボルショフ論文)は、基本的にポジティブ・スクラム主因説に立っている。「事故の原因は、制御棒の黒鉛ディスプレーサーによってもたらされた初期の反応度添加による出力上昇にあり、それが大きな正の反応度フィードバックにより増大した」としている。ただし、アバギャン報告では、「クルチャトフ研究所を含む3つの研究機関で実施した3次元の核熱水力解析では、いずれも十分には出力の暴走が再現できなかった」と記載されている。
 パリ会議でのアダモフ論文ではポジティブ・スクラムだけでは出力の暴走を再現することはできず、キャビテーションを起こした主循環系ポンプからの蒸気の進入等の反応度を添加する他の事象についても考えるべきであることを示唆している。この論文では、事故を再現するには1.3ドル程度の正の反応度の添加が必要としている。
 INSAG-7では、これらの見解をレビューした結果として、もし何らかの決定的な要因があったと仮定したとしても、それを特定することは重要でないとして、ポジティブ・スクラムが主要因であったか否かの判断を避けている。
4.2 ポジティブ・スクラムの事例
 ポジティブ・スクラムについては、1975年にレニングラード1号炉で、1982年にはチェルノブイリ1号炉でポジティブ・スクラムの前兆というべき事例が起き、さらに1983年にはイグナリーナ原子力発電所でポジティブ・スクラムの重要性が認識されていたにもかかわらず、何の対策も採られなかったことが極めて重要であると指摘している。これについてシュタインベルグ報告では、設計者はすでに1976年の段階でその重要性を認識しており、その具体的改善策も検討されていたが、実際には何の対策を取られなかったと記している。事故後わずか1か月半でRBMK型炉の具体的な安全向上対策が公表された事実は、それを裏付けるものであると論じている。また、ジャトロフ書簡にも同様の記述がある。1986年8月に開催されたウイーン会議の時点で、旧ソ連政府はポジティブ・スクラムの重要性を認識しており、旧ソ連政府はそれを意図的に隠蔽したとの見解もある。
4.3 セイフティー・カルチャーの欠如と運転員の訓練不足
 INSAG-7では、チェルノブイリ原子力発電所だけでなく、旧ソ連全体としてセーフティー・カルチャー(安全文化)が欠如していたことが、事故の根本原因であるとしている。それには種々の意味が含まれている。
 国のレベルでは、政治、経済的側面もあるだろう。有効な規制体制が確立されていなかったことも一つの原因である。設計者、プラントのレベルでは、十分な安全解析がなされておらず、十分な規則や手順が整備されていなかったこと、原子炉の安全上の特性が理解されていなかったこと等が挙げられる。設計者のレベルでは理解されていたとしても、少なくとも各プラントおよび運転員には伝えられていなかった。運転員のレベルでは、運転員は「立ち止まって考えること(stop and think)」を怠り、その場で実験条件を変更してしまったことを挙げることができる。
 ポジティブ・スクラムに関しては、事故以前にその重要性が認識されていたにもかかわらず、何の対策も取られず、ウイーン会議では、それに言及することもなく、事故の主要原因を運転員の規則違反と断定した。

5.事故の教訓
 チェルノブイリ事故の根本原因を構成する前述の要素は、驚くほどJCO事故と共通性のあることに気付く。例えば、手順が数回にわたり承認なしに変更されたこと、手順がその場で変更されて臨界事故に至ったこと、作業員が臨界という現象を含め、施設の安全上の特徴を理解せず、規則・手順の意味も理解していなかったこと、十分な規則監視がなされていなかったこと、生産性向上への圧力が背景にあったことを挙げることができる。チェルノブイリ事故から学ぶべき教訓は多い。これらを再度明確にし、安全性の向上にフィードバックさせなければならない。
(前回更新:1996年3月)
<図/表>
表1 「運転員の6つの規則違反」に対するINSAG-7での見解
表2 事象の推移
図1 RBMK-1000型炉のシステム概念図
図2 チェルノブイリ原子力発電所3、4号炉の原子炉建屋、共通建屋のタービン発電機建屋の垂直断面図
図3 ポジティブ・スクラムの発生機構
図4 ポジティブ・スクラムで添加された正の反応度

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<関連タイトル>
チェルノブイリ原子力発電所事故の概要 (02-07-04-11)
チェルノブイリ原子力発電所事故の経過 (02-07-04-12)

<参考文献>
(1)(株)東芝 安藤 正樹、日本原子力研究所 平野 雅司:特集チェルノブイリ事故から15年−私たちが学んだこと、II.事故シナリオ再検討:本当に何が起こったのか、それは何故起こってしまったのか?、日本原子力学会誌、Vol.44、No.2、p.26-31(2002年)
(2)IAEA国際原子力安全諮問グループ:INSAG-7報告(1992年)
(3)明比道雄、藤井晴雄:特集チェルノブイリ事故から15年−私たちが学んだこと、III.RBMK型原子炉の現状、日本原子力学会誌、Vol.44、No.2、p.39(2002年)
(4)藤井晴雄、森島淳好(編著):世界の原子力発電プラントデータブック1994、日本原子力情報センター(1994年8月)
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